「無茶だったな…やっぱり」
ルルトはかすり傷だらけの身体で仰向けになり、苔むした岩にもたれて自嘲気味に笑いました。
「だいたい、一人の力でどうにかなるもんじゃないのに」
全身を強く打ったため、痛みで痺れたようになって身体に力が入りません。

彼はたったひとりで人間の軍隊のところへ行き、ドラゴン達との戦いを止めようとしたのでした。
一人でどうにもならないなんていうことはうすうす感じていましたが、何かせずにはいられなかったのです。
その代償が、今の彼の姿。飛んでいる最中に弓矢で羽を射られ、そのまま森の中へ墜落していったのでした。
浅はかだなぁと、彼はすこし自分を恥じ入ります。それでも生きていた幸運に、彼は感謝しました。

さて、これからどうしようかと、彼は考えます。
このままのこのことセバルー達の所へ戻るのは、彼にはとても恥ずかしく思えましたし、かといって彼らを放って置くなんてとても耐えられないと思いました。
でも、考えつく事はみんなやってしまった結果が今の姿なのです。そして新しいアイデアなんてこれっぽちも浮かんではきませんでした。
そうして、何もしないまま時間だけがたっていきました。
疲労と傷からくる体のほてりが、彼の意識をぼんやりとさせていき、森の落ち葉の腐った香りや青臭い若葉の臭いが、彼を心地よく包み込んでいきます。
木漏れ日がきらきらと揺れる中、いつしか彼は眠りに入っていました。

再び、湖の砦の中。
大広間で二匹の竜が口げんかしています。
「しかし、セバルー、お前も甘いのう」
 アローエンはため息をついて頭を抱えました。
「あの子にあのままいられても、戦力にはならないよ」
「あの方の存在はわれわれの士気に関わる。それが大きいのじゃよ。」
『どうせ、勝ち目のない戦いだ』
 セバルーは声を殺してつぶやきました。
「まぁ、気が済んだら帰ってくるだろうさ。あの子の居場所なんて他にどこにもないんだから」
「魔法使い殿はどうした?彼が味方してくれたらこちらも心強いのだが」
「あの人ならもう出ていったよ」
「何てことだ、みすみす黙って見送ったとでもいうのか?」
「情けない事言わないでくれよ。誇り高き竜族の長老ともあろうお方が。だいたいあの人は俺達には何の義理も無いんだぜ」
「我々だって、どうしても勝たねばならんのなら、頭なぞ幾らでも下げるわい」
「ちぇっ。それじゃ何のために戦うって言うんだ」

森の中、日はとうに暮れて光は無く、葉の上で鳴く虫の声は頭の中まで響いてくるようでした。昼間でも薄暗い森は、夜になるといよいよ真っ暗闇となり、目の前に手をかざしても全く見えないほどの暗黒がルルト包んでいました。
 昼間ぐっすりと眠っていたので、夜だというのにやけに眼が冴えている今のルルト。
 何も見えないとさすがに心細くなっていきます。人間だった頃には、夜の森というのは恐ろしいものでしたから。
「まぁ、怖がることもないか」
 そう言って彼は立ち上がりました。なんたって今の彼はドラゴンなのです。
 大きく息を吸って、腹の底から一気に吐き出すと、それは赤い炎となって周囲を照らしだしました。後はそれを適当な木切れに吹き付けて、たいまつにします。
「お腹減ったなぁ……」
 たいまつを持って、ルルトは森の中を適当に進んでいきます。
 翼は怪我をしたときに傷んで、しばらくは使えそうにありません。それ以全前に、空を飛ぶために必要な助走がここでは出来ませんでした。
「何かないかなぁ……」
ドラゴンになった今の彼は肉食で、木の実や草を食べることは難しいのです。
でも森の生き物達はたいまつの光だけで姿を隠してしまい、なかなか捕まえることもできない有様。
「明日になったら、また戻ろうかな……」
 空腹がルルトを弱気にさせていきました。こんな森の中で生きていくなんて彼にはとてもできそうもないと思いました。

