1章 迷い人



 夕方から天高く盛り上がっていた雲は、日暮れと共に雨を降らせる。
 暗い空のなかで壊れた蛍光灯のように、雷光が怪しく瞬き、雫は灰色の街を叩きつけた。
 昼の陽気で熱せられたコンクリートの外壁はしとどに濡れ、街は立ち上る蒸気で霞んでいく。
 夜なのに、明かりがなく、生の物音一つない。
 原色がちりばめられた、見る人もいない看板が、むなしく雨に打たれていた。
 ――――ここは東京。

 明かりの消えたコンビニエンスストアの中を、学生服姿の少女は少女は心細げに歩いていた。
 手に持った灯りをつければ、「奴ら」に見つかってしまう。少女は暗闇に目を凝らしながら、息を殺して店内を進んでいく。
 床には陳列棚の商品が散乱し、気をつけていないと足元をすくってしまいそうだ。酸っぱい腐臭が鼻を突いて、思わず声を上げて腹の中の物を戻しそうになる。
 彼女は電池を探している。コンビニのレイアウトはどこもよく似ているから、暗くてもそう迷うこともない。

 外からモーターの駆動音。
 そしてコンクリートやガラスの割れる音。
 奴が来た。

 街の夜は恐怖が支配する。
 「石版」から「クビカリ」達が這い出てくるのだ。
 それらは殺人の為の機械兵、「襲来甲」と呼ばれていた。
 それには、武器を持たない人間では太刀打ちできない。ただ、じっと息を殺して通り過ぎるのを待つ他なかった。
 彼女は腰をかがめて、外の様子を伺う。

 「クビカリ」はコンビニの前で立ち止まって、4本の足で支える胴体から頭部を伸長させ、周囲を見回す。
 その目から放たれるサーチライトが描く青白い円が、建物の表面を舐めていく。
 少女はうずくまった。長い黒髪が揺れる。
 聞くところによると、奴らは体温を感知する能力があるらしい。雨が降ればその機能が鈍るから、たとえ夜でも例外的に雨の日は活動しないのだ。
 しかし今日はついてない。夕立は彼らの行動に変更を促さなかった。

 雨が降る夜はいい夜だ、雨が降ると襲来甲達の動きが鈍くなるから。
 そんなことを考えながら、灰色のシャツを着た少年は車の中で休んでいた。
 安らかな夜というのは、今となっては貴重だった。
 雨が屋根の鉄板を叩く音だけが鳴り続ける。
 それにしても、アイツは遅い。
 何もなければもう戻ってきてもいい頃だ。少年は車の窓を開けた。
 青い光の筋が動いている。それを見て、少年の顔はこわばる。
 しまった。見つかったらしい。
 少年は急いでゴーグルをかぶり、車のキーをひねる。

 「クビカリ」は高さ2メートル、横幅3メートルほどの灰色の化け物だ。
 胴体から出た四本の足の間接が曲がる度に、耳障りなモーター音が響き、首の付け根から伸びた二本の腕は、目の前の障害物をなぎ倒しながら獲物を探っている。
 奴には、わざわざ扉を手で開けるような繊細さはない。入り口のガラスを突き破って店内に入り込み、サーチライトで中をなめ回した。
ガラスが割れる中、控え室のドアの向こうで、少女は息を殺してうずくまっていた。
 店の奥へと入っていくクビカリの体からは、パチパチと放電の音がする。その度にクビカリの体は痙攣した。
 どうやら、雨に濡れて思うように動かないらしい。
 少女はその様子を見て、逃げられると感じた。
 そして、奥に入り込んだクビカリがビンの入った棚を倒した瞬間、彼女は反対側の出口に向けて走り出す。懸命にその身をよじり、体を前へと蹴り出した。
 ビンの割れる騒音にまぎれたせいで、一瞬だがクビカリの反応が遅れる。
 クビカリが振り向いた時、すでに少女は建物の外へと出ていた。
 上半身を反転させ、クビカリは少女を追って走り出す。
 彼女の記憶によれば、クビカリの最高速度はおよそ時速30キロメートル。しかし今日は雨によって動きは鈍っている。今なら逃げ切れるかもしれない。
 そう思った瞬間、彼女は足に激しい痛みを感じた。
 クビカリの頭部が赤く光り、彼女めがけて熱線を放って来たのだ。はじめて見る攻撃だった。
 痺れた足がもつれて、彼女は水溜まりに頭から突っ込み、長い髪に泥がまきつく。クビカリとの距離は一気に縮まった。
 青白い光が、彼女の周囲を照らす。
彼女が振り向くと、一つ目の巨大な黒い影。
 腕の先から鎌を延ばし、彼女の命を刈る為に、それを大きく振りかぶる。少女は恐怖に顔を伏せた。
 その時。
 大きなエンジン音と共に、煌々とライトをつけた一台の四輪駆動車が、クビカリの横っ腹に突っ込んできた。
 ドォン!!という音と共に、バランスを失ったクビカリは横倒しになり、車はその上に乗り上げる。
ベキベキと音を立ててクビカリの装甲が凹む。乗り上げたタイヤが空転して泥を撒き散らし、飛沫は少女にも当たって顔を斑に汚した。
 彼女は目を大きく開き、口を小刻みに震わせて様子を見ていた。
 間髪いれずに車のドアが開き、ゴーグルを被った少年が銃を手に飛び出す。
 少年はクビカリの上に飛び乗り、頭部に向けて銃の引き金を引いた。
 銃口は轟音と共に火を噴き、その音が響き渡る度にクビカリの頭部はひしゃげていく。そしてサーチライトが割れ、青い火花が這い回り、最後には爆発した。

 クビカリは動きを止めた。
 少女はまだ震えていた。
「ごめん未羽。気づくのが遅かった」
 少年は口を開いた。
「こんな雨の中、コイツがいたなんて」
 少年はゴーグルを外し、動かなくなったクビカリの頭部を足で突付く。
「私こそ、迷惑ばかりかけて、ごめん…」
 そう言って、未羽と呼ばれた少女は立ち上がり、ずぶぬれの顔で呟く。その表情は悲しみに沈んでいた。

 補強をした四輪駆動車は、先ほどの衝突の後でも、まだ動けた。
 少年は乗り込み、バックをしてクビカリから離れ、それからコンビニに横付けした。
「車の中に入れよ」
 少年は少女を助手席へと連れていく。そして後部座席から取ったタオルを彼女にかぶせた。
「すぐ戻るから」
 そう言って少年はまた外に出て行く。クビカリの頭部についている回路を外すのが目的だった。
 車のエンジンはかけたままだ。
 未羽はラジオをつけた。
 番組など、どのチャンネルを合わせてもやっていない。電気がなければ電波施設は使えないから。
 『襲来』の後、全ては沈黙したままだ。
 しかしただ一つ、音の聞こえるチャンネルがある。
 『浄光』と呼ばれる宗教団体の流している宣伝だ。
 彼女はダイヤルを止める。
 ノイズのさざなみの中から、かすかに女の人の声が聞こえてくる…
 10代半ばとおぼしき少女の、感情をこもっていないささやき。

苦シミノ 時ハ 去リ…
 大イナル 浄化ノ 時ガ 訪レタ…
 全テハ 天蠍主ノ 祈リノ 為スモノ…
 青木ヶ原ニテ 我ラハ 集ウ…

 全テハ 失ワレタ…
 今コソ 我ラト共ニ 祈ルベシ…
 大イナル 滅ビノ ナカ……
 生キルコト コソ 全テノ 苦シミ…

 未羽は服を脱ぎ捨ててタオルにくるまり、助手席の上で膝を折り曲げた。
 まるで機械のような、ラジオの言葉は車内にむなしく響いた。
 雨脚は徐々に弱まってきていた。

 祈ル 我ラハ 「浄光」…
 全テヲ 清メル 光…
 我 トコハルカタノシノビヒメ ニ ヨッテ……
 青木ヶ原ノ 祭壇ハ アマネク 開カレル…
 我ラト 共ニ 祈ルベシ…

 集ヘ 迷エル モノ達ヨ…
 我ラハ ダレヲモ 拒マナイ…
 祈リノ 他ハ 求メナイ……

「こんなもの聞くなよ」
 少年は運転席のドアを開けるなり車内に入ってきて、ラジオのスイッチを切る。
「コウ……」
「音楽のカセットがあるじゃないか…」
 未羽が顔をもたげた。タオルの下の彼女は下着以外何も着ていないのを見て、コウと呼ばれた少年は言葉を飲み込んだ。
「こうすると、なんだか落ち着くから」
 タオルの隙間から、またかすかに笑った。
「つながってる気がするから……」
「そっちには行っちゃいけないぜ」
 コウは未羽の目を見た。
 彼女は顔を伏せた。
「ごめん…心配ばかりかけて」
「気にするなよ」
 コウは後ろのゲートを開けて、クビカリの回路を放り込んだ。
「こうしてまた獲物が取れた」
 運転席に座って、コウは笑った。
 雨は上がった。



 コウは車を走らせた。
 四輪駆動車のサスペンションは、荒れた路面を拾ってギシギシときしむ。
 未羽は助手席で窓の外を見ていた。二人の間に会話はない。
 雨が降った夜は、もう襲来甲は出てこない。彼らが経験によって知った事だった。
 今夜は月が出ている。街の建物はそっくりそのまま黒いシルエットとなって、月の出た夜空に浮かび上がっていた。
 その景色が延々と続く。
 街の電気が消えたのは、路肩の電信柱に張り付いた奇妙な円錐形の物体のせいだ。中央に目があり、生きているものは時々青白い火花を出す。
 誰が名付けたのか、それはフジツボと呼ばれていた。
 フジツボは電気の発生するあらゆるところに張り付き、電気を食っている。
 これも石版から現れた襲来甲の一種である。

 「襲来」より1年。
 社会のシステムは寸断され、逃げ惑う人々を「クビカリ」や「ヒドラ」が狩っていく。
 文明の鎧を剥ぎ取られた人々は無力だった。

 襲来甲の倒し方が分ったのは9ヶ月前の事だ。谷古田という男が彼らの前に現れ、奴らを倒すための装備をくれた。
そして、彼はハンターとなった。
 ゴーグルを使ってコウはクビカリを狩る。成果は上々だった。

だが、それが何になるのだろうと、どこかで彼は思っていた。
ヒドラがいる限り、どうせ無駄な足掻きだからだ。
ヒドラとは、全長30メートルはある巨大な襲来甲だ。無数の脚と、光弾を発する複数の頭部を持っている。コウたちはクビカリを狩る事はできても、ヒドラに対してはなすすべがなかった。
 コウは、戦車がヒドラによって一瞬で破壊されるのを見たことがある。
 戦車砲も大して効かず、巨大な閃光によって中の人もろとも焼かれた。人間の持つ小銃など、何の効果もない。

 コウは谷古田の考えている事が分らないし、知りたくもない。
 谷古田が猟団を結成したのは何か考えがあってのことかもしれない。
 彼が狩りをするのはただ生きるためだ。クビカリの核を集めれば、生活に必要な物を谷古田が与えてくれる。だから狩る。
 こうして車を乗り回せるのもその報酬だ。

