終章
「何もかも終わってしまった…。全てが夢のようだ」
いつもの丘の上から村を見下ろし、魔法使いは嘆息します。村人は、まるでルルトなどという少年が初めからいなかったかのように、いつもの毎日を送り、たわいのない事で喧嘩したり笑いあったりしています。
彼は吹きすさぶ風に目を細め、乱れた髭を整えます。
皺がまた増えた。顔の手触りでそう感じていました。
「世界は何か変わったのだろうか…」
今も世界は同じことの繰り返しているように見えます。しかし、彼は知っていました。ドラゴンと人間が、この世界の片隅で新しい歩みを始めていることを。
鏡は既に無く、鏡の主もあれから現われることはありませんでした。
「答えは明日の中にある」
「彼にはつらい思いをさせてしまった」
風の中、誰かの声が聞こえてきました。
「だが、彼は我々が想像がつかないくらい、たくさんの事をしてくれた。彼に託したこの思い、無駄ではなかった」
もう一人、別の声。
「こんなに嬉しいことはない」
魔法使いが振り返った先には、青空がただ広がっているだけでした。
風がただ吹いていました…。
エピローグ
彼は暗闇の中にいました。とても長い間、ここにいたような気がしていました。
夢のようなおぼろげな記憶が、まだ彼の頭の片隅に残っていました。
何も見えない中、彼はけだるそうに手足を伸ばして周囲をまさぐります。
「おやおや、もうこんなに動いて…」
彼は柔らかな腕で優しく抱かれ、その暖かな感触に安堵しました。久方振りに感じる安らぎに思えました。
「玉のようなお子様です。本当におめでたい」
「そうか。良かった」
「おめでとう。あんたの子供か」
人々が喜ぶ声が聞こえました。彼にとってはどこか懐かしいような声も。
「貴殿にまずは見せたかった。抱いて見ろよ」
やがて彼は、鱗のある固い手で抱き上げられました。
「俺の手では傷つけてしまいそうだな」
その声はまるで我が事のように弾んだ口調で言います。
「この子が目覚めた時、どう思うかな」
もう一人の声が、抱いている者へと問います。
「この子は俺達が想像できないような目で、世界を見るはず…。俺達をいがみ合う者ではなく手を携える者として見るのだ…。何もかもが俺達とは違って見えるのだろうね」
固い手は優しく彼をベッドの上に置きます。
「よい国にしよう。この子の為にも」
「そうだな、セバルー。貴殿の力も貸してくれ」
彼は再び眠りに落ちていきました。安らかな眠りでした。
彼の中にあるおぼろげな記憶が、ゆっくりと蒸発していきます。それらが消えていくのを感じながら彼は確信していました。もう、そんなものは必要ないのだと…。
再び目覚める時は、遠くはありません。
(おわり)