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昼になり、ついに戦いが始まります。
人間側のラッパの音に合わせて、湖に浮かべた小船から数本の矢が放たれたのをきっかけに、双方火炎と弓矢の応酬が始まりました。それが人とドラゴンの戦いの始まりでした。
ついさっきまで静かだった湖を、風を切る轟音といきり立った叫び声、空を舞う弓矢と翼とが埋め尽くしていきます。
ナセルの陣営は湖の上に小船を並べ、そこに配置した弓矢の部隊から城への攻撃を続けました。弓矢の先には火薬が巻き付けられ、城に着弾すると大きな音を立てて爆発します。
ドラゴン達は空に舞い、急降下しながら火炎によって湖上の小船や岸の陣地を襲います。
さすがに人間側の本陣は守りが厚く、攻め入ろうとするドラゴン達の視界を埋め尽くすほどに放たれる矢の為に近付く事はままならない様子です。
「これでは、こちらの陣容は敵に丸見えですな」
セロムは飛来しては弓矢に追い払われるドラゴン達を見ながら言います。時々彼らの翼が太陽を覆い隠し、陣地が影に没するのです。その度に彼の心は穏やかではなくなるのでした。
「仕方があるまい。空を飛ぶものを相手にするのは初めてのことだ。それなりに考えては来たがそれでも至らぬ所はあろう」
ナセルはむしろその様子を楽しむかのように、微笑みながら言い放ちます。
「敵にとって不足はない。良い戦いができる」
その様子を見て、セロムは改めて彼が怖くなるのでした。
「お前がどれくらい強くなったのか、この目でしかと見届けてやる」
「は!足手まといになるのは勘弁な」
「面白い!」
セバルーとヴカームは共に飛び立ちました。
ヴカーム将軍は配下の武装したドラゴン達を引きつれ、側面から本陣を叩くつもりでした。
彼らの手には長さ5メトリ(約5メートル)にもなるかというほどの槍が構えられています。
「第一波、参る!」
ヴカームのかけ声が響き渡り、空中でドラゴン達は真一文字に隊列を組みました。
それから、ドラゴン達は槍を構え、ものすごい速さで滑空しながら敵の本陣へと突撃していきます。
応戦の弓矢が飛んできます。ドラゴン達は構えた槍をそのままに、左手の盾を前面に構えました。盾に矢は次々と弾かれていきます。
「総員打ち方止め!退却!」
人間側のかけ声も間に合わず、ヴカーム達の突撃部隊は黒い突風にように本陣を舐めまわし、幾人もの兵士が宙を舞いました。
続いて第二波、第三波が立て続けにやってきました。部隊は体勢を変える暇もなく、ドラゴン達の槍の餌食になっていきました。
ドラゴン達が通り過ぎた後、本陣の左側がごっそりとえぐり取られたようになって、それを見たセロムはおののきます。
「ドラゴン達は組織だって動く事はないと聞いたが…。こうも訓練されているとは」
セロムは冷や汗を流していました。
「連中ももはやこだわっていられんということかな。作戦を立て直す必要がある」
ナセルの表情は真剣でした。
「ハハ!こんなに気分がいいのは久し振りだ。見たか奴らの顔を」
ヴカームはさも感慨深げに大笑いしました。
この日の為に、彼らは慣れない訓練や交渉を積み重ねてきたのです。ドラゴンは組織だって動けない、と思い込んでいる人間達を出し抜いたのでした。
ナセル達もされるままでいたわけではありません。
兵士達は皆、石綿を編みこんだ盾を持っていて、ドラゴン達が放つ火の玉を防いでいました。
彼らは飛んでいるドラゴンの翼に向かって弓を放ち、傷付いて地上に落ちてきた者を取り囲んでいきます。
そしてネズミの這い出る隙間もないほどに密集して槍を構え、哀れなドラゴンを突き回しました。そうやって何頭ものドラゴンが抵抗空しく串刺しにされていくのでした。
「ああ、また一人…」