 森を彷徨っていると、突然森が途切れて、なだらかに開けた場所が現われます。
 憂鬱の原因となっていた、うっそうと覆いかぶさっていた枝葉は消え、月と星が姿を見せています。そして、風。
「ここは……」
 目の前に広がる空き地は広さが2,3キロ四方ほどで、大小さまざまな岩が、月明かりに照らされて青く光っていました。岩の大きさは、大きいもので彼の背丈の数倍はありそうなものから、膝くらいの大きさのものまで。それが何千と並べられています。
 あれだけ濃密に茂っていた森が突然なくなっていることに、さすがに不自然さを感じずにはいられません。
「不思議なところ……」
 彼はその空き地の中へと足を踏み入れていきます。
 先ほどからルルトは妙な安堵感を得ていました。森を抜けたせいなのかも知れませんけれども。
「どうせ、何も捕まらないんだから」
 ここで夜を明かそうと彼は思い、大きな岩の上に木切れを積み上げました。
 そこに彼が火の息を吹き込むと、パァッという音と共に木切れは勢いよく燃え上がります。
それらが一通り終わると、彼は焚き火のそばでごろりと仰向けになって、星空やらをぼんやりと眺め始めました。
暗く透明な夜空の奥の星を吸い込まれるほど見入っていると、まるで星空が回転しているのがこの眼で見えるかのようでした。

それからどれくらい経ったでしょうか。
焚き火の火は随分と小さくなっています。
ルルトはまぶたの力を抜いてうつらうつら。
ぼんやりと、ここに来てからしばし忘れていた彼の周りのことを、再び思い出します。
「どうすればいい……?どうしようもないのか……」
 ここに来る前に彼が見た人間の軍隊。あれがセバルー達と戦うのだろうか。彼らにルルトの言葉は通じませんでした。
「もう、どうしようもないのか……」
 ルルトはぶつぶつ呟きながら眼を閉じました。

『火を消したらいい』
 かすかに、どこからか声がしました。
『火は嫌いだ』
 その声に、ルルトは眼を開きます。
「誰?」
 彼は起き上がって周囲を見回しました。
『火を消せよ。山猫』
山猫とは、昔彼が人間だった時、いじめっ子が彼につけたあだ名でした。彼がちびで、目がくりくりしていたのをからかわれていたのです。
「何でそれを?」
『なにが言いたいのか分からないよ。もっとはっきり言えよ。よそ者のくせに』
 気が付くと、焚き火のそばに小さな人影が見えます。
 彼はその姿に見覚えがありました。
「ラドリー!」
 ラドリーは村の餓鬼大将でした。
『お前みたいな奴は、どっかに行っちゃえばいいんだ。足手まといなんだよ』
『俺、お前と一緒に遊ぶのイヤだよ』
『みんなもそう思ってる。お前なんかいらないって』
『かわいそうだから一緒にいてやってるだけだ。別に君が好きなわけじゃないよ…』
 次々と現われる小さい子供は、口々に彼の心に刺さる言葉を投げかけてきます。
「ギド、マーニ、ルジー……リノル」
小さい子供は、どんどん数を増やしていきました。そのどれもが見覚えのある、昔学校で一緒にいた子供たちでした。
『やーい、もらわれっ子!お前なんかいなくてもいいんだぜ。いないほうがいいんだぜ』
 小さい子供たちは、やがて互いに声を合わせて叫び始めました。
『いないほうがいい!いないほうがいい!』
やがて彼の周りには何千、何万という小さな人間たちが群がり、全員が同じ言葉を叫び始めました。
『いないほうがいい!いないほうがいい!いないほうがいい!いないほうがいい!』
 その声は、彼の全身をもみくちゃにするくらい、大音量で響き渡りました。
「うるさぁい!」
 ルルトは立ち上がると天に向かって大声で叫び、その拍子に口から炎を吐き出してしまいます。
『うわぁぁ!うわぁぁ!』
『火だ!火だ!』
 小さい人々はいっせいに驚きます。
『ドラゴンだ!ドラゴンだ!』
『憎い!憎い!』
『やっつけろ!やっつけろ!』
 小さい人々は次々に小さい兵隊へと変わり、武器を持って彼に襲い掛かってきました。そして獲物に群がるアリのように、ルルトの身体によじ登り、彼の体を覆いつくしていきます。
小さい人々はルルトの身体を小さな武器でつついたり、まぶたをこじ開けたり、耳や鼻や口からからもぐりこもうとしてきました。
ルルトは怖くなって後ずさりし、その拍子に足を滑らせてどたりと倒れこんでしまいました。
さらに、仰向けになったルルトの上におびただしい小人の群れがのしかかってきます。
彼にのしかかった小人たちの輪郭はぼやけてきて、群集はまるでひとつの巨大な生き物のように動き始めていました。
 それは彼の上で大きな灰色のドラゴンに姿を変え、彼に向かって白い牙をむきました。
『この面汚しめ!この面汚しめ!』
 口から泡を吹きながら、そのドラゴンは叫びます。
 ルルトはその様子をただ怯えながら見ているほかありませんでした。
「だ、だから、何だっていうんだよ!」
 ルルトはドラゴンに向かって叫びました。
『こいつ、口答えしたぞ』
 ドラゴンはルルトの目の前に顔を近づけ、真っ赤な目を見開いてそう言うと、その顔をみるみる人間の顔に変えていきます。
「ラ、ラドリー……」
『生意気な奴!生意気な奴!』
 その顔が左右に引っ張られたかと思うと、二つに分かれて、それぞれが言葉を発してきます。
 3つ、5つ、10、30……。
顔は次々に増えていき、そのどれもがルルトの記憶にある村の住人にそっくりです。身体はドラゴンのままで、無数の顔がついた怪物になった群集がルルトの上にのしかかっていました。
『生意気な奴!生意気な奴!生意気な奴!生意気な奴!』
 無数の顔はドラゴンの体の上で蠢きながら、おうむ返しのように同じ言葉を叫び続けました。その言葉がルルトの心をちくちくと刺し続けました。
「た、たすけて……。僕が悪かったよ」
 ルルトは眼を閉じて、とうとう弱音を吐いてしまいました。

