4章 心と心



 ヒドラに止めを刺した後、機体を座らせてハッチを開け、コウは外に出た。
 泥まみれの少女に歩み寄る。
 彼がそばに来るのを待っていたかのように、少女はその場に崩れ落ちた。
 雨によって火は消えたものの、社は半分ほど焼け焦げ、木が燃えた臭いが周囲に立ち込めていた。信者達は散り散りに逃げ隠れ、境内の中は三人だけが残っている。コウと、彼女と、灰色の男。
「私の社が……」
 ナラクは呆然として無残な姿になった社を眺め、その場に膝をつく。
 彼にはもう、シノビの事など頭にはなかった。
 先程までの喧騒が嘘のように静まり返った境内に、雨だけが静かに降り注いだ。

 程なくして、谷古田が参道を登ってやってきた。
 戦いの一部始終は、機体を通して送られる画像によって把握していたが、その場に来ると、戦っていた相手の大きさと周囲の惨状に息を呑んでしまう。
「想像以上だ…。こいつをたった一機でしとめるなんて…」
 少女を抱き支えているコウの姿が目に止まり、谷古田はそばに近付いた。
「その娘、どうした?」
「気を失っちゃって…。手当てしてもらえませんか?」
 少女の顔は真っ青になっていて、コウの胸の中で目を閉じている。長い髪も、神主のような衣装も泥にまみれていた。
「分かった。…今日は道明寺に泊まろう」
 谷古田の言葉に、コウはうなずく。

 それから谷古田は、その場で崩れ落ちている灰色の衣装をきた男のそばに歩み寄り、言った。
「あんたの所の娘さん、こちらで手当てする事にしたよ」
 少しの間を置いて、灰色の男はか細い声で返事をした。
「…好きにするがいい。私は全てを失った…」
「あんただって信者を束ねる者なんだろ。残った奴らのことはちゃんと面倒を見てやれ」
「何もかも失った者によく言う……」
「人の上に立ちたいのなら、それくらいはする事だ。あんたを必要としている奴らはまだいるんだから」
 谷古田は周囲を見回す。あちこちから、こちらを不安げに覗く信者達の姿を確認できた。
「もうこの教団には柱がないのだ。こんな所に誰が残ると思う?」
「それは、お前次第だな…」
 谷古田は引き返して、少女を背中におぶった。
「フフフ…」
 それから、ナラクは打ちひしがれたまま、一人寂しく自分に笑った。

 コウは再び機体に乗り込み、車列のある下の道まで飛んでいった。
 少女を背負った谷古田は、参道を麓へと下っていく。
「谷古田さん、谷古田さんじゃないですか!」
 ふと、彼を呼ぶ男の声がする。
 谷古田が振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。
「北見さん…あんたもいたんですか」
 声の主は、旅の途中の駅で出会った中年の男だった。
 彼は背中に背負われている少女を見て驚きの表情を浮かべる。
「これは、シノビ様じゃないですか」
「ああ、そうだ。ちょっと手当てしなければまずいようなんでね」
「そうですか…ここではもう無理ですしね…」
 北見は丁寧にシノビの顔を自分の袖で拭いた。自分が汚れるのも構わずに。
「おいたわしや…こんな小さな体で、あまりにも多くの事を受け止めようとして…」
 北見の目に涙が浮かんでいた。彼は一心に拭き続けた
 谷古田は何も言わず、その様子を見ていた。
「北見さん、あなたはここに残る気はありますか…?」
 谷古田は彼に問うた。
「もちろんです」
 北見はきっぱりと言ってのける。
「こんな時こそ、我らは支えなければならんですから」
 静かに彼は微笑んでいた。
「私は、まだまだ戦わねばいかんようです…」
「そうか…。あなたは強い…」
 谷古田はほっとしたように笑い、坂の上の社を見上げた。
「ほら、あそこにも傷ついた男が一人います。どうか、彼を支えてやってくれませんか…」
 そう言って谷古田は彼に一礼し、参道を下りていく。
 北見はその場で彼を見送った後、ゆっくりと参道を登っていった。

 鳴沢に入って来たばかりの車列では、戻ってきた機体をキャリアーにセットする為、整備員達が慌しく動き回っていた。
 そんな中、薄暗い通信車の内部で、神里は一人、ノートパソコンのファイルを眺めていた。
 そこには、一人の少女の顔と、そのデータが表示されている。
『被験者NO5 
 久品 志歩(くしな しほ)』
 コンピュータのファンの音が響く中、彼は黙り込んだままそれを凝視していた。

