第六章 決着の後で
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次の日は雨でした。
ドラゴン達は火が使えず、人間達は弓が使えません。
そこでドラゴン達は竜槍による攻撃に切り替えましたが、人間達も塹壕を掘り、そこに隠れてなかなか攻撃させてくれませんでした。
人間達の背後はうっそうとした森で、ドラゴン達は背後から奇襲というわけには行きません。
「案の定だ。こちらのやり方を学ばれてしまったな」
砦の塔から戦場を見ながら、ヴカームは険しい顔をして言います。
塔のてっぺんにはヴカームとルルト、そしてセバルーがいました。
雨は三人の体を足まで濡らしていました。彼らはここから戦場の様子を見守っていたのです。
対岸の上空には数匹のドラゴンがいましたが、地上へはなかなか降りられずに陣地の上をふらついています。もちろんそれは牽制の意味をこめて送り出した部隊でしたけれど。
「今日は動きそうにないな」
隣で同じ方向を眺めているセバルーは、やれやれといった様子で呟きます。
彼の言葉に、ヴカームはとがった歯を見せながら眉間にしわを寄せました。
「このままでは我々の方が不利だ…」
「なぜ?」
ルルトは聞きます。
「そもそも、我々は勝たなければ未来はないのだからな。しかしあちらはそうではない」
雨は遺跡にも降り注ぎ、ジムはせっかく描いた魔法陣を全て台無しにしてしまいました。
そして今日は石造りの廃墟の中でひとり、むすくれた顔をして立てこもって、雨が通り過ぎるのを待っていました。
ロバの食料は周囲にいくらでも生えていますが、ジムの食べるものはせいぜいあと3日持てばいいほうです。その間に彼はやるべき事をやらねばなりません。
「それでも駄目であれば、ナセル殿に頭を下げておすそ分けを頂くかな…」
想像してもあまり気持ちのいい光景ではありません。
干し肉を引きちぎり、固いチーズを切って並べ、雨水をためて火を通し、お茶を入れます。それが彼の食事でした。
ヘッギーは縄を解かれて、雨だと言うのに実にうれしそうに歩き回っては、そこいらに生えた草を食んでいました。
彼がわざわざ雨水を飲んでいるのは、ここの水は汚れていると聞いていたからでした。
こんなにうっそうと茂った森の中、草木も生えない沼というのは、どう見ても異常です。
近付いてつぶさに観察すると、それは奇妙な鼻につくにおいを発して青くにごり、そしてぶくぶくと泡立っているのです。
「燃える水、のようだな…いや、違うか」
彼は、交易で南から運ばれてくるという燃える水の事を知っていました。
ここの水も、確かに燃える水とよく似ています。ただ一つ違うのは、ここの水は燃えない、という事でしたが…。
ふと、ヘッギーが草を食べるのをやめ、首を持ち上げて東の方を向きます。
魔法使いが耳を澄ますと、カーン、カーンと、木を切る音が聞こえてきました。
「もはや、なりふり構っていられんという事か…」
ここの森は言ってみれば鎮守の森です。この遺跡を森にうずめておくためにも、森の木を切る事は禁じられていました。
国から遣わされたナセル大公であるのなら、その事は知っているはずです。
「いかだを使えば、砦の攻略もたやすかろう」
今ここで木を切って何をするのかは、魔法使いにもたやすく想像がつきます。
「それにしても、昨日の精霊はどこへ行ったのかのう。また夜にならねば会えんのか…」
雨が上がり、太陽が雲の切れ間から覗いてきます。
士官のラクロはセロムの命に従い、150名の部隊を率いて湖の河口の森に来ていました。
部隊は森に入り、そこで伐採を始めました。彼らは曲がった木は無視し、まっすぐな針葉樹ばかりを切り倒していきます。
切り出された木々はすぐに枝を落とされ、縄を使って組み上げられていきます。その作業は見事に統率されて、流れるように進んでいきました。