『意外と耐えたじゃない……』
 小さな子供の声があたりに響きました。
『すぐへばっちゃうかと思ったのに』
 ルルトの上にまたがっていた怪物は、その声にぴたりと動きを止め、声も出さなくなりました。
 先ほどの声の主は、目の前の怪物ではないようです。
『君はドラゴンなのに、おかしな過去を持っているんだね』
 ルルトの目の前に小さな子供が姿を現しました。
その子供の背中にドラゴンの翼が生えてくると、ふわりと宙に浮かび上がりました。
『こんなに集まるなんて』
 ルルトの上にのしかかっていた怪物は、なぜかその小さな子供を見て怯えているように見えました。そしてルルトのそばから離れて、後ずさりしていきます。
 身体が自由になったルルトが立ち上がると、小さな子供はその肩の上に降り立ちます。
『夢喰い蟲さ。今日はたくさん湧いた』
 ルルトが尋ねる前に子供は語りました。
『君の悲しみや怒りを食べにくる。そのために君が嫌がるものを見せてくる』
 ルルトが子供に向かって何か言おうとすると…
『私も君の影。でも安心して。君を食べたりしない』
 と、また先に答えられてしまいます。
 気が付くと、目の前の怪物は、身体のあちこちがありえない方向に曲がって、幾つもの眼を持った真っ黒な木のような姿になっていました。
『生意気な奴!生まままま意いい気ななな奴!なななんんままいいいあままいいいあきききんあいなやつつつつつつつつうううぅぅぅぅ!!!』
 怪物の言葉がだんだん聞き取れなくなっていきます。
『こいつらに知能はない。ただ君の思い出に反応しているだけ…』
 怪物は言葉を失うのと同時に、身体の輪郭もおぼろげになっていって、とうとうぐにゃぐにゃの黒い塊になってしまいました。
ルルトが息を殺してよく見ると、それは無数に蠢く小さな蟲の集まりでした。赤い一つ目をした足の長い黒い蟲です
子供はルルトの肩から飛び立ち、蟲の塊に近付いていきます。
蟲の塊は見上げるほど高く飛び上がり、子供に覆いかぶさってきました。
『立ち去れ』
 その声と共に子供は手をかざし、その先から青白い光の球を生み出します、その光に触れた蟲の塊はバラバラにほどけて周囲に散らばっていきました。
 光の球は、最初はゆっくりと、そしてだんだん早く膨らんでいって、蟲の塊はさらさらと崩れながら押し出されていきました。
 光の球は辺りいっぱいに膨らんでいくにつれて暗くなっていき、しまいには周囲の闇に溶け込んでしまいます。その頃には、あんなにいっぱいいた虫もいなくなってしまいました。
ルルトは何が起きたのかも良く分からず、そこに立ち尽くすばかりでした。