 ハンターのメンバーは小さな銃器とゴーグルを渡される。
 それだけだ。それだけでクビカリを狩らねばならない。
 ゴーグルはクビカリの動きを色で示してくれる。
 動いているものに色がつき、速度が速いほど赤く見える。それを使えば、クビカリの動きが読めた。
 成績が良ければそれに見合った報酬が得られ、武器もいいものが与えられる。
 コウのように車を得るためには30体のクビカリを倒す必要があった。

 車は暗闇に包まれた街を進む。
 コウにはもう帰るところがない。
 学校の放課後、未羽と共にいた時に「石版」が降ってきた。
 「石版」は着地点から数百メートルを衝撃でなぎ払った。
 コウの家はその中にあった。
 だからもう帰るところがない。

 街がぼろぼろになっても不思議と彼には違和感がない。
 壊れる前から壊れていたように思えたから。
 母親が死んだのは悲しかった。いつも家にいない母親だったけれど。
 5年ぶりに家に戻ってきて、家族がみんな揃った矢先だった。石版が降って来たのは。
 でももうどうでもいい。部活から帰るとギターを弾きまくって、時間が過ぎるのをただ待ち続けただけの場所だ。
 家がなくなったときも感情が痺れたようになって、彼には泣けなかった。
 それよりも、未羽が巻き込まれなかったことを嬉しくさえ思った。

 助手席に座っている未羽はあの時のショックですっかり寡黙になってしまった。彼が知っている彼女はもっと明るい少女だった。
 それには自分も責任がある。
 あの時家に帰らなかったのは、未羽を体育倉庫で抱いたからだ。
 そのおかげで二人は助かり、二人の親は死んだ。未羽にはそれが堪えたらしい。
 彼と違って、彼女の家庭は幸福であったろうから、引き離された悲しみも大きかったろう。

 まるで世界がひっくり返ってしまったみたいだ。
 幸せだった奴がそうでない奴よりも苦しむ。
 生きている奴が死んでいる奴を羨む。
 金、宝石、価値があったものは何の値打ちもなくなり、
 銃や火薬が何よりも珍重される。
 あの石板は、世界をさかさまにしたのだ。
 
 30分ほど走った。
 そして石版の勢力圏を抜ける。
 コウは無線のスイッチを入れた。
「こちら65番。橘甲樹。7番の谷古田さん、つながりますか?」
 ズァッ
 しばしの沈黙。

「谷古田だ。どうぞ」
「コウです。車がやられました」
「そうか。でも動くんだろ?」
「そりゃ、動きますけど。エアクリーナーが駄目になっちゃいました」
少しの沈黙。
「今どこにいる?」
「多分、多摩の辺り」
コウは適当に答えた。
「それなら、香月のところに行け。こっちは荒川の辺りだ。ちょっと遠すぎるな」
「今日の移動先はどこです?」
「三鷹…あたりだな」
「了解。香月に直してもらったら、そっちに行きますから」
「すまんな。何もできなくて」
「それじゃ」

ズァッ
無線を切った。
 通信をしたら、すぐに動かなければいけない。
 コウは夜空を見た。
 暗くて、「トンボ」がいるのが分らない。
 トンボのそばではどんな電波も危険だ。奴らはすぐに位置を割り出してくる。
 それが足のつきにくい無線機であっても結局は同じ事だ。
 たとえ姿が見えなくても、通信の後はすぐに移動するのが暗黙のルールとなっていた。

「谷古田さん、忙しそうだね」
 助手席の未羽が小さな声で言う。
「狩りのメンバーが増えてきたからね」
「リーダー、だもんね…」
 コウはギアを入れて、車をゆっくり移動させた。
「たくさんの人を構ってやらないといけないもんね。谷古田さん」
「うん」
「それも、こんなに傷だらけの人たち」
 コウは何も言わずにハンドルを回す。
「大変だね……本当に」
 未羽はタオルの中に顔をうずめた。
 車は丘の上の公園にたどり着いた。
 そこで二人は夜食を取り、砂場の真ん中にある滑り台の中で眠りについた。
 狩りに参加してからこのかた、こんな根無し草のような生活が続く。



 朝になって、コウは未羽よりも早く目を覚ました。
 未羽の目覚めは遅い。こういう時、彼はいつもそっとしておく事にしていた。
 悲しみは眠りを貪るから。

 朝日に照らされた街が見える。
 もやの中に沈んで、青灰色によどんでいる。
 その中心に、巨大な石版がまるで墓標のようにそびえていた。

 正確に調べたわけではないが、地上に見える部分だけでも高さ1500メートルもあるらしい。それは人間が建てたどの建物より大きかった。大きすぎて、上方には雲がかかっている。
 白亜の静謐な外観とは裏腹に、中は襲来甲の巣だ。
 その周囲には丸い気球のようなものが無数に浮かんでいる。
 ホオズキと呼ばれる防御機械だ。
 あれの為に人間は石版に近づくことすらできない。ホオズキのそばを通っただけで神経ガスとレーザーが雨あられと降ってくるから。
 それに、ホオズキは他の襲来甲と違い、休む事がない。

 その赤灰色の風船達を見ていると、未羽が後ろから這い出てきた。
「ゴハン、食べようか」
 振りかえり、コウがそう言うと、彼女は空気が抜けるようにうなずく。

 朝食とはいっても、支給品のビスケットと水だけだ。
 コウには料理は出来なかったから。
 未羽は何も言わず食べてくれる。寂しい表情のまま。
 コウは胸が締め付けられた。ビスケットを噛み砕いて無理やり飲み込んだ。
 でも、コウには何もかける言葉が思い浮かばない。
 未羽はきっと、彼も恨んでいるだろうから。

 鳥が鳴き始めた。
 この街は、人間以外の生き物は以前と変わらず存在している。
 もっとも、人間の生活に依存していた動物はその数を大いに減らした。
 襲来甲は人間だけを狙うから。そして狩られた人間は彼らによって運び去られた。
 襲来甲達の行動には分らない事が多い。
 なぜ仕留めた人間を連れ去るのかもその一つだ。
 彼らの目的ははっきりしている。人間の殲滅だという事も。
 でもそうであれば、街ごと吹き飛ばせばいい。それくらいの事は彼らには簡単な事だと思える。
 しかし何故か、彼らは街を破壊しない。
 その理由はコウには分らなかった。

 石版の襲来以降、世界はばらばらになってしまった。
 エネルギーの供給は絶たれ、互いの連絡もままならない。
 生き残った人々は小さな集団を形成し、辛うじて生き抜いているという状態だった。
 コウや未羽のような孤児達は、自力で生きていくしか方法がなく、それが出来なければ、死ぬほかにない。

 谷古田の作った集団はそんな中の一つにしか過ぎない。
 この世界に無数にある石版の一つさえ破壊できないのだから、その力も知れたものだと思えた。

 朝食を終えると、コウは車の状態をチェックする。
 ここに来る前から水温計の針が異常な値を示していたから、昨晩の衝突でラジエーターが破損したのはうすうす感じていた。
 香月のところへ行く前に、破損箇所を知っておく必要があった。
 4輪駆動車はフロントの補強バーが折れている。ボンネットは歪み、鼻先のグリルとエアクリーナーはひん曲がっていた。
 それ以外は大した外傷はないようだ。コウは少し安心した。
 クビカリは意外と軽かったらしい。

「香月君のところへ行くの?」
 コウがボンネットを開けて車をいじっていると、未羽が後ろから聞いてきた。
「うん」
「香月君、もうバンドやらないのかな……」
 香月はコウ達と同じ高校で、コウとはバンド仲間だった。昔はそのセッションを未羽が観にきていたものだった。
「あんなにドラム、上手かったのに」
 バンドはコウがギター、香月はドラムスだった。ベースの岸は行方不明だ。時たま未羽がキーボードで参加していた。
 しかし、今のコウにはどうでもいいことだ。
「無理だよ。もう…」
 コウはエンジンルームを覗き込みながら言う。
 未羽は昔話ばかりする。コウにはそれが辛かった。
 でも今を見てこれからの事を考えろとは、コウにはどうしても言えなかった。
 辛うじて昔の事にしがみついている未羽が壊れてしまいそうな気がしたからだ。
 だから、未羽の話を辛抱強く聞いた。彼女の気が済むまで。
 それが、彼が彼女に出来る精一杯の行為だった。

 香月は今、車屋をしている。
 乗り捨てられたり、壊れたりした車のパーツを使って。
 今でも車はそれほど珍しいものではなかったが、ガソリンは貴重品だった。
 石油の輸送が止まってしまったのだから当然の事だった。
 今やガソリンは軍隊の横流しぐらいでしか手に入らないのだ。
 しかし香月の家はガソリンスタンドだった。
 だから、いい商売になっている。
 こんな時代にお金など何の価値があるのだろうかとコウは思うが、彼にとっては今でも重要らしい。
 コウ達の車は彼のガソリンスタンドに横付けされた。
「よ、派手にやったな〜」
 香月が詰め所の中から出てくる。
 浅黒いやせた手足に黄緑色のシャツをはおり、髪の毛を銀色に染めた小柄な若者が、人懐っこい笑顔を見せながら近づいてきた。
「修理、頼む」
「友人特価だけど高くつくよ、コウちゃん」
 香月は傷ついたボンネット周りを見て言った。
「谷古田さんにツケとくからいいよ。別に」
「相変わらず意地が悪いな、お前。谷古田さん怒るぞ」
「まぁ、土産もあるし」
 コウは車の荷室を指差してにやける。
「へぇ」
 そこには昨夜取ったクビカリの核が転がっている。
「大したもんだな。新型のクビカリじゃんか」
「まぁな」
「直してもおつりが来るくらいだぜ」

 未羽はスタンド内でジュースを飲んでいた。ちょっとうれしそうだった。
「なぁ香月…」
 コウは尋ねる。
 二人はピットに車を運び込み、修理を始めていた。
「何?」
 香月はフロントバンパーを外している最中だった。
「お前には、あれの価値が分かるのか?」
 コウも作業を手伝う。
「あれって何よ?」
「クビカリの頭だよ」
「ああ。あれね」
二人で、よっ、とバンパーを担いで床に下ろす。
「しらねぇ」
 香月はそう言いつつボンネットを開けて、中を覗き込んだ。
「直りそうか?」
 コウは聞いた。
「フロントメンバーが曲がってるな…」
「タイヤに当たらなかったらいいよ」
「ちょっと待ってろ」

