異形見聞

作:冬風




 俺がそこを訪れたのは偶然の事であった。製薬会社の営業担当という仕事柄、その手の世界つまり薬学や生物関係の研究所とは付き合いが深くこれまでにも幾度と無く会食やパーティーに呼ばれたりする事はあった。とは言え、バブルの頃と比べると格段に減り少し寂しいのもまた事実である。そんな折、突然とある研究所から俺宛に招待状が届いた。『江渡守生物学研究所』、1年ほど前から取引関係にあるこの研究所の渉外担当を始めとした面々と妙に気が合った俺はそれが縁で、その研究所より様々な製品、特に消耗品類を自分の会社から一括して仕入れるという契約を結ぶ事に成功した。その時俺はその契約に対して特には思わずに、ただ成績が上がる事に喜びつつ上司に報告して年末ボーナスの発表を心待ちにしていたのであった。
 ところが数日後、突然俺を名指しした呼び出しがかかりどこからの呼び出しかと確認すると何と社長からの呼び出しであった。

"何か失敗した覚えは無いんだが・・・。"<

 と戦々恐々として社長室のドアを開けると中には社長と副社長、そして会長と入社式の時に見て以来の顔が並び、その隣には開発部門の数名の責任者が俺を待構えていた。

「営業第一課の村沢 博係長だね・・・。」
「はい、そうです。何様でございましょうか。」

 何を言われても耐えられる様に体を硬くして、立ち構えていると途端にそれまで険しい顔をしていた一同が顔を緩ませ手を叩き始めたではないか。何が何だか分からずにそのままでいると社長が立ち上がり、俺の肩をもってこう言った。

「でかしたぞ、村沢君・・・君のお陰で我社は安泰、そして急成長は確実になったよ。ありがとう村沢君、そしてこれからも頑張ってくれたまえ。」
「えっ・・・あっはい、どうもありがとうございます。」

 一体自分のした何がそう言う事に結びついたのか、その時の自分には全く分からなかった。無論これとあの契約の事か結びつく筈が無い。とにかくその時は場の空気に乗って答えて金一封を手にし、開発部門の連中と飲み会の約束をしてその場から立ち去った。
"何が何だかわからんな・・・。"
 と思いつつ。
 結局、事の顛末を知ったのはその晩に開発部門の連中と飲み屋で飲んでいた時であった。何でも俺が先日結んできた契約先の江渡守研究所は、優秀な研究成果を誇るかなり有名な研究所でありながら、中々その使用を許可しない故に各社の研究・開発部門は、国内外を問わずにあの手この手を使って工作を繰り広げているのだと言う。自分の会社も色々と仕掛けていたが中々上手く行かず、上手い打開策を求めて頭を悩ませていた所に俺が契約を結んだ事を知らされて狂喜したとの事だ。どうして狂喜したのか、俺が結んだ契約は前述した様に研究所で使用する物品、特に消耗品を中心とした長期にわたる一括納入契約という片方向の流れに過ぎないのであるが、これまでの例から言うと研究所はその様な契約を結んだ会社とは濃厚な付き合いを持つと言う傾向がありそれを期待したからだと言う。
 そして、翌日になって案の定研究所側から電話があり、あのような人柄の良い営業担当のいる会社と是非共同研究をしたいと持ちかけられたのだという。開発部門は即答し、すぐに上層部へ報告。するとここ最近は競合他社に水を大きく空けられて業績の低迷に頭を悩ませていた上層部もまたその研究所の評判を耳にしており、そこと契約を結んだと言うだけでも他社に対して圧倒的に優位に立てると喜び、その結果今日の様な出来事が催されたと言うわけである。

"俺って何か凄いことしちゃたなぁ、嬉しいね・・・。"

 その後俺は彼らと共に一晩中飲み明かしていた。


 そしてそれから1年、会社の業績は上層部と開発部門の読み通りに急上昇し一躍業界トップに躍り出ていた。俺もその功績が称えられて、係長から部長へと異例の昇進を果たし社内での知名度と信用度が上がるなど良い事尽くめであった。そんな絶好調の俺に届いた招待状、場所は研究所内の小ホール、開催日も休日であったので俺は参加する事にした。
 招待状に記されていた開催日当日、何時も通りのスーツ姿で俺は研究所を訪れた。入口の守衛に招待状を示すとすぐに案内された。案内された先の小ホールは舞台があり、結婚式の披露宴会場の様に円卓が幾つか並べられ既にそれなりの数の招待客と研究所の馴染みの面々がそこにはいた。

「あぁ、村沢さん来て下さいましたね。」

 その中の一人が俺に話しかけてきた、そいつの名は登川誠三、生物関係の研究者で見かけはかなり若いが本当はかなりの高齢なのだと言う。他にも俺は声をかけられ、その度に挨拶を返し会話を楽しんでいる内にパーティーは始まり特にこれと言ったものは無かったが、話が弾み料理も上手かったので中々いい時間を過ごしていると不意に流れていたBGMの曲調が変わり、灯りが減灯されて薄暗くなった。何が起こったのかと立っていると傍らにいた職員に座るように促されて座り、スポットライトの当てられた舞台の赤幕を特に思わずに眺めていた。