その頃、湖の砦には見慣れない顔のドラゴンが来ていました。緑色の重そうな鎧に身を包み、赤銅色の鱗を持つ、たくましいドラゴンです。
「ヴカーム!懐かしいな!!」
 セバルーはそのドラゴンの肩を叩いて歓迎しました。
「セバルーか!?30年ぶりだな。あの腕白小僧がでかくなったもんだ」
「あんたも部族長とは出世したもんだぜ」
 そのドラゴンは大広間に案内され、そこでアローエンに出会いました。
「ようこそ。ヴカーム殿」
「これはこれはアローエン様」
 ヴカームという名のドラゴンはアローエンの前で両膝を付き、頭を低く下げて敬礼します。アローエンは彼らの間ではそれなりに高い地位のドラゴンであるようでした。
「早いな。部隊の訓練も行き届いておる」
「我々は元来集団で暮らしていたので、部隊の編成は容易でした」
 ヴカームは立ち上がって言いました。
「未だに集団で暮らせるとは、よほど竜族にとっては良いところなのだろうな」
「はい。東の山脈は急峻ゆえ、人間には近寄りがたいところです。それゆえ我々は心置きなく暮らせたのです」
 ヴカームは天を見上げました。
「しかし、最近はそこにまで人間が来るようになってしまいました」
 そう言って彼は眼を閉じます。
「聞くところによれば、銀の鉱脈を見つけたからだとか……」
 その言葉は苦々しさで一杯でした。

 セバルーがベランダから庭を見下ろすと、たくさんのドラゴンが隊列を組んで並んでいました。みな鎧を着込んで、長い槍を持っています。
「我らの数は46だ」
彼の後ろからヴカームが近寄ってきて、セバルーに告げました。
「46か。かなり多いな」
「おそらく最大多数になるだろうな」
「気になったが、あんたや部族の者達が着けている鎧や槍は何だ?」
「これか?」
 そう言って、ヴカームは自分が着ている鎧をなでました。
「こいつは、人間と取引して手に入れたものだ。他の者の分も用意したから、欲しければくれてやる」
「人間と取引か!?」
 セバルーは眼を丸くして驚きました。
「ま、彼らの中には我々と取引を望む者もいると言うことだ」
「敵の敵は味方か……。一くくりにはできないものだな。人間というのも」
 セバルーは手すりに寄りかかって顎をかつぎました。
「それにしても、人間を倒すために、人間の作った武器でねぇ……」
 下のドラゴン達が身につけている青銅の鎧は丁寧に仕立ててあり、まだ新しいのでたいまつに反射して金色に輝いています。持っている槍も同様でした。
「どいつもこいつも、プライドってもんがないのかねぇ……」
 セバルーはふてくされていました。
「お前は相変わらず意固地だな。たとえ敵でも相手の良いところは認めろ。我々がこうも劣勢に追いやられてしまったのも、我々の持つ頑なさのせいなのかもしれん。我々は自分の持っている爪と翼と炎を過信しすぎていたからな。…我々ももっと謙虚になるべきだったのだ」
 ヴカームはセバルーの隣で両腕を組み、手すりに背中を預けて自嘲気味に言います。
 セバルーはそれに答えることもなく、手すりに顎を乗せたまま、くたびれた表情で眼下を見下ろしていました。