 しばらくして香月がエアクリーナーとゴムのチューブを運んでくる。
「で、話の続きだけど、何か知っているなら教えろよ」
 香月はエアクリーナーと破れたエアチューブの交換に取り掛かった。ここからは、コウはそばで見ているしかなかった。
「なぁコウ、谷古田さんって、いろいろ武器とか食い物とかくれるよな」
「うん」
「…何でそんなことが出来ると思う?」
「そんな事、考えた事もないよ」
「あの人、防衛庁の官僚だったらしいぜ」
「国が糸引いているっていうのか?」
「お前の獲物も、研究用に回されているって話だ。他にも、襲来甲のボディとかも集めてるんだってさ」
 チューブの取り付けが終わったようだ。
「エンジンかけてみな」
 コウはドアを開けて、キーをひねる。
 歪んだファンが勢いよく回り始める。
「いけそう?」
 コウは聞いた。
「いいんじゃね?」
 香月はボンネットを閉じた。
 その時だ。



 トン……トン……

 遠くから太鼓の音が聞こえる。
 ゆっくりと一定のリズムを刻みながら、こちらに近付いて来ていた。
 二人はふと、会話をやめて振り返った。

 暗灰色にくすんだ街並みをバックに、道を挟んだ向こう側の歩道。
 汚れ一つない白装束に身を包んだ男が、歌のようなお経のような言葉を朗々と謡いながら、手に持った小太鼓を叩いていた。
 その人物の後ろに10人程、ついていく人たちがいる。
「浄光の奴らだ」
 香月がコウにささやいた。
「昨日、ラジオで放送が流れただろ…」
 コウはその小さな集団を見た。
 後ろについていく人々は、皆、薄汚れていた。
 傷ついて布を体に巻いた者。
 互いに支えあって、何とか歩いている者。
 全くの無表情で、手をだらんと下げたままついていく者。
 皆一様に憔悴しきっていた。
 それだけに、まばゆいほど純白の衣装を身につけた先頭の男が異様に浮いて見えた。
 コウは息を呑んだ。
「あんまり見ないほうがいいぜ。巻き込まれたら災難だ」
 香月はまたささやく。
「最近、ここら辺によく布教に来るんだ。あのラジオがその知らせさ…」
 香月は何もなかったかのように作業に戻る。
「コウ、そっち持ってくれ」
 香月はバンパーの端を指差した。コウは言うとおりにする。
「さっきの、浄光って何だ?」
「最近出来た新興宗教さ。お布施も何もとらず、ただ祈る事で救いを得るんだとさ」
 よっ、と二人はバンパーを持ち上げた。
「おまけに食い物もくれるから、信者になる奴が増えてる」
 コウは、未羽が聞き入っていた昨日のラジオを思い出す。

 我 トコハルカシノビヒメ ニ ヨッテ……
 青木ヶ原ノ 祭壇ハ アマネク 開カレル…
 我ラト 共ニ 祈ルベシ…

「青木ヶ原…」
「奴らは、青木ヶ原に本山があるんだとよ。まったく自殺しにいくんじゃあるまいし。いかれた所に作るもんだぜ」 
 コウは、青木ヶ原がかつては自殺の名所だった事を思い出した。
 自殺なんてコウには縁遠い事だったが、青木ヶ原の名前はニュースなどでよく出ていた。
 一度中に入るとなかなか出られず、また見つかることもない不思議な森。だから、この世から消え去りたい人々が集まる場所だ。
「ひょっとしたらあいつら、死にたいのかもな」
 香月がぼそりとつぶやく。
 コウは背筋が震えた。

 ふと視線を動かすと、未羽が食い入るようにあの一行を見ている。まばたきも忘れたかのように大きく目を見開いて。
 その表情にコウは恐ろしくなった。
 ふと、未羽が椅子から立ち上がり、ゆっくりと歩き始めた…。
 コウは作業を放り出して無我夢中で駆け出した。

 未羽は彼らの方へと歩いていた。
 コウは力いっぱい彼女の右腕をつかむ。
 柔らかい肌の感触。
 そして自分の元へと引っ張る。未羽の長い髪が宙を踊った。
「そっちへ行くなよ!」
 コウは声を荒げた。
 未羽はコウを見つめ、唇をかんだ。

 パァン!

 未羽の左手が、コウの頬を叩いた。
 それでもコウは未羽をじっと見つめた。
 未羽の目に涙があふれてくる。
「気が済むまで叩けよ…」
 コウはつぶやいた。
「馬鹿ッ!」
 未羽は嗚咽し、コウの胸を拳で何度も叩いた。

 本当は、未羽はもう生きていない人間だったのかもしれない。コウがそれを引き止めてしまったから、彼女はいつも死の方へ引っ張られている。
 コウはそんなことを思った。
 でも、だからなんだって言うんだ。
 コウは唇をきつく噛んだ。
 こんなところで生き抜いて、何になると言うんだ。未羽はそう言いたいに違いない。
 でも、それがなんだって言うんだ。
 この世界が壊れる前から、そんな事変わってないじゃないか。

 コウにとってはそうだった。でも未羽にとってはそうじゃなかった。
 彼女は守られていたから。幸せな家庭で。

 だったら、僕が彼女を守ろう。
 彼女が怯えないように。彼女が笑っていられるように。

 でも、どうやったら分ってもらえるだろうか……。
 彼は唇を噛む。
 そして未羽をぎゅっと抱きしめた。

 コウの腕の中で、彼女は落ち着きを取り戻した。
「おい、しっかりしろよ」
 遅れてやってきた香月が言う。
「こんな世界だって、捨てたもんじゃないぜ。なぁコウ」
「あ、ああ…」
 力なく同意する。が、コウにはそう言い切る自信がなかった。
「私のせいで、迷惑かけてごめんなさい…」
 未羽は搾り出すようにつぶやいた。
「そんな事言うなよ。昔の未羽はどうしたよ」
 香月は未羽の肩を叩いた。未羽は少し笑った。
 ひょっとしたら、彼の方が彼女の扱いには慣れているのかもしれない。コウは複雑な気分だった。
「もう、行くかい?」
 コウの方に向き直って、香月は聞く。
「そうするよ」
 コウは答えた。

 香月が直った車を運転して戻ってきた。
 そして、手書きの領収書をコウに手渡す。
「これから谷古田さんの所行くのか?」
「ああ」
 未羽は黙って助手席に乗った。コウは運転席に座る。
「ガソリンはサービスしとくよ」
「すまない」
「未羽のこと、頼んだぜ」
「そうだな」
「んじゃな!」
 香月の声に、コウは窓から手を出して答える。
 ギアを入れ、アクセルをふかした。
 バックミラーの香月はみるみる小さくなっていった。
 移動中、車の窓を開けて、未羽はずっと外の景色を眺めていた。
 二人の間には何の会話もなく、車は目的地の三鷹付近に到着する。

 空には、トンボと呼ばれる土管に羽根がついたような奇怪な襲来甲が飛んでいた。
 トンボはレーダーの役目も持っていて、昼の間だけ活動している。下腹部の目によって地上を常にスキャンしていた。
 一匹打ち落とせば、大量に仲間を呼ぶ。
 そしてたくさん打ち落とすと、ヒドラを呼ぶ。
 そうなったら逃げるしかない。

 とりあえずトンボ自体は無害だ。上空を通り過ぎるのを待って車を走らせる。
 谷古田達はだいたい駅のそばで野営する。そうすれば連絡が簡潔で済むからだ。
だから、彼が三鷹と言えばそれは三鷹駅の事だ。コウはそこを目指した。

 途中の街並は荒れ果てていた。
 食料品の類はほとんど全てなくなっており、人々は避難するか殺されるかして、誰もいない。
 ほとんどの建物のガラスは割れ、手入れもされないその姿は灰色にくすんで見えた。そして雑草はいたる所に生い茂り、コンクリートを侵食していた。
 割れたガラスの破片は道にまで散乱して、コウは車でそれを踏まないように気をつけなければならなかった。
 信号も消え、対向車もいない街での運転は、無免許でもそんなに難しくはない。



 三鷹駅が見えてきた。
 駅のそばに緑色のテントがある。谷古田達だ。
 コウは車の時計を見る。もう12時を回っていた。
 谷古田の野営地から煙が立ち上っているのが見えた。

 コウは車をテントのそばに止め、下りて周囲を観察する。
 谷古田はテントのそばに置かれた椅子に脚を組んで腰掛け、テーブルに肘を付いてこちらを見て笑っていた。彼は自信に満ちた眼光を放つ、精悍な顔をした男だ。年はだいたい30過ぎぐらい。いつも軍払い下げの緑色のジャケットを羽織っている。
「もう来たのかよ。昼飯、お前らの分作ってないぞ」
 椅子に腰掛けたまま谷古田は言う。
「そんな、ひどいなぁ」
 冗談半分で、コウは車のハッチを開けながらぼやいた。
「おいアヤ、二人分追加頼む」
 谷古田は料理している女の子に注文した。
「ねぇおっさん、あたしを女中かなんかと勘違いしてない?」
 明らかに慣れない手つきの包丁を持って、アヤと呼ばれた赤い髪の女の子は叫んだ。
「悪い悪い。じゃあ、召使いということで」
「…死んじまえ」
 アヤは顔をくしゃくしゃにして毒づいた。
「とにかく頼む。アヤお嬢様」
「味がどうなってもいいなら許す」
 アヤは人差し指をびしっと立てる。
「…これがサバイバルって奴だ。お前らも覚悟しとけ」
 谷古田がコウたちの前でおどけてみせる。
 コウはそのやり取りを笑いながら見ていた。確かに、アヤの作った料理の不味さはみんなの恐怖の的だったから。
 ふと気付くと、未羽がアヤのそばに駆け寄っていた。
「私が手伝う」
「ミウ、気にすんなって。あたしがやるから」
 アヤは遠慮する。
「やらせて。お願い」
「いいけど、あんた料理した事ある?」
「すこしなら、ね」
 ミウはナイフを持った。

「さすが、車乗りは違うな」
「そんなに褒めないでください」
「俺が見込んだだけのことはある」
 狩りをする者でも、車に乗る為には相当な好成績を上げることが求められる。
 コウは、狩り仲間の中でもトップクラスの実績があった。

 谷古田が始めた狩りは、狩ってきた襲来甲に応じて武器や日用品と交換するルールだ。
 彼は大きな軍用トラックに物資を満載して移動している。
 コウはもっぱらクビカリを専門に狩る「ソルジャー」だ。
 他にもトンボを専門に狩る「スナイパー」や、ムカデという運搬用の襲来甲を狩る「トラッパー」というのがいる。
 「車乗り」はコウを含めて数人しかいない。

 コウはクビカリの核を谷古田に渡す。
「また新型が出てきました」
「そうか。思ったより早いな」
 谷古田は核を受け取ると、トラックの荷室に無造作に放り込んだ。
「でも、このままいつまでも大人しく奴らが狩られるとは思えない。奴らはこっちに対応してきてる」
「分ってる。こっちも急がないとな」
 未羽はアヤと一緒に料理を作っていた。働いている未羽は少し元気が戻ったように見える。表情も心なしか明るかった。
「谷古田さん…前から聞きたかったんですけど」
「何だ、コウ」
「谷古田さんは何がしたいんですか?こんな事して」
 谷古田の顔が厳しくなった。
「…今は聞くな」
 谷古田はコウの目を見据えて言った。
 ギラギラと感情のこもった視線。コウはその迫力に圧され、次の言葉を見失ってしまった。
「そのうち教えてやる」
 谷古田は、ポンとコウの肩を叩く。
「今は飯食おうや。腹減ってるだろ?」
 そして、またいつものおどけた谷古田に戻る。
 谷古田はいつでも自分のペースに周囲を引き込んでしまう。それが彼の得意技だった。
 襲来前から有能な人物であった事は想像に難くない。