「ご来場の皆様、この度は当研究所主催のパーティーにご出席賜り真に感謝する次第であります。さて、只今より本日のパーティー最大の見世物を披露致したいと思いますので、是非ご一同舞台の方を注目して下さいませ・・・それでは、始めます。」

 司会者の声が途切れるとさっと幕が開いた。膜の中には何がいるのかと興味深々に見ている俺を含めた招待客は舞台の上にいる者を見て驚いた。舞台の上にあるもの、それは一人の少女であった。中学生か高校生であろうか、セーラー服を纏ったその少女は不安そうに巨大なガラス張りの水槽の中に入れられていた。

「さても皆様。舞台の上にいるのは一人の少女であります。これより・・・。」

 司会者は説明を続けていくが、見ている者は誰もその少女について疑問の声を上げない。いや上げてはいけないと言う空気が満ちていた。自分を始め幾人かは初めての様で似た様な表情を浮かべているが、それ以外の人々は招待客も研究員の誰もが平然としていた。

「・・・という訳でありまして早速、始めさせて頂きたいと思います。それでは皆さん、お手元のPDFをお持ち下さい。」

 そんな人間観察をしている内に説明は終わり、本題へと突入していた。何時の間にやら手元にはPDFが1人1つずつ配られており、周りよりやや遅れつつも同じように手に取った。画面はただ青く、それ以外は何も表示されていなかった。

「それでは開始します。まずこの少女、いや素体に尻尾を生やしたいと思います。PDFの画面に浮かびました中からお好みの物を一つお押し願います。」

 言うのに促されて見ればなるほど、先ほどまで何も表示されていなかった画面の上には幾つかの動物の名前が表示されていた。

"犬、猫、狐、馬、ウサギ・・・色々あるな・・・どれにしようか・・・。"

俺は何の違和感も覚えずに自然にしばし考えると、併せて30程の選択肢の中から狐を選択した。

「はい、出揃いましたので結果を発表します・・・カンガルー5、狐3、犬2、馬2、ウサギ1となりましたのでカンガルーに致します。それではご注目下さい。」

 そうして少女に全ての視線が注目した。こちらの音は全く聞こえないらしく何が起きているのかわからない少女は、相変わらず不安げな表情を浮かべていると思ったその時、不意に空気の抜ける様な音が聞こえると水槽の中にいる少女が白い煙に包まれて、一瞬見えなくなった。そして煙が晴れると何事も無かったかのように少女はそこにいたが、その足と足の間からは反対側の白い壁は見えずに薄茶色の皮膚とは違う色が見えた。彼女もようやく異変に気が付いたらしく慌てて体を回すとそこには、何とスカートの下から茶色く長い塊・・・カンガルーの尻尾が生えていた。

「はい、御覧頂けましたでしょうか?ただいまご指名の通り、カンガルーの尻尾を生やさせていただきました。これは当研究所の誇る獣化ガスを浴びた為でありまして、このガスについての詳細は後にお配り致します配布資料を参考にしてください。それでは次は足、両足に参ります・・・。」

 俺はその光景に驚いていたが同時に非常な興味を惹かれた。周りにいた初参加と思しき連中も似たような感じであり、そのまま俺は次第に異常とは思わなくなりその流れにのめり込んで行った。
 その後の流れは長くなるので詳しいのは省略するが両足、顔、手と続き終わった時に舞台の上にいたのは、少女ではなく体が大きく変容した事で破れたセーラー服の残骸の一部を身に纏い、あとは下に敷いた格好の人間臭さの残るウサギ顔をし、馬の両手と豊満な乳房をそなえた胸、へその辺りで奇妙に上手く結合したそれより下の柴犬の胴と足、そして本来なら犬の尻がある部分から蛇の尻尾の様に伸びたカンガルーの尻尾・・・わずかな時間で人から異形へと転身させられた事を上手く飲み込めないで、困惑した表情を浮かべた少女であった者がそこにはいた。



 その少女の雰囲気とは対照的に水槽の周りは異様な高揚感と興奮に満たされていた、無論俺もその例外ではなく始めと異なって、また見てみたいものだとの希望を抱いている始末であった。煙と共に瞬時に変貌していくその様を見て一時はかなり高度なSFXなのかとも疑ったが、あんな短時間であれほど手間のかかる事が出来る訳が無く、同時に似た様な女の子を何人か用意しておいたとも考え難い。そしてあの少女の見せる仕草、どう見てもあれほど上手く演ずる事は困難であろう。全てのそういった思いと決別した時、俺の脳裏にはキメラ・・・架空の存在に過ぎないその生物の名が瞬時に思い出された・・・。