昼過ぎには人が5人ほど乗れる大きさのいかだが10隻ほど組みあがります。
「まだまだ足りない!夕刻までに30隻、出来るな?」
いかだが川に進水していくのを見ながら、ラクロは皆を叱咤激励します。
兵士達は勇ましい返事と共に、汗だくになりながら木を切り出していきました。
「もう一度総攻撃をかけよう。このままではますますこちらが不利になる」
ルルトの言葉に皆がうなずきます。
一旦晴れた空はすぐに灰色に陰り始めていました。さっきまで蒸し暑かった風がふいに涼しくなってきています。
「また雨が来る前に…」
ルルトは地面をけり、空に飛び立ちます。他のドラゴン達も次々と砦から舞い上がりました。
「総員、構え!」
ヴカームの大喝でドラゴン達は一列に並び、脇に構えた長槍を固定します。ルルトやセバルー達はその先頭に陣取り、真っ先に突撃する役目です。
上空にいると、風の音がよく聞こえます。雲の中から遠雷のうなり声も。皆は次の命令を、息を殺して待ち構えてました。
煙の上がっている地上の敵陣はとても小さく見え、ルルトの心臓は高鳴りました。
「突撃!」
ルルトはありったけの大声で叫びました。
その瞬間、周囲の空気が激しく動き始めます。おびただしい数のドラゴンがいっせいに羽ばたいて巻き起こした風です。
風はドラゴン達と共に、敵の本陣に飛び掛かります。
ドラゴン達の覇気は目に見える全てを飲み込んで燃やし尽くしてしまうと思えるほどで、皆雄雄しく咆哮を上げながら一団となって急降下していくのです。
セロムの本陣から空を見上げると、太陽を背におびただしいドラゴン達がこちらに降下してきているのが見えました。
ドラゴン達は一糸乱れずに雁がね型の編隊を組み、まるでそれは天を覆いつくす鋼の翼のように、セロムの本陣を影に沈めました。
兵士の間には動揺するものも多くいました。戦いなれた彼等と言えども、これは初めての経験でしたから。
「どうやら、こちらの狙いも読まれたか。しかし…」
セロムはまだ落ち着いていました。
「竜砲、用意!」
セロムの号令が周囲に響き渡ります。
それを待っていたかのように、本陣の周りにあるテントが崩れ、中から巨大な砲身が姿を見せます。
「ドラゴン達よ、我々が得たのは、もはや鉄だけではないのだ…」
「鉄の筒!?」
「何だあれは?」
降下するドラゴン達は口々にそう言い合いました。
今までに見たこともない、神殿の柱のような黒い鉄の筒が何本も姿を現したのです。
「撃て!」
号令と共に、それらの円柱は火を噴き、耳を劈くような轟音があたりの空気を揺らしました。鉛色の煙は津波のように周囲に押し寄せ、黒い弾丸はドラゴン達の方へと目にも止まらぬ速さで飛んでいきます。
「みんな、避けろ!」
ルルトは無我夢中で叫びました。
弾丸は彼らのそばで破裂し、そのかけらが真っ赤な火の粉となってドラゴン達に襲い掛かりました。
それは彼らの体や翼に突き刺さり、編隊の半分ほどが衝撃と負傷によって地上へと落ちていきました。
残ったドラゴン達は慌てて上昇体制に入り、必死でその場を離れます。その間、地上では落ちていったドラゴン達が兵士に囲まれて次々と仕留められていきます。
「何てこった…」
ルルトは全身の力が抜けていくのを懸命にこらえながら、何とかその場で旋回をして下の光景を見ていました。
耳の中の反響と、あたりに漂うつんとした煙の臭いで、頭が朦朧とするのでした。
「気をつけろ。また撃ってくるぞ」
セバルーは大声で叫んでいました。その声でルルトは我に帰ります。
「退却しろ!このままでは統制が崩れる。そうなれば奴らの思う壺だ」
ヴカームがルルトの元へと近付き、言いました。
さっきまで一糸の乱れもなかったドラゴンの編隊は、すっかり散り散りに空を漂っています。
地上に残された者を見捨てるのは彼にはつらい事でした。しかし、このままでは被害が大きくなる一方です。退却はやむをえない事でした。