 襲来前のコウと香月はバスケットボール部の選手だった。
 未羽は吹奏楽部。アヤは専門学校生。
 谷古田は素性を明かしてくれないが、香月の話によれば防衛庁の上層部にいた人間らしい。
 「襲来甲」が来なければ決して交わる事のない関係だった。

 昼飯は野菜のスープと握り飯。
 今は暖かいものがあるだけでも有難かった。痺れるようなコンソメ味の温かい液体が、喉の奥へと流れ込んでいく感触が気持ちいい。
 コウは久しぶりにまともなご飯を食べたような気がする。

「そろそろ本題に入ろうか」
 昼飯が終わり、後片付けも済んだあと、谷古田はそう言ってトレーラーの荷台のハッチを開けた。
「コウには今日の計画を話してなかったよな?」
 コウはうなずいた。
 トレーラーの中には黒々とした武器が詰め込まれている。
「そういえば、あのゴーグルの具合はどうだ?」
 谷古田はコウに尋ねる。
「動きは見切れますけど、新型の火器には対応してないみたいです」
「なるほどな。いろいろな意味でお前が持って来たクビカリの核が有難いな。とりあえず、こいつを試してみてくれ」
 そう言って谷古田は新しいゴーグルを渡す。
「センサーを追加してプログラムし直した奴だ。これなら幾分ましだろう」
 コウは新しいゴーグルを受け取った。
 そして、旧い、とはいっても一月前にもらったばかりのゴーグルを谷古田に渡す。

 それにしてもなぜ、谷古田のような個人でこれだけの事が出来るのだろう?
 谷古田は厚木基地にコネがあるとはかねてから言っていたが、だとしたらこのゴーグルは何なんだ?
 これはどう見ても襲来甲専用と言ってもいい代物だ。まぁそのおかげでコウのような素人でもクビカリを狩る事が出来るのだが。彼にはこういうものを作れる能力があるのだろうか?
「今日は泊まっていけ」
 谷古田はそう言った。
「いろいろと打ち合わせしなきゃならんこともあるし」
「谷古田さん」
「何だ?」
「計画って何ですか?」
「こいつだよ」
 谷古田が指差した荷室の片隅に見覚えがあるものが転がっていた。
 コウは目を開いて驚く。 
「これって…クビカリ!?」
 そこには、傷一つついていないクビカリが一体、足を折り畳んで転がっていた。
「そうだ。とはいっても襲いはしないから安心しろ」
 コウは荷台に登り、クビカリに近づいた。頭に刷り込まれた恐怖感から、無意識のうちに体が緊張しているのが、自分でも分かる。
 クビカリの核(コア)は光を失っており、完全な休眠状態になっている。
「捕獲したクビカリに細工をしたんだ。動かすと襲ってくるから気をつけろ」
「こんなもの、どこで…」
「とある場所に行けばいくらでもいるさ。青木ヶ原に行けばな」
「青木ヶ原?」
 コウの脳裏に、朝に見た浄光の信者の光景がよぎった。
「谷古田さんも青木ヶ原に行ってるんですか?」
「まぁ、そうだな。よく行く」
 コウの表情は曇った。
「そうか…、谷古田さんも…」
「なんかおかしいか?」
「いえ、いいです」
 コウはそれ以上話すのをやめた。谷古田に未羽のことを相談しようと思っていたのだが。

 明日の計画とはこういうことだった。
 まず夜明けまで待つ。
 そして捕獲したクビカリを放し、朝と共に石版に戻らせる。
 クビカリの内部には爆弾が内蔵されており、それを遠隔操作で爆発させ石板を破壊する。
「名付けて"迷子のクビカリちゃんゴーホーム"作戦だ」
 コウは呆れている。
「まぁそれは冗談として、これなら少人数でも何とかなる」
「そうっすね」
「この程度では石板は落ちんだろうがな。時間稼ぎにはなるさ…」
 そう言って谷古田は石板を見つめた。
(そう、もう少し時間が必要だ…)
 ここからだと石板は東の方向に、青白く霞んで見えた。
 空は雲ひとつなく、南風が二人の服をなびかせた。

 コウは谷古田からいろいろなことを聞いた。
 彼によれば日本は長野に臨時政府を樹立しているが、通信が出来ずにほとんど機能していないということだった。
 本国に戻れなくなった横須賀の駐留米軍と自衛隊は合流し共同戦線を張っているが、せいぜい臨時政府への襲来甲の進入を防ぐ程度しかできていないらしい。
「何たって、強襲体(ヒドラ)に対してはミサイルぐらいしか効かんからなぁ。それに、石板に戦略核を使う訳にもいかんし」
 外国では、幾つか石板を破壊したという未確認情報があるが、真偽の程はわからないらしい。
 おそらく、どこも日本のようになっていると思われるということ。
「皮肉だが日本は銃禁止だからな。余計に厳しいよ」
 谷古田が厚木から武器を運んで来てくれなければ、コウもただ逃げ惑うしかなかった。
 臨時政府は個人による銃器の携帯を許可したらしいが、遅きに失した感がある。

 谷古田はどこかと連絡を頻繁に取る。
 トンボを避けるために、コウの車でゆっくりと移動しながら。
 運転手はコウ、谷古田は助手席から衛星電話を使う。
「谷古田だ。コウザトはいるか?」
 コウザト?誰だろう?コウは聞き耳を立てる。しばしの沈黙。
「コウザトか。無事に着いたよ。お前の実験体。本当にコントロールできるんだろうな?」
 できるだけキャンプ地点からは離れていた方がいい。コウは国道20号線を西方面に流していた。
「知らない?おい、そんな言い方はないだろ。…分ってる。やるしかないんだろ?」
「分ったよ、おれが無理言わなけりゃ良かったんだろ?でも作戦ってのはな、同時に複数の目的を遂行するもんだぜ」
「これが失敗したらどうする?…そうか、システムはまだ8割か。急いでくれよ。こっちも目星つけてる奴がいるから。年齢制限を越えたら駄目なんだろ?」
 コウはじっと耳をすませながら運転した。彼の知らない単語がたくさん出てくる。
「分った。もう切るぞ」
 谷古田は電話を切った。
「手間かけるな。今度の事は打ち合わせがいるんでな。もう戻ってくれ」
 コウはハンドルを切り、車をUターンさせる。
「谷古田さん、本当はどういうことをするんです?」
「え?」
「今回のも、実験なんでしょ?」
「何でそんなことを聞くんだ?」
「ちゃんと教えてくださいよ」
「だから、いつか話すって言っただろ?もう少し待ってくれ。今話したって分かりっこねぇし。うまくいくかどうかも分からん」
「………………」
 コウはアクセルを踏んだ。
「お前、ホント知りたがり屋だな」
 谷古田はため息をつくように言った。
「納得できないと気が済みませんから」
「はは、そういうところ、嫌いじゃないぜ」
 二人はキャンプ地に戻って来た。

 車から降りると、アヤが谷古田の荷物をいじっている。
「おい、人の荷物を勝手にいじるなよ」
 谷古田が注意すると、アヤは振り向いて言った。
「だって、クスリ欲しいんだもん」
「夜になったらやるよ」
「あれがないと眠れないからさぁ」
「見かけによらずお前って繊細だよな」
「見かけによらずとは何だ。いたいけな女子に向かって」
「睡眠薬だ。あいつはいつもそれがいるんだよ」
 谷古田はコウに耳打ちした。
 アヤが眠れないのも無理はない。夜は誰もが襲来甲に怯えて休まなければならないのだ。
 昼に眠るというのもできるし、大抵のハンターはそれを実践しているようだが、それでは貴重な活動時間がなくなってしまうので、谷古田達には難しかった。
「もう車の運転してやらないから」
「わかったわかった。ちょっと待ってろ」
 谷古田はトラックの運転席に上り、もう一つのバッグを取り出した。
「なーんだ。そんな所にあったの」
 アヤはまじまじと谷古田を見つめる。
「何だよその目は」
「何でもないよ」
「さてはお前、あとでこっそりと取るつもりだな。次からはもっと分かりにくい所に隠しておこうっと」
「ちぇっ、意地悪」
「ほれ」
 谷古田は錠剤の袋を渡す。
「ありがと〜ん」
 気の抜けた声で、アヤはお礼を言った。
「ほどほどにしとけよ。習慣性があるんだから」
「分かってるって」
 アヤはそれをポケットに突っ込み、
「では、現地調達いってまいりま〜す」
 と、適当な敬礼ポーズを谷古田に向ける。そして、コウの所へやって来て言う。
「コウ、車貸して」
 アヤは車も運転できる。いろいろなことができる娘だ。彼はカギを渡した。
「ねぇ、未羽も行かない?結構楽しいから」
 未羽は立ち尽くして、どうしようか考えあぐねている。
「行きなよ」
 コウは促した。
「そうだよ。いろいろ教えてやるからさ」
「う…うん……」
 未羽も車に乗り込んだ。
 二人を乗せた車は走り去っていった。
「やっぱり女同士の方がいいんだろうなぁ。あの二人は気が合うのかもな」
 谷古田は笑って言った。
「さ、俺たちは下準備に入ろうぜ」
 谷古田はトラックに乗り込んだ。



「いいのかなぁ、こんな事して」
「いいのいいの。どうせみんな捨てられてるんだし」
 アヤと未羽の二人は、廃墟になったショッピングモールに来ている。
 現地調達とは、こうやって店の中から使えそうな物を物色する事だった。
 モールの内部は薄暗く、二人は懐中電灯を持って歩いている。
「とりあえず、電池の予備は持っておかないとね」
 アヤは言った。
 電池は今や生きていくうえで必需品だった。こういうことをするための懐中電灯だけでなく、ラジオ、CDプレイヤーなどに無くてはならない物だったからだ。
「ほらほら、この服とかカワイイよ」
 アヤはマネキンに光を当てて言った。
 袖の短い、青い斜めチェック模様の上着だった。紫色のボタンで止めてあって、ネックの所から赤い紐が垂れ下がっているのがアクセントになっていた。
「こんな高いの、悪いよ…」
「いいじゃんよ。この街を守っているのは私たちなんだから、これでも足りないくらいなんだから」
 そう言って、アヤはさっさと服を引っぺがし、未羽の紙袋に入れる。
「私に?」
 未羽は困惑した。
「未羽は黒髪だし、肌が白いから合うと思うよ。こう見えてもあたし、ファッションの専門学校に行ってたんだ」
「ごめんなさい、私の為に…」
「気にするなって。あんたはもっと図々しくならなきゃ」
「でも…」
「生きてて何が悪い!って開き直らなきゃ駄目だよ。だって、生きてるんだからしょうがないじゃん」
 未羽は苦笑いしてアヤの後をついて行った。
「まぁ、あたしは図々しすぎるってタコ屋によく言われるけどさ」
「タコヤ?」
「谷古田。逆から読んだらタコ屋」
「あははは…」
 未羽は大きな声で笑った。
「ま、それはともかく、あんたのその服に合うボトムを探さないとね」
「ありがとう、アヤ」

