第五章 戦いの中で



「ラクロ、砦に集まったドラゴンは何体いるか?」
 ナセルは望遠鏡を覗いている士官に尋ねます。
「良く分かりません。何せ、彼らは夜に集まってきていますから」
 ラクロと呼ばれた士官は望遠鏡から目を外して告げます。
「そうか。少しは頭が働く相手のようだ」
 ナセルはそう言って、朝もやの先に見える湖の砦に目を凝らしました。
 砦は青い影に染まり、その上に5、6匹ほどのドラゴンらしき影が動いているのが見えるだけです。
「それよりも厄介なのは、彼らが空を飛ぶ事です。今朝も一体の赤いドラゴンが上空を横切っていきました。こちらの様子は丸見え、あちらの状況は不明。これは少し不利な条件です」
 そこへ、遅くに起きたセロムがやってきました。
「これは、お目付け役殿は遅いお目覚めで」
 ラクロは少し皮肉とも取れる言葉でセロムへ挨拶をしました。
「陣容も固まってまいりましたな」
 セロムはそれを気にする様子も無く言います。
「あなたにはそう見えるようですが、まだ例のものが配置されておりません」
 ラクロはすこしいらいらした様子で言いました。
「例のものとは?」
 セロムは訊きます。
「『竜砲』の事だ」
 ナセルが教えました。
 竜砲とは、今回の戦いでナセルが用意した対ドラゴン用の武器の事です。あまりに大きいので人が2人がかりで動かさなければならず、安全な場所の確保が必要とされていました。
「そいつを入れる塹壕を掘るのに手間取っている」
 ナセルはラクロを塹壕掘りの監督に向かわせました。
「戦いの前は皆がイライラしている。特に貴殿のように戦いに無知な者がいるとな。許せ」
 ナセルはセロムにそう告げて、部下の非礼をわびます。セロムにとってみればその言葉すらとげとげしく聞こえましたが。

 砦ではルルトの帰還を皆が待っていました。アローエンは大いに怒りましたけれど、今は時間もないのでこれといったお咎めは受けずに済みました。そもそも、群れるという事に不慣れなドラゴン達に規律という概念はなじみのないものでしたし。
「皆を困らせた分、大いに働いてもらわなければな。リシオン殿」
 アローエンはただでさえ長い口をさらに尖らせて言い聞かせます。彼は決してルルトの事を本名では呼びません。
 セバルーはアローエンをなだめつつ、ルルトに言います。
「戦いまでに間に合ってよかった。大将がいないんじゃどうなる事かと思ったよ」
「勝手な事ばかりしてごめん。でも、もう覚悟は決めたよ」
 そう言って、ルルトはまっすぐセバルーの目を見ます。
「頼もしいな」
 彼らは演説の準備に取り掛かりました。

 セバルーの号令に合わせ、砦のドラゴン達は中庭に整列しました。
その数約100頭。
 ルルトは砦のテラスからそれを見下ろして大きく息を吸い込み、ゆっくりと言葉を発し始めます。
「僕が諸君達の大将となるリシオンだ」
 ドラゴン達の中からどよめきが起こります。それほど、リシオンというドラゴンは彼らの間では大きな存在なのでしょう。
緑、青、黄、橙など様々な色と姿を持つドラゴン達は、皆一様に彼の姿を注視していました。その視線を一身に受けて彼の鼓動は高鳴ります。
「我々の一族は、人間によって長い間排斥されてきた。住む所を追われ、ちりぢりばらばらになって狭い穴倉で暮らさざるをえない年月が続いてきた。人間は鉄を作り出し、それから我々の敗北の歴史は始まったのである。
 しかし今、我々も新しい武器を手にした。青銅の鎧と、どんな爪よりも強い竜槍(ドラゴンランス)、そして今までの我々にはなかった諸君達の団結である。
これから我々は総力を挙げて人間に対して戦いを始める。我々が受けてきた長年にわたる抑圧と略奪への終止符を、この戦いによって勝ち取るために。
 我々には翼がある。それは大いなる空を飛ぶ為であり、すなわち自由を得る力そのものだ。我々の住む所は暗い穴倉ではなくこの空そのもの。風を友とし、雲を慈しむのが我々真の姿なのだ。
 そのためにも、この戦いに我々は勝たなければならない。勝って再び自由を手に入れなければならない。かつて空を我が物としていた祖先のように。
 幸い、地の利は我々にある。たとえ相手の数が多かろうと、空から攻めれば地上に這う敵の陣地は薄皮をはぐようなものだ。だから僕は勝利を確信する。
 そして取り戻そう。我々に自由を!翼に風を!」
 ルルトはそう言って雄雄しく翼を広げ、両手を天にかざします。それに呼応するように、ドラゴン達は拳を天に突き上げ、かけ声を叫びます。
「我々に自由を!翼に風を!」
 歓声が巻き起こり、湖は震えるかのようでした。
 その声に包まれて、ルルトはテラスから建物に引き返していきます。
「よくやりました!よくやりましたとも!これで皆の士気も上がりましょうぞ」
 アローエンは、カンガルーのようにその場で飛び跳ねそうなほどに嬉しそうでした。先ほどの演説はセバルーが用意した物なのですけれども。
 ルルトは愛想笑いをしながら、彼の前を通り過ぎました。
『こんなの、まるで僕じゃないよ』
 心の中でそう呟きながら…。

 ドラゴン達は互いに気勢を上げながら与えられた武具を身につけていきます。
「数が足りない。俺にもよこせ!」
「なんだと、早い者勝ちだ」
 中には喧嘩になりそうな者達もいます。
 ルルトは屋上から黙ってその様子を眺めていました。そこに後ろからセバルーがやってきます。
「なかなかの役者だったぞ」
 セバルーは言います。
「道化師さ」
 ルルトは眼下のドラゴン達を悲しそうな目で見ていました。
「彼らも、僕の言葉で戦いに行くんだね…」
「気にするなよ。みんなここにいる時点で覚悟は決めてある」
「こんな空々しい言葉に、人生を賭けるなんておかしいよ」
「本音だけで生きてちゃ、みんな何もできないものなんだよ。だからこういう言葉が要るのさ。けだものが人になるためのね。君も元人間だったら、そういうことぐらい分かるだろうに」
「あいにく、人生経験が少なかったからね」