 一行は、浄光の社の向かい側にある道明寺に泊まる事になった。
 戦いの後から雨脚はいよいよ激しくなり、薄暗い空には雷光が白い龍のようにのた打ち回っていた。
 キャリアーに載せられた機体は、厳重に黒いビニールのカバーで覆われ、寺の境内に放置される。
 連れてこられた少女は未羽とアヤに全身をお湯で洗い清められ、真新しい寝巻きを着せられて布団の上に横たえられていた。
 突然訪れた団体客にも、明海は嫌な顔一つせず、すぐに部屋を用意してくれた。
 無愛想な連中が多い中で、谷古田は和尚に頭を下げっぱなしだ。

「彼女が、声の主だって言うのか?」
 谷古田の言葉に、コウは頷く。
「まるで、機体を通して話しているみたいでした」
 コウは先程の事を彼に話す。
「通信には残っていないけどなぁ」
 谷古田は頭をかいた。
 彼らのそばで、少女は死んだように眠っている。
「予定が狂っちゃいましたね」
「仕方あるまい。あのまま放っておけば大変な事になってた」
 谷古田は縁側に立ち、窓ガラスの向こうで激しく降りしきる雨を恨めしそうに眺めながら言う。 
「雨の中じゃ、機体の能力が落ちる事も分かった訳だ。おまけに破損箇所の修理もしなければならん」
 谷古田は部屋の中へ引き返す。
「この娘が回復するまで、ここに泊まっても良かろう」

 雨は日暮れには止み、空には月が出ていた。
 一行のトラックには遠征分の食料が積んであったが、明海は自分達のものを食っていけと言ってくれる。彼らはそれに甘えさせてもらう事にした。
「もう、あの悲しい出来事を見なくて済むというだけで嬉しいんですわ」
 明海が言っているのは、かつての実験で連れてこられた子供達の事だ。
 谷古田には、その言葉は少し痛い。
「それにしても、まさか浄光の教祖様がこの家に泊まるなんてねぇ…」
 明海は、隣の部屋に眠っているシノビの事が気になる様子。
「回復したら、また浄光に戻らせるつもりなのですか?」
「まだ分かりません」
 食事は進む。献立は相変わらずの精進料理だが、誰も文句を言う者はいない。
「何しろ、神体が失われ、教祖が傷ついてしまった。教団としては致命的な事です。それを支えられる力が信者達に残っていれば、それも可能でしょう」
 谷古田はあらかた食べ終わって、食器を片付けながら言った。
「和尚も宗教家ならその事がどんな事か分かるでしょうに」
「私らの宗教には、そもそも神がおりませんから、そういう事は良くわからんのです。この寺の本尊が無くなっても、大して影響はありませんな」
「宗教にもいろいろあるんですね…」
 未羽は妙に感心して言った。

 その日、そのまま皆は眠りにつき、次の朝からは機体の修理が始まる。
 空は綺麗に晴れ、日の光に白い機体がまぶしかった。
 整備員達は早めに起きて、機体の点検を始めた。
 コウと谷古田はその様子を見守る。
「手のダメージが酷いな…あんまり殴らないようにしないとな」
 渡されたデータを見ながら谷古田はコウに注文をつける。
「ナイフだけじゃ大変ですよ。何か他の武器も無いんですか?」
「それは神里に頼み込むしかないな。まぁあいつの事だから、何か考えていると思うが」
 今日、神里は珍しくどこかへ外出していた。昼までには戻ると言い残して。

 シノビは昼になって目を覚ました。
 目を覚ましはしたが、ただ目を開いているという感じなので、彼女が目を覚ました事を気付いたのが昼ごろだったという事だ。
 布団から起き上がっても、ぼんやりと宙を見ているだけで、看病をしている未羽からの呼びかけにもほとんど反応しない。
「彼女、どうしたんだろう?」
 未羽は何だか不安になる。
「もともとこうだったのかな…」

 そこへ神里が帰って来た。
「シノビは浄光に引き渡す事にした」
 彼女が寝ている部屋に入ってくるなり、神里はそう告げる。
「でもまだ、様子がおかしいし…」
 未羽は言う。
「彼女はそれでいいんだ。もともと『喰われた』存在なんだから」
「喰われた…?」
「彼女は襲来甲と同調したために、人間としての感情が無くなってしまった存在だからだ」
 神里の目元は悲しそうに歪んで、シノビの姿をじっと見ていた。
「残念だが、それ以上の回復はない…」
 そう言い残し、さっさと部屋から出て行く。
 部屋に残った未羽はシノビを見る。彼女は相変わらず人形のように無表情なままだった。

「目覚めたか」
 コウと谷古田が部屋に入ってくる。
 シノビはコウの姿を見ると、ほんの少し表情を作った。
「あ、笑った」
 未羽が嬉しそうに言った。
「コウの事は覚えているみたい」
 未羽は彼女の顔を丁寧に拭いてやった。
 彼女はコウに向けて手を伸ばしてきた。
「こ…う……」
 まるで幼子のように、コウに抱きつく。