「このお菓子、賞味期限が切れてるよ…」
「気にしない気にしない。死にやしないわよ」
 アヤと未羽の二人は、衣服と缶詰やスナックなどの食料品を車に積み込んだ。
「これで、少しは美味いものを食わせられるわ」
 積み終えて、アヤは笑顔をみせた。
 未羽は彼女の強さにかすかな羨望を覚える。

「谷古田さんって凄いよね。こんな世界でも諦めないなんて」
 二人は車に乗り込む。運転するのはアヤだ。
「でもさ、アイツったら車の運転もろくにできないのよ。手、怪我してるから」
「ふうん。アヤはずっと谷古田さんと一緒にいるんだ」
 セルの音が鳴り、車のエンジンが回り始める。アヤは慣れた手つきで素早くギアを入れ、車はゆっくりと走り出す。
「そう、アイツの身の回り、私がいないと何にもできないの。家族みんないなくなったって言ってたし」
「でも、いろいろくれるからおあいこってとこかな。一緒にいて楽しいしさ。青木ヶ原行く時とかちょっとしたピクニックね」
「…青木ヶ原?」
「そう。アイツいっつも青木ヶ原に行くの。コウザトに用があるって言って。私は手前のお寺で待たされるんだけど」
「何しに行くんだろう…?」
「さあね。聞いたって教えてくれないから。でもいろいろなお土産を持ってくるよ。あんたたちが使ってるゴーグルとか、今回のクビカリなんかもね」
「みんな、谷古田さんのおかげなんだね。私たちがこうしていられるのも」
「でもありがたがることなんてないのよ。世の中持ちつ持たれつ、私達がいなけりゃアイツだってなーんもできやしないんだからさ。アイツもそういう事良く分かってるし」
 窓の景色の中、林立するビルの間から、ひときわ高い物が見える。
 石板はどこからでも見えた。
 アヤのようになれたらいいのにと、未羽は思った。もっと強くなりたいと。
 流れる景色を眺めながら、彼女は唇を噛んだ。

 コウと谷古田は、トラックで石板にできるだけ近寄り、そこで眠っているクビカリを荷台から運び出した。
 ここからだと、石板は視界全体を覆うほど大きい。それでもまだ2キロは離れているのだが。

 クビカリの重量は約800キロ。普通自動車ほどの大きさがあるにしては異常に軽い。
 トレーラーからレールを出し、クビカリを乗せたトロッコを押し出した。
「全く、原始人が最新部隊に立ち向かうようなもんだ」
 谷古田は作業をしながらぼやく。
 コウは何も言わなかった。
「お前は知りたがりだから、こいつの核を何で集めているか教えてやろうか?」
 谷古田は唐突に言った。
 コウはうなずく。
「襲来甲どもはな、あの中でリアルタイムに作られてるんだよ。その土地に適応したものがな」
 そう言って谷古田は、巨大な石板を指差した。
「材料もみんな現地調達だ。ほら、ここら辺には車がないだろ」
 コウは周囲を見回してみた。確かに、ここには乗り捨てられた車が一台もない。
「必要なものはみんなムカデが持っていっちまう。人間の死体とかもな」
 それはコウも知っていた。この街が妙に小奇麗で乾いているのは、奴らが仕留めた死体をみんなさらって行ってしまうせいだと。だから、死の臭いがしない。
「だが、襲来甲を生産する上で必要不可欠かつ現地調達できないものが一つだけある。それがあの核だ」
 コウはクビカリを仕留めたあと、摘出した核をじっくり眺めてみた事がある。それはどす黒いガラスの玉のようで、光を当てると複雑な模様がホログラムのように浮き上がってくる不思議な物体だった。
「だから、俺の計算では、核を集めていけばしまいには襲来甲もいなくなるんじゃないかなぁと思ってるんだが」
「証拠はあるんですか?」
 トロッコがスロープに乗って、押す必要がなくなったコウは問う。
 谷古田がトロッコのブレーキレバーを持ち、スロープゆっくりと下ろしていく。
「うんにゃ。ない…。それなりに調べてはあるがな」
 トロッコは地上に降り、今度は二人で押す。
 そしてビルの隙間に押し込んだ。
「後は夜明け前までお楽しみってとこだな」
 運んできたクビカリは、トロッコの上でじっとうずくまっている。四本の足を小判型の胴体の上で折りたたみ、頭部をその中央にうずめていた。
「多分こいつが石板の中に入ったらすぐにばれちまうだろうから、夜明けの混雑に乗じないと失敗してしまう」
 作業を終えた後、二人は近くのビルに登って、周囲を眺めた。
 生ぬるい風が石板の方から二人に吹き付けてくる。
 谷古田が双眼鏡を貸してくれた。コウは石板を眺めた。
 石板のそばにはホオズキが浮かんでいる。
 ふよふよと動く赤灰色の風船の表面には、幾つも目玉のようなセンサーがついている。それが小刻みに動いて、下界に目を光らせているのが見えた。
 石板は白く、微動だにせずにそびえていた。高さは約1500メートル。
 拡大してみると、表面は複雑な模様が網の目のように走り、小さな目がところどころに見える。
「俺は、あの石板に空軍が攻撃するのを見たことがある」
 谷古田は独り言のように言った。コウは双眼鏡から目を外した。
「戦闘機があいつのそばに接近した時、オレンジ色のレーザーが石板の全身から放たれたんだ。まるで花火が膨らんでいくみたいだったよ。勝負は一瞬でついちまった」
 コウは谷古田の顔を見た。
 谷古田は悲しそうに少し笑っていた。
「それは…、綺麗だったよ」
「そんな相手と戦わないといけないのか…」
「戦わなければ、負けるだけだからな。あいつらとの戦いでは、降伏なんていうものはないんだ」
「谷古田さんは、浄光っていうのを知ってますか?」
「浄光か…。よく知ってる」
 コウの顔は曇る。
「まぁ、俺は関わりたくないが」
 しかし、谷古田は吐き捨てるようにそう続けた。コウは少し驚いた。
「でも、青木ヶ原には行くんでしょう?僕、谷古田さんは浄光の…」
 それを聞くと彼は急に笑い出した。
「奴らを運んでやったことはある。取引した事もな。でも、俺とあいつらを一緒にされちゃたまらんぜ」
「すいません…」
 コウはつぶやくように言った。誤解だったのだ。

 ふと見ると、石板の上に雲がかかっている。二人はしばらく黙って景色を眺めていた。 
「彼ら、まるで生きていたくないみたいだった…」
「生きたい奴は生き、死にたい奴は死ねばいい。俺に言えるのはそれだけだ」
 また沈黙。
「今は、生きたいと思う奴でも生きるのが難しい」
「でも、僕は生かしてみたい。生きたくない人でも生きたいと思えるように…」
 コウは未羽の事を思いながら言う。
「僕はどうなってもいいから…」
谷古田は振り向いた。
「それができたら、いいよな」
 彼は笑う。
 コウも照れくさそうに笑った。



 夕方になって二人がキャンプに戻ると、未羽とアヤは夕飯の支度を始めていた。
 わざわざガスボンベを使って、本格的な料理に挑んでいる。
「おいおい、どういう風の吹き回しだよ」
「諸君、決戦前は腹ごしらえをせんといかんでしょうが」
 アヤは跳ねるような調子の声で言った。
「今日は張り切ってやるぞー」
「おいおい…大丈夫かよ。料理苦手なんだろ?」
 未羽がこちらを見た。
(未羽、俺たちの未来はお前にかかっている)
 谷古田は親指を立てて合図を送った。
「……!」
 未羽はうなづき、ガッツポーズをする。

 今、この街で生鮮食品を手に入れるのは不可能だ。せいぜい賞味期限切れのレトルト食品やインスタント食品、ビン入り調味料に缶詰ぐらいしか手に入らない。
 そんな中で手料理というのはなかなか大変な事だ。
 出てきた料理はパスタだった。
 それを紙の食器に盛り付けて、黄色の布を敷いた折りたたみテーブルの上に置く。
「さあさ、みんな席について〜」
 アヤが鍋を叩いてコウ達に知らせる。
「たまげたな。まるでレストランにでも来たみたいだ」
 谷古田は食卓の様子を見て目を丸くした。
「まったく、お世辞ばっかりなんだから。さっさと座りなさい」
 アヤは呆れ顔で言った。
 椅子に座ると、谷古田はパン!と顔の前で手を合わせた。
「いただき!ます!!」
 そう言うが早いか、すかさず一口食べる。
「コラ!そこの人、いい年こいて子供みたいなことしない」
 アヤは椅子に座りながら注意する。
 みんなは食べ始める。
「美味い!」
 パスタをすすり、水を飲んだ後、谷古田は叫んだ。
「もうあんまり美味い美味い言わないでよ。まるであたしがろくな物を食わせなかったみたいじゃない」
「生きてればいい事もあるんだなぁ…未羽、俺は嬉しい」
 谷古田は号泣するジェスチャーをしながらおどける。
「あー、ひっどーい」
 コウはあんまり食べる事に興味はなかったが、今日の食事は美味しいと思った。そして楽しかった。思えば、彼にはこういうにぎやかな食卓というのはほとんど経験がなかった。
 そしてそのにぎやかな食卓がこんなに美味しいものなのかと、心にしみるようだった、
 未羽もとても嬉しそうだ。谷古田とアヤのやり取りに笑ってばかりいる。
 それを見て、自分には彼女が欲しがっている物を与えられるのだろうかと、コウは複雑な気持ちになる。
 きっと彼女が欲しがっているのは、こういう賑やかで家庭的な空気だ。
 そして、それはコウにとって、何よりも縁遠いものだった。
 自分には、彼女を幸せにはできないのかもしれない。
 心の中でそう思いつつ、彼は賑やかな食事に付き合った。

 後片付けはコウと谷古田の仕事になる。
 水は、近くの水道が生きているのでそれを使う。
 紙の食器は焚き火の中に放り込んだ。
 片づけが終わって、休息の支度に入った。
 テントの中に寝床を作り、男たちは夜の12時まで休む。
 女たちは作戦には出ないので、彼らが休んでいる間、見張りに立つ事になった。
 その後安全な駅舎の中で眠る予定だ。