その様子を砦のてっぺんから眺めていたルルトは、顔をしかめながら呟きます。
「早く、戦いを終わらせなくちゃ」
彼は焦ります。人間でもドラゴンでも、誰が死ぬのも彼は見ていたくはなかったのです。
彼の戦う準備は既に整っていました。体には戦うための鎧が革のベルトで巻きつけられ、太陽に反射して輝いています。
「行きますか?リシオン殿…」
奥の部屋からアローエンの声がします。
「ありがとう。僕のために、こんな装備まで用意してくれて」
「何をおっしゃる。大将は一番立派ないでたちでなくては」
さすがに老体の彼は、参謀としてこの砦に残ることになっています。
「大将なんだから、もっと先陣を切らなきゃいけないのにね」
「昨日の事はもう忘れました。戦いを前にしていなくなるとはどういうことかと思いましたが。こうやって戻ってきてくださった」
皆、彼を信じてくれているのです。たとえそれがかりそめの彼だったとしても。
「僕は、ひとりじゃない」
彼は呟き、その言葉を噛み締めます。
『ひとりじゃない』
行かなきゃ。と彼は思いました。戦いを終わらせるために、今彼ができる事。それをするために。もう時間はないのです。
彼は大きくて真っ赤なマントを羽織りました。大将の旗印です。
「行こう!」
彼の護衛についている二頭のドラゴンにそう呼びかけ、彼は翼を広げ、すぐさま飛び立ちました。
少し遅れて、護衛のドラゴン達もついてきます。
彼らは空高く舞い上がり、しばしそこに留まって地上を見下ろしました。
空からはナセル達の陣地が丸見えです。ルルトは大将のいる場所を探します。
「ついてこい!」
命令。そして、急降下。
目の前に地面がみるみる近付いていきます。大きなテントがある場所が、大将のいる所に違いない。彼はそう考えたのです。
そのテントのそばに、黒い馬に乗る真っ青な衣装の男が見えてきます。ナセルです。
『あの人を倒せば、戦いは終わる…!』
ルルトの顔は険しくなりました。
急接近してくる赤いドラゴンに気付き、馬に乗った男は天を見上げます。曇り一つないその鋭い眼光。男は彼を見て笑っているようでした。
すぐにおびただしい数の弓矢が彼に向かって放たれます。それを防ぐのは護衛に任せました。
ルルトは精一杯の力で、口から火炎をしぼり出します。それは一直線に男の方へ向かって飛んでいきました。
その瞬間、男の周囲から灰色のベールが天に投げかけられたかと思うと、それは彼の放った炎を包み込み、そのまま地上に落ちていきます。
ルルトはなおも速度を上げながら下降を続けていました。
「まだだ!」
彼は槍を構えました。
「リシオン様、深追いは禁物です!」
危険を察知し、既に減速を始めていた護衛のドラゴンが彼に呼びかけます。しかし彼は聴く耳を持ちません。
そして、男の方へまっさかさまに突撃していきます。
男が馬に鞭を入れると、その馬は鹿のように俊敏な跳躍でその場からいなくなりました。
忽然と姿を消した男の姿を探す暇もなく、ルルトは地面に深々と槍を突き立ててしまいます。
槍から手を離した彼は地上に足を付き、そして周囲を見回します。
「ほう…若いな」
彼の背後で声がしました。振り向くと、悠然と馬に乗った青い鎧の男が彼を見ていました。
「あなたを倒して、戦いを終わらせる!」
ルルトは彼をにらみつけます。しかし男は全く動じた様子も見せません。
「ふふ、そうか」
そんなやり取りの間にも、周囲には続々と兵士達が集まり、密集した槍をこちらに向けてきます。図体の大きいドラゴンは、地上に降りたままではどうしても不利です。
「今回は残念だったな」
男には遊んでいるかのような余裕すら感じられました。
ルルトは仕方なく、その場を飛び立ちました。なぜか、後ろから矢は飛んできませんでした。それがまるで男に同情されているように思えて、彼は内心穏やかではありませんでした。