 昼食後、神里はシノビの診察をする。
 谷古田と整備員はメンテナンスの続きに戻り、部屋にはコウと未羽とアヤだけが残った。
「科学者が診察なんて…」
 アヤが首をかしげて言う。
「馬鹿にするな。私は医者でもあるんだ」
 神里は彼女の胸に聴診器を当てたり、脳波を調べたりする。
「体に異常はないようだ」
 神里は聴診器を外しながら言った。
「脳波は、相変わらず低調だな。意識の活動が低い」
 神里はシノビを見る。彼女は未羽やアヤのお下がりを着せられて、そこにちょこんと座っていた。巫女の髪飾りをつけた長い黒髪と、今風の衣装のギャップが奇妙な雰囲気をかもし出している。
「それでも、思ったほどではなかった」
「それじゃ、治るかもしれないって事?」
 未羽は訊いた。
「確かに、昔よりは回復している」
「昔?昔っていつの事?私らが会ったのは昨日だよ」
 アヤが神里の言葉をかいつまんで訊く。
 神里は少し動揺する。
「……昔の事だ」
「神里さん、随分この娘について詳しそうだけど……」
 と、未羽。
「いつもはあんなに引き篭もりがちなのに、この娘の事になると外に出かけたりして、なんか変だよ」
 神里は黙ったままだった。
「教えてください。神里さん。この娘の事。この娘の声が機体から聞こえるのだって、何か知っているんでしょう?」
 コウも神里に懇願した。
 神里は顔を険しくした口を動かそうとしない。
 そのまましばらく、誰も口をきかなくなった。
 蝉の声が部屋の中へと聞こえてきた。
「ふ……」
 神里は口元に笑みを浮かべ、シノビの手を握る。
「どうせ、許される事ではないのだろうが…」
 彼は、ゆっくりと話し始めた。
「あれは、二月の事だ…」
 彼の回想が始まる。

 1月。
 神里の実験は新しい段階に入っていた。青木ヶ原の研究所も完成し、襲来甲のサンプルが続々と運び込まれ、解体され、解析されていった。
 計画は順調に進んでいた。
 そもそも計画の母体は、襲来以前より存在していた。まず、動物の神経系統を電気信号によってコントロールする研究があり、神里はその専門でもあった。
スサノオ計画とは、その技術を襲来甲のコアに応用し、それを核として対襲来甲用の兵器を作り上げるという計画だ。
 彼の元には襲来甲のコアの解析データが届き、神里はそれを元に接続用の機体を製作し、その骨格がほぼ完成していた。

 その操縦方法について、当初はプログラム改変とCPUによる遠隔操縦が計画されていた。だが、人間の持つCPUでは性能が低い上に、コアとの相性が絶望的に悪い。
折しも、脳の働きとコアの働きに共通点が見出されていた。故に彼は、その仮説を元に人間の神経、主に小脳とコアを直に接続する道を選ぶ。

 人が乗れば反応速度も格段に速くなり、兵器としての実用性は上がる。だが、人間の感覚を基にするため、兵器は人型である事が絶対条件になった。
 しかも、機体に接続できる人間は限られている。生理学的に神経が柔軟な、10代程度の若者でなければ上手くいかなかった。そしてその中でも、相性の良し悪しは存在している。
 彼はまず、谷古田にスカウトを頼んだ。
 事の発端は、谷古田が開発中のゴーグルを改造してくれという依頼を持ち込んできた事に始まる。
 ゴーグルそのものは、襲来前より開発されていた特殊部隊の兵士用のものだ。彼は、これを対襲来甲用に改造してくれと言ってくる。
 神里は、襲来甲の動きが読めるゴーグルを作る代わりに、そこに接続の相性を計る装置を付ける事を谷古田に認めさせた。
 谷古田が子供達をスカウトしてくるようになったのはそれから後の事だ。