 日は落ち、襲来甲達が活動を始める……。

 空には満月が昇っていた。
 未羽は傍らに銃を置き、それを眺める。
 周囲は不気味に静まり返り、白黄色の月の光にほの明るく照らされていた。
 アヤは折りたたみ椅子に座って携帯ゲームに夢中になっている。昼にショッピングモールで手に入れたものだ。つくづく彼女は生きるのが上手いと、未羽は思う。
「やる?」
 アヤは未羽にゲームを差し出した。
「ありがとう。でもいい」
「そ」
 アヤは未羽の隣に椅子を持って来た。
「未羽ってさ、なんか育ちがいいにおいがするよね」
「そう?」
「料理上手いし。いいもの食べてたんだろうなって思ったよ」
 アヤはそう言って、両膝を抱え、赤い髪の毛を捲り上げた。
「あたしんちさ、あんまりお金持ちじゃなかったから、本当は美味しいものなんて食べた事ないし、綺麗な服を着ることもなかったんだよね。だからそんな感性が育たなかったっちゅうか…」
「そうなの?」
「うん。だから、自分のセンスを磨こうと思ったの。…でも、あんた見てるとやっぱ違うわって思った」
 未羽はうつむいた。
「でも、もう何もないから…。みんな死んじゃったし」
「うん。だから、あんたが悲しいのはあたし分るよ」
 アヤは未羽の肩に手を乗せた。
 未羽はその手に触った。
「私、アヤの強さがうらやましいって思った」
「そんな事ないって」
 アヤは未羽にむけて微笑む。
「あたしには、明日しかなかったもん。いつだって。今だってさ。だからこうやっていられるんだよ。明日しか見てないから」
「明日…」
 アヤが未羽の手を握り返した。
「未羽も昔の事ばっかり見ないようにすればいいよ。でもあんたのはいい思い出ばっかりだもんね」
「うん…」
「難しいよね…それじゃ」
「ごめん。迷惑ばっかりかけて」
 未羽はアヤの胸に顔をうずめた。
 アヤは未羽の頭を優しくなでる。未羽はかすかに嗚咽した。
 月が静かに、二人の上に降り注いでいた。
 静か過ぎる街。
 遠くから、かすかに銃声がこだましてくる。今夜もどこかでハンターが戦っているらしい。

 0時になった。
 目覚まし時計は敵に見つかるので使えない。
 アヤと未羽はテントに入り、二人を起こす。
「おう…時間か」
 二人はすぐに飛び起きる。こういう生活にはもう慣れていた。
 コウは銃を積み込んだ車のキーをひねる。エンジン音が沈黙した街の中に響き渡った。
「谷古田さん、急がないと感付かれる」
 コウは車を谷古田のところまで寄せる。
「じゃ、行ってくる」
 谷古田は片手を顔に当て、別れの合図をしてから助手席に滑り込んだ。
 コウは、こちらを見ている未羽に向け、無言で親指を立てて見せる。彼女はうなずいた。
 車はいつもより荒っぽく加速し、すぐにその場から走り去った。

「…行っちまったね」
 アヤは腰に手を当てて見送った。
「今回のはそんなに危険じゃないから、きっと無事で戻ってくるよ」
 未羽はアヤが引き返した後もなお、車が去っていった方角を眺めていた。
 うっすらと、石板が月に照らされて浮かび上がっている。
 どうか、無事で帰って来てと彼女は願った。
「あたし達はさっさと寝よう。あいつらに余計な心配かけてらんないし」
 アヤは、そう言って2つのシュラフを担いで駅の建物に向かって歩き出した。
「あんたのも持って行っとくから」
「ありがとう。アヤ」
 未羽はアヤの方へ走っていった。



 車は石板の方へ向かってひたすら走る。
 石板に近づけば近づくほど、襲来甲の数は増えていく。
 窓から見える、暗闇の中で青白く光る目が、彼らの存在を示していた。
 奴らに感付かれないように早めに車を降り、後はひたすら歩いて、昼間の設置点まで移動する。
「お前がいて本当に助かる」
 谷古田はコウの後ろをついていきながら言う。
 コウは、周囲に目を光らせながら、襲来甲のいない道を選んで進んでいく。
 彼にとってはこういうことは慣れた事だった。
「気配を察する嗅覚は天才的だな」
「そんなに褒めたって、何も出ませんよ」
「そんなことはない。率直な感想を言ったまでだ」
 コウは愛用のP220ハンドガン。谷古田は9ミリの機関銃を携帯している。この組み合わせだと同じ弾を融通できるのが利点だ。
 コウがピストルにこだわるのは携帯性の高さと、物音をさせずに相手に接近ができるからだった。クビカリをしとめるのにそれほど大量の弾薬はいらない。いろいろな武器を使っているうちに、自分の目的にはこれが一番いいと思えたのだ。
 谷古田が時計を見る。
 時刻は3時を回っていた。
「今日の日の出は5時頃かな」
 目的地の世田谷まであと1キロはある。
「ま、あんまり早く着いてもしょうがないしな」
 谷古田はつぶやいた。

 一旦眠りに入ったのに、未羽は目が覚めてしまった。
 時刻は午前4時だ。
 駅の構内の、かつては駅員の事務室として使われていた部屋にマットを敷いて、二人は眠っていた。
 アヤはというと、昏睡と言ってもいいくらいぐっすりと寝入っている。
 クスリによる睡眠は、寝つきがよくなる代わり、目が覚めにくくなる。未羽がクスリを使いたくないのはそのせいだった。
 何だか胸騒ぎがした。不思議と意識がはっきりしている。
 彼女はじっと耳を済ませる…。
 息を殺す……

 カタッ…

 ギギィィ……

 聞こえる。
 何かが外にいる……。
 未羽はゆっくり起き上がる。
 そして、部屋の出口へと這った。

 青白い光が動いている。
 クビカリ。
 未羽はすぐに悟った。
 どうやら外のキャンプ跡を探っているらしい。
 未羽はその場に伏せて、ドアの隙間から構内の様子を伺う。
 下手に動くと感づかれる。クビカリには熱感知の目もあると、コウが言っていたのを思い出す。

 ギギギ……ギギ………
 イイイィィィィ……

 クビカリの体のモーターの音。
 それが徐々にボリュームを上げていく。

 (こないで…)
 彼女は願った。

 しかし、モーターの音はさらに大きくなる。
 彼女の目は冴え、月の光のもと、周囲がはっきりと見えた。
 構内に差し込む青白い光の中、黒い影が動いている。

 ガシャ!

 構内に金属の衝突音がこだまする。
 
 ガシャン!

 再び。さらに再び。
 その重量による振動で部屋が小刻みに揺れる。
 クビカリは駅の階段を登っている。一段一段、ぎこちない足取りで。

 どうしよう…。
 未羽はうろたえた。あまり時間はない。
 クビカリが構内に入ってくれば、二人が見つかるのは確実だ。コウの言った通り、彼らに熱感知機能が備わっているなら、壁の裏に隠れても意味がない。
 どうしよう…。
 アヤはクスリのせいで昏睡している。未羽は彼女を揺すってみたが、全く起きる気配がなかった。
 未羽は震えていた。
 だが、彼女はアヤを守りたかった。
 私に出来る事は……未羽は懸命に考える。
 どうしよう……どうすればいい………
 未羽はそばの小銃を取った。
 それをポケットに入れる。
 奥歯を食いしばり、目を大きく開いた。
 私が、アヤを守らなきゃ。
 彼女は決断した。唇をきつく噛む。
 そして、ドアの隙間から構内を覗く。
 クビカリは駅の中に入って来て、青白い目を光らせながら頭部をさかんに動かしていた。
 私が引きつけておけばいい。彼女はそう考える。

 大きく息を吸う。不思議なほどに目が覚める。
 (もう、恐れない)
 彼女はドアを勢いよく開け、外へ飛び出した。

 時刻は4時半。
 コウと谷古田は目的地に着いた。
「さすがに、ここら辺になると、襲来甲は多いな…」
 谷古田はビルの端から大通りを覗き込む。
 いたるところで青白い光が蠢いているのが見える。
「それに、石板を守るための見回りも多い」
 声も小さく押し殺して、奴らに感付かれないように注意を払った。
「新しいゴーグルはどうだ?」
 コウはゴーグルをつけていた。
「どうだって言われても、新しい機能を試せる状況じゃないですから」
「そうだな。…しかし、これは暗視機能も強化した方が良さそうだ」
 谷古田は周囲を見回す。
「こんな所で戦うんじゃな…。現場と言うのは経験しないと分らんな」
「新型の対レーザー用の赤外線センサーは使えそうです。感度を上げれば、モーターの熱も感知できるかも」
「そんな事したら、レーザーの熱感知で眼が潰れるんじゃないか?」
「ないよりましですよ」
「そこも、要改善って事か…」
 例のクビカリは昼に置いた時と同じく、そこにうずくまっていた。
 襲来甲たちは、自分達の死骸にはあまり関心がないようだ。運搬用の「ムカデ」以外は近寄るそぶりもない。ムカデの活動時間は昼だけだし、夜の情報を元にしか動かない事が分っているので、谷古田たちのクビカリがさらわれる心配はなかったと言っていい。
「奴らは昆虫に似ているよ」
 谷古田はそう言いながら、ペンライトをかざしてクビカリの回路を覗き込んでいた。
 手に持った紙を参考に、クビカリの再起動を試みる。

 パチッ

 電気の火花が飛ぶ。
 やや用心して二人はその場から離れた。
 クビカリが動き出した。
 上向きに折り畳んでいた足を関節から180度反転させ、地上に押し付ける。
 足の先が広がり、地面をつかむようにそそり立った。スムーズな動き。
 胴体が足に支えられて持ち上がっていく。
 胴体の中に格納されていた頭が上に伸びてくる。頭部を守っているシールドが開いて、目から青白い光を発した。

 いつもなら二人を確認するなり襲いかかってくる筈なのだが…。
 クビカリは突っ立ったままで動こうとしない。
「コントロールできているようだな…」
 谷古田はにんまりと笑う。コウには事の仔細が良く分からない。
 彼はクビカリをさすって言った。
「こいつには簡単な命令を吹き込んだんだ。攻撃を全てキャンセルするという命令だ」
「だから、僕たちがいても攻撃してこないわけか」
「そういう事。完全に寝返らせるまでは、まだまだ研究が必要だけどな」
 コウは恐る恐るクビカリに触ってみた。クビカリは何もしてこないものの、じっと顔をコウに向け、頭部の目は常に動いていた。いつもの事ながら緊張する。
「すごい…こんな事が出来るなんて」
「奴らの言語は普通のコンピューター辺りとはかなり違うから、完全な解読にはまだまだ時間がかかるみたいだが。ゆくゆくは…」
「こいつらを味方にできたら…」
 コウが谷古田の発言をさえぎった。
「そうだな。それも考えてあるらしいが」
「これをやった人って誰なんです?」
 コウは尋ねた。
「コウザトって奴だ」
「コウザト…」
「神の里で神里。俺の旧い友人でもある」
 谷古田は時計を見た。
「もうすぐ5時だ。ぼさっとしてられないな。続きは後だ。いくぞ」
 彼はコウを引っ張って、近くの一番高いビルを登り始めた。

「この計画はまだ終わっていないからな。あいつがちゃんと帰還するのを見届けにゃあいかん」
「爆弾はどれくらいで爆発するんですか?」
「あと20分ぐらいだな。帰還に15分、潜入に5分。それまでに見つかりゃアウトだ」
 二人は階段を登りながら会話する。
 さすがに階段は疲れる。コウにとっては慣れた事だったが、谷古田は息が切れてきて、次第に遅れるようになる。
「このビル…一体何階あるんだよ?」
「知りませんよ」
「ったく、歳は取りたくないもんだぜ…」
 屋上のドアを開けると、地平線が明るくなっているのが見えた。
「やっと着いたか……」
 谷古田はすっかりばてていた。
「コウ、お前が確認してくれ…」
 そう言って谷古田はその場にへたり込んだ。
 コウは谷古田から双眼鏡を受け取り、地上を見てみる。
 クビカリたちは一斉に石板へ向けて歩き出している。どこを見ても同じだった。
「胴体に赤いマーカーをつけてるのが例の奴だ。見えるか?」
 コウは目を凝らした。
 赤いマーカーをつけたクビカリが、他のクビカリと共に大通りを歩いていた。
「いました」
「そうか…ハァ」
 谷古田は大きく息をついた。
「命令をいじった時に、本能プログラムが壊れてないか心配だったんだ…。こればかりは樹海じゃ確かめようがないからなぁ……」
 コウは振り向いた。
「樹海?」
「そうだ。青木ヶ原」
「どうしてそんな所で……」
「どうしてって、神里がいるのはそこだからな」
「そうなんですか…。何でよりにもよって樹海なんかに……」
「俺に言われても困る。そんなに知りたいなら、あいつに直接聞いてみろ」
「えっ?」
 コウは固まった。
「お前を連れて行くつもりだったんだ。あいつの所へ」
 谷古田は目を伏せる。コウにはその真意がよく分らなかった。

 下手に建物に逃げ込んでも、クビカリは入り口を破壊して進入してくる。
 それが原因で崩落が起きたりしたら元も子もない。
 未羽は慎重に逃げ場を選んだ。ビルの陰から外を見る。クビカリは頭をせわしなく動かし、彼女を探している。
 銃の弾はあと4発。使った5発の内2発は牽制に、残りは頭を狙って外した。
 体の中から気が張って、不思議なほど冷静になっている。
 自分が守らなければ、アヤが死ぬ。
 彼女だって死ぬつもりはない。それにクビカリは怖い。
 しかし、コウが戦い方を教えてくれた。彼が戦う姿を思い出しながら、未羽は動いた。

 ターゲットを見つけたクビカリは、日が昇っても帰還しようとはしない。
 しかし、付近の仲間を呼び寄せる事はなくなる。
 空が少しずつ明るくなっていくのを見て、未羽は少し勇気付いた。
 
 クビカリは新型だった。
 おそらくハンターに対応するべく改良されたバージョンだ。奴らは腕による打撃のほかに、熱線による攻撃も出来る。
 熱線の威力は限定的だが狙いは正確で、苦痛で相手の動きを遅らせるぐらいは十分に可能だ。
 未羽の服には丸い焼け焦げた跡が幾つも出来ていた。もうこの服は着れないが、今はそんな事を気にする余裕はない。

 未羽はビルの中に逃げ込んだ。クビカリも後を追う。
 ビルの一階はかつてブティックだった所らしく、おびただしい衣類が床に散乱している。
 クビカリは入り口のガラス戸を突き破って店内に飛び込んできた。ハンガーや胸だけのマネキンが巨体によって吹き飛ばされ、耳障りな音を立てて押しつぶされる。
 飛び込んできた際にバランスを崩し、クビカリは横倒しになる。
 未羽はその隙を狙って、頭部に向けて銃を打ち込んだ。
 
 バキン!

 金属に打ち込んだときとは違う音がして、クビカリの頭部がはじき飛んだ。
 未羽は手ごたえを感じた。
 しかしそれでもクビカリは起き上がってくる。まだ生きていた。
 残りの弾はあと3発。
 未羽はクビカリが起き上がるのを待たずに、階段を駆け上る。

 ズズゥゥゥゥン……

 一瞬まばゆい光が見えたかと思うと、激しい振動がコウと谷古田の足元へ打ち寄せてくる。
 谷古田は素早く双眼鏡をかざし、石板の方を見る。
 石板の中腹に円形のくぼみが出来ていた。送り込んだクビカリに仕掛けられた爆薬が炸裂して出来たものに違いなかった。
 双眼鏡を使わずとも、その様子は確認できる。石板から黒い煙が湧き上がっていた。
「ほう、アリ塚のアリさん達は大騒ぎだ」
 谷古田は双眼鏡を覗き込みながらにやけた。彼の目にはクビカリやムカデが周囲に群がってきているのが見えた。
「一体どんな爆弾を使ったんですか?」
「高性能爆薬を積めるだけ積み込んだ。内部からダメージを与えたのは効果的だろう」
 谷古田は双眼鏡をコウに渡す。
「所詮、石板の傷が癒えるまでの時間稼ぎにしかならんだろうが…」
 コウは石板が傷ついた様子を見て、体の中に蜜のような歓喜が広がるのを感じていた。
「眺めて溜飲を下げるのは勝手だが、もう行くぞ」
 谷古田はさっさと階段を降り始めた。
 コウはしばらく双眼鏡を覗きこんでいた。

 ビルの中を、未羽は走っていた。クビカリは彼女を追ってどこまでもやってくる。
 奴らのエネルギーには限界がないと思えた。逃げれば逃げるほど、彼女とクビカリの差は縮まっていく。
 しかし先程の一撃を境に、クビカリの動きが変わったように思えた。
 熱線の攻撃がなくなり、物陰に隠れているとこちらを見失う時もある。
 頭を撃った時に、センサー類の幾つかを破壊したらしい。
 クビカリの動きに隙が多くはなったが、こちらの弾もあと3発しかない。弾がなくなればクビカリを倒す事は不可能だった。
 しかし彼女はハンターではない。戦う訓練もした事はなく、戦った事もなかった。
 だんだん息が上がっていくにしたがって、動きに正確さが失われていく。反撃しようにも狙いが定まらない。
 どうしよう…
 どうしたらいい……
 駆け出した時の意気が徐々に萎えてきていた。

 コウと谷古田は襲来甲のいない道を引き返す。
 キャンプまでは30分もあれば着く。
 しかし、キャンプの様子がおかしい。
 テーブルはひっくり返され、あたりに荷物が散らばっていた。
「おかしい…」
 コウは車から顔を出してつぶやく。
 よく見ると、ま新しい引っ掻き傷が駅の中へと続いていた。
 アヤが二人の姿を見るなり駆け寄ってくる。
「未羽がいないの!」
「どうした!?」
「分らない…。起きたときにはもう…」
 アヤは狼狽しきっていて、そう言うなりその場に泣き崩れてしまった。
「待ってろ!」
 谷古田はアヤに言った。

「これはクビカリの仕業だ」
 コウは断言した。
「あいつが階段を登る時は、傷が左右交互に付く。間違いない」
 コウは外に向かって走り出した。谷古田もそれに続く。
 駅構内をくぐって、コウは地面に目を凝らす。
 クビカリの足跡は白い傷となって黒いアスファルトに刻まれていた。
「谷古田さん、銃を貸してください」
「一人で行くか?」
「ええ」
 谷古田の機関銃を受け取って、コウはゴーグルを頭に引っ掛ける。
「僕が行かなきゃ」
「しょうがねぇな。俺は後から車で…」

 パァン!

 突然、銃声がこだました。
 コウの顔は厳しくなる。
「急がなきゃ」
 コウは全速力で走り出した。

 未羽は全ての弾を使い果たしてしまった。
 さっきので最後。
 なのに、クビカリの動きは止まらない。
 彼女はクビカリの急所を知らない。
 コウの戦いを模倣してみたが、頭部を撃つだけではクビカリの動きが止まらない。
 もうどうすればいいか分からなかった。
 武器を失った彼女は急に怖くなる。クビカリは不規則に震えながらも彼女に近づいてくる。
 彼女の背後はフロアの角。もう逃げ場がなかった。
「来ないで…」
 弱音を吐いても、クビカリは言葉など聞き入れてはくれない。
 弾痕で歪んだクビカリの顔が未羽のほうをじっと見ていた。底無しに虚ろな一つ目をもつ怪物が、意思も感情もなくただプログラム通りに人間を狩ろうとその冷たい腕を伸ばしてくる。
 こんな意味のない出会いで。人は次々と殺されていくのか。
 彼女は死を覚悟した。

「未羽!!」
 コウは呼んだ。
 その声は未羽の耳にも聞こえた。
「コウ!」
 未羽は叫ぶ。
 クビカリは、コウの声で一瞬動きを止めた。
「未羽、伏せろ!」
 未羽はその場で体を丸める。
 コウは銃の引き金を引いた。
 銃口から十字の閃光が上がり、おびただしい弾丸がクビカリの頭部に浴びせられた。
「!!」
 クビカリの頭部が、激しく銃弾に踊らされる。
 コウは怒りに目を見開いて、弾が尽きるまで撃ち続けた。薬きょうが周囲に飛び散る。
 衝撃と破片と火花が、角でうずくまっている未羽の背中にも飛んでくる。

 カキン!

 弾が尽きた。
 銃の反響音が消えると、静寂が周囲を覆う。
 クビカリは完全に停止し、その場に崩れ落ちた。
 コウは空になった銃をその場に落とし、未羽の所へ歩み寄った。
 未羽はうずくまっている。
 コウは彼女にそっと手をやる。彼女はこちらに振り向いた。
 怯えた目。しかし涙はない。
 あちこちが焼け焦げた衣服。擦り傷だらけの体。
「未羽…」
 コウはつぶやく。
「待たせてごめん」
 コウは笑った。
「ありがとう…」
 未羽も微笑んだ。
「ごめんなさい…」
 そしてコウに抱きつき、泣いた。

「やれやれだ。まぁ、不幸中の幸いだったな」
 谷古田は車から二人を降ろす。
「未羽!よかったぁ!!」
 アヤは彼女に抱きついた。
「私のせいでごめんね…」
「いいの、私が決めた事だから…。アヤを守りたかった。それだけ」
 未羽は笑って言う。
 コウは内心嬉しかった。あの未羽がこんなに強くなっていた事に。自分の気遣いは余計だったのかもしれないと思った。
「まぁ、ゆっくり休め」
 谷古田は朝食の準備をしながら淡々と言う。
 彼にとっては人の死は日常の一コマに過ぎず、楽しく語らった仲間が翌日には物言わぬ屍になっているような事はたくさん経験してきたのだ。
 それでも、安堵している様子がコウにはうかがい知れた。
「今日は東京を出よう。奴らの勢力下を抜ければ、少しは安穏と出来るだろう」
 谷古田はそう言いながら、コーヒーを皆に持って来た。
「ほら、飲んどけ」
「どうも」
 コウは礼を言う。
「今度からはちゃんと訓練をしておかなきゃな。また、いつ何時こういうことが起きるか分らんから。俺たちと一緒にいるなら、足手まといになるのだけは勘弁だぜ」
 谷古田の言葉は手厳しい。
 未羽もアヤもしゅんとうなだれている。
「料理は確かにありがたかったけどな」
「ごめんなさい……私が弱いばっかりに」
 未羽は目を伏せた。
「まぁ、初めてにしては上出来だ。うぬぼれられるよりずっと筋がいい」
 谷古田は笑った。

 朝食のビスケットを食べ終わると、谷古田はアヤを呼んだ。
「ちょっと、車の運転頼む。コウは休ませときたい」
「うん」
 二人はコウの車に乗る。
「ちょっと私用で車借りるぞ。お前らは少し休んどけ」
「アヤを連れてどうするんですか?」
 コウは訊いた。
「ちょっと今回のお仕置きをな。きつーく」
「勘弁してくださいよぉ。あたし反省してるんだから〜」
 アヤがうめくように言った。
「ほら!さっさと運転しなさい」
「え〜ん」
 谷古田の笑い声が響く。
 車は走り出した。
「アヤ、ひどい事されないといいけど…」
 未羽はちょっと心配した。
「ただの冗談だよ」
 コウは笑って言う。
 二人は着の身着のままでその場に寝転んだ。
 朝の柔らかい日差しが、二人の肌を包み込むように温める。
「久し振り。こんなに気持ちのいい朝…」
 未羽は目を閉じて微笑んだ。
「そうだな…」
 コウも目を閉じる。
 緊張の糸が切れたのか、すぐに未羽は寝息を立て始めた。
 コウは少し目を開け、未羽の顔を見る。
 今までに見たこともない、安らかな寝顔。彼は嬉しかった。

 谷古田は車を降り、衛星電話をかける。
「谷古田だ。神里いるか?」
 アヤは車のそばで待つ。
「今日はトンボいないのね…」
 空の様子を見て、アヤはつぶやく。
「近いうちに被験者を連れて行く。……そうだ。名前は橘甲樹。16歳。男」
『そいつに…ここの事は伝えたんだろうな?』
 電話の向こうの声が言う。
「詳しくは話していないが、とりあえず行く事は伝えてある」
『覚悟はさせておいたほうがいいぞ。命に関わる事だ』
 谷古田の表情が厳しくなった。
「お前が直接伝えてやれ。あいつもそれを望んでる」
『ほう、情が移ったか。谷古田。今までほとんど失敗に終わった実験だぞ。今までお前が送り込んだ奴は皆…』
「うるさい!」
 谷古田は怒鳴った。
「やるかやらないかはあいつの判断に任せてある!貴様がもっと成功させればいい事だろうが!」
 しばしの沈黙。
『…わかったよ。それじゃ今度会おう』
「すまねぇ」
 電話は切れる。

「遅くなったな。悪い」
 谷古田は車のところに戻ってくる。
「何してたの?」
「ションベン」
「嘘ばっかり」
「じゃあウンコ」
 谷古田はさっさと車の中にもぐりこむ。
 どうせ、彼がちゃんと答えてくれない事は分かっている。
 谷古田にはたくさんの秘密があって、そのほとんどを彼女には明かしてくれないのだ。
 彼女にはそれが何だか悔しかった。
 しかし彼女はそれ以上の追求はせず、車を走らせた。

 コウが目を覚ました時、二人の上にはビニールの天幕が張られていた。
 7月の日差しは強い。おそらく谷古田とアヤの計らいによるものだろう。
 後先も考えずに、あんな所で眠ってしまった自分を、少しうかつだと思う。
 未羽はまだ眠っている。初めての戦闘で疲れているのだろう。コウはそっとしておく事にした。
 天幕の外に出ると、谷古田とアヤは荷作りに入っていた。
 コウは時計を見る。11時。
「目が覚めたか」
 谷古田はトラックの荷室から顔を出して笑う。
「僕に手伝える事はありますか?」
「いや、もうない」
「気にしない。どうせ、コウ達の手は借りないつもりだったから」
 アヤがテーブルを畳んで持ってくる。
「今日の行き先はどこなんです?」
「厚木だ。お前らも付いて来てもらうぞ」
 コウの問いに答える谷古田の顔は真剣だった。



 周囲を森が緑の海のように覆っている場所に、一つの白い建物がある。背後には雪を頂く富士山がそびえている。
 黒ずくめの男が、その建物から現れた。
 青い血管の浮き出た白い肌。そして濃いサングラスをしていた。
 彼はサングラスを外し、太陽の光に目を細める。
「谷古田め。また連れて来るか…」
 男はか細い声でつぶやく。
「懲りない奴だ」
 男はふっと息を吐く。
 建物の隣にはおびただしい量の襲来甲がガラクタになるまで解体され、うずたかく積もっていた。
「神里!」
 真っ赤な衣服に白いエプロン着けた、長身で褐色の肌の女性が駆け寄ってくる。長くウェーブをした黒髪を揺らしながら。
「外に出ていいのか?」
「ああ…、今日は気分がいい」
「この前も、そう言って外に出て、すぐ寝込んだじゃないか」
「この体でも、時には陽に当たらんと、体内のバランスが崩れる。今ですら、二日寝て二日起きの生活だからな」
 神里の肌は透き通るように白い。ゆえに血管が青く浮き出て見える。色素欠乏なのだ。
「私には、お前の黒い肌がうらやましい」
 神里は、女の手を愛撫する。女の瑞々しいピンク色の唇が両端で引っ張られて、艶やかな笑顔をつくった。
「私はそんな事、思った事もないよ」
「何気なく生きていけるのは幸運なことだ。誰もそのことに気付こうとしない。そしていつも物欲しそうな顔をする」
 女は神里の顔をじっと見る。彼はすぐに自分の世界に入ってしまう。今だって彼女を見てはいないように思えた。
「私もお前も、そのことは良く知っているもの同士だ。サラマ…」
「…そうだね」
 サラマと呼ばれた女性は神里に向けて微笑んだ。
「…今日、連絡が入った」
 神里はサラマの手を離し、自分が出てきたドアへ引き返していく。サラマはその後をついていった。
 部屋の中は薄暗く、赤いランプがあちこちにともっていた。
「神里が、また被験者を連れてくる」
「今度は大丈夫かい?」
 サラマは、彼が触れた手をいとおしそうになでながら言う。
「私にミスはなかった。だが、今までの奴らは若すぎたせいで、皆呑まれた。それだけだ」
 二人はどんどん奥へと進んでいく。この研究所には窓はほとんどなく、あってもふさがれていた。
「だけど…」
「上手くいくかどうかはそいつ自身の精神力にかかっている。適応してなお自我を失わない強さがあるかどうかだ」
 神里は研究所の一番奥の大扉を開ける。そこには、巨大な人影が仰向けに寝転んでいた。
「こいつは言ってみれば夜叉だ。人を喰う鬼だ。だがその力が必要なのだ」
 巨大な人影は、今は静かに横たわっていた。
「私には、こいつが心という救いを求めているように思える…」
 神里は笑っていた。人の前では決して見せる事のないような満面の笑顔だった。

 トラックは橋を渡り、南西の方角に進んでいく。その後を、コウと未羽が乗った4輪駆動車が追う。
 道はところどころひび割れ、それを乗り越えるたびに振動で車が揺れた。
「多摩川の橋が残っていたのは幸運だったな。これからは少し安心できる」
 谷古田は無線でコウ達に話しかけた。
「厚木に行ったらどうするんですか?」
 コウは応答する。
「とりあえず、燃料と弾薬の補充。そして身体検査をしてもらう。それからは自由にしていいぞ」
「まるで遠足みたい…」
 未羽は少しはしゃぐ。
「まぁ、そんな所だな。あそこは危ないオモチャがいっぱいあるしな」
 谷古田の笑う声が聞こえる。
「でも、怖いおじさんがいっぱいいるから気をつけろ」
「おっさん、あんまり話すとやばいよ…トンボがいる」
 アヤのうろたえる声が聞こえる。
「…という訳だ。トンボ待ちだ」
 無線が切れた。
 未羽は双眼鏡で空を見上げた。
 トンボが一体、上空をゆっくり飛び回っている。
 トンボは、全長だいたい4メートル。胴体は筒状で、そこから時折ジェットを出して急加速する。胴体から長い板状の翼が生えていて、普段はそれを使ってグライダーのように滑空している。
「ここら辺はハンターは少ないのかな…」
 コウは独り言をつぶやく。
 トンボを打ち落とすには、威力の強いライフル銃でなければ無理だ。
 昼間なら反撃も少ないので、狙撃している人は多いのだが。

 トンボが多い所にはヒドラが出やすい。コウはそれが少し気がかりだった。
 ヒドラは長い首を持つ頭部の口から高熱のエネルギー弾を吐いてくる。その威力は一撃でビルを倒壊させるほどのものだ。その首の数は個体毎に異なり、一番多いものでは7つもの首があるのが確認されている。そして体についた無数のレンズ。そこから、人一人を殺すには十分な威力のレーザーを放射する。
 今まで、ヒドラを倒したハンターはいない。それは生身の人間には太刀打ちできない代物だった。
 コウと未羽は、かつて通っていた学校がヒドラによって破壊されつくしたのを今でもはっきりと覚えていた。
 人の少ない地方では、ヒドラを中心としてクビカリやフジツボが群がった集団が街を蹂躙しているという話も聞く。

 コウは道の脇にある電柱を眺めた。
 ここでもフジツボが群がっていた。円錐の殻を持つ小さな襲来甲だ。電気のある所にはどこでも群がり、電気を吸い取ってしまう。
 ある意味、一番厄介な奴だった。こいつのせいで、あらゆる電化製品が使えなくなっているのだから。高圧線や発電所などは、フジツボで幾重にも覆い尽くされているそうだ。
 移動する時には小さい足を出して、ヤドカリのように歩く。道のそばでは車に潰されたフジツボをよく見かける。
 しかし奴らを潰す時には注意が必要だ。潰れる時に溜めていた電気を放出するから、下手をすると感電してしまう。実際、クビカリの次ぐらいに死者が多いのが、フジツボでの感電だった。

「コウ、あれ!」
 未羽が突然大声を出した。
 道の脇に白装束の集団がいた。浄光だ。
 皆白木の杖を持ち、西に向かって歩いている。
「前より数が増えたみたい…」
 未羽はつぶやいた。
 コウは唇を噛む。
「あんまり見るなよ」
 コウには昨日の事がまだ鮮明に残っていた。
「ごめん」
 未羽は申し訳無さそうに言った。
「でも、あの人達って辛く無さそう…」
「………」
 コウは返事をしなかった。
「でも、私は決めたから。この世界で生きていくって」
 浄光の一団は後ろに流れ去っていった。
 未羽は窓に頭を押し付けながら言う。
「もう…心配しなくて、いいよ」

 コウは何も言わなかったが、内心嬉しかった。
 そして、少し笑う。

『おかえり…』

 二台の車は西へと向かっていく。