 しかしそれを待っていたのでは開発に間に合わない。だから神里は独自で子供達のスカウトを試みていた。
 そんな中、彼が見出した一人の少女がいた。

「それが、久品 志保…。この少女だ」

 彼と志保が出会ったのは横浜の避難民キャンプでの事。彼女は神主の家の生まれで、襲来によって全てを失っていた。
「その時から、既に並外れた共感能力を持っていた」
 神里が言うには、もともとおとなしい少女であったらしい。
 早速彼女の承諾を得て、実験が始まる。
 まだ骨格が剥き出しの機体に彼女を乗せ、接続を開始した。
「しかし実験は失敗した。機体は暴走し、私は強制的に電源を落とさざるを得なかった」
 結果、彼女は神経を接続したまま停止させられてしまう。それは、彼女の脳まで一緒に停止させるのと同じ事だった。
「すぐに救助したんだが、神経の損傷が酷かった…」
 幸い命は取りとめたが、知覚中枢に深刻なダメージを負っており、回復の見込みもなかった。
「その彼女を引き取るという男が現れた。名倉という名だ。最初は慈善家だと思ったが…」
 名倉の狙いは彼女の力だった。
 聞くところによると、彼女は以前から襲来甲を手なずける力があったのだという。名倉は彼女が健在だった頃から何度も誘ったが断られていたと聞く。
 傷ついてしまったとはいえ彼女の力は健在で、しかも彼の手なくして彼女が生きられないとあればなおのこと好都合だったのだろう。
「浄光が生まれたのはそれからだ」
 神里は悲しげな顔をして言った。
「彼女が生きていくにはそれしかなかったのだろう…」

 しばらく、皆黙りこくっていた。
 西日が差し込む中、カナカナカナ…と、ヒグラシの悲しげな声が聞こえる。
「他に知っている事があったら聞かせてくれませんか?」
 コウは神里に頼んだ。
「どうしてあの社にヒドラがいたんでしょうか…」
 神里は縁側に歩いていき、コウ達に背中を見せたまま話し始める。
「君が戦った浄光のヒドラは、おそらく富士吉田を襲った奴だろう」
 神里は続ける。 
「ただ、ヒドラが休眠状態に陥るというのはめったにない事だ。彼女の力が何らかの作用をしたのかもしれない。その証拠に、富士吉田の壊滅以来、浄光の勢力は急速に膨れ上がっていった」
 神里はこちらに振り返る。
「私が知っているのはこれだけだ…満足したか」
「すいません…。辛い事聞いちゃって……」

 神里はコウの顔に向き合って話し始める。
「私は、君の機体のデータをコピーして制御システムを作る。もう二度とこんな事が起きないと約束しよう」
 彼の目は赤く透き通っていた。
「そうすれば、サラマさんや谷古田さんも乗れるようになるんですか?」
「無論、その為に作るのだ。乗り手を選ぶ兵器は使えない。我々が勝つためには必要なのだ」
「兵器…ですか」
「それでは失礼する。私にはこの部屋でも日差しが辛いのでね…」
 神里はそう言うと、そそくさと部屋から出て行く。
 部屋には四人だけが残された。
「本当につれない人だね…」
 アヤはあきれたように言う。
「しょうがないよ。あの人は違いすぎるんだ」
 コウは呟くように言った。
 それから、彼は機体のマニュアルを読み始める。
 未羽とアヤは交互にシノビの看病をしながら、けだるく時は流れていく。

 夕方になると機体の補修も終わり、谷古田達が家の中に入ってくる。
 部屋の中では、アヤがシノビの耳にヘッドフォンを当てて、音楽を聞かせている。
「あ…」
 言葉にならない声を発し、シノビの表情が心なしか喜んでいるように見える。
「ほらほら、聴こえてるよ」
 アヤは嬉しそうに言った。
 シノビは耳に手を当てて、ゆっくりと目を閉じた。今までに見たことのない安らぎのこもった表情を浮かべている。
「ちゃんと聴いてる。間違いないよ」
 アヤは興奮していた。
 谷古田がその様子を見て、目を丸くする。
「お前、本当に天才だな…」
 谷古田もこればかりは認めざるを得なかった。
「何聴かせてる?」
 谷古田がアヤの持っているCDプレーヤーを指差した。
「ベートーベン」
「お前らしくないな…」
「和尚さんの趣味だよ」

「そうですか。役に立って何よりですな。そのCDはあなた方に差し上げましょう」
 アヤがシノビに音楽を聞かせたことを告げると、明海は笑ってそう答えた。
「私の所にはダビングしたものがあれば十分です」
「ふつう、逆でしょう……」
 谷古田は彼のお人好しぶりに半ばあきれて言った。
「ダビングさせてもらいますよ。どうせアヤは聴かないんだし」
「私だってたまにはクラシックも聴くわよ」
「ホントか?どうせ、『頭が良くなる音楽』とかいう宣伝文句に騙されたクチだろ?」
「うっ…」
「ったく、動機が不純なんだよ」
 明海はそのやり取りを聞いて大笑いする。
 そうこうしている間に、サラマが作った夕食が運び込まれてきた。
 メニューはトマトソースを使った野菜のドリアだ。スパイスの効いた香ばしいソースの焼けた臭いが漂ってくる。
「ほほ〜。これはまたハイカラな精進料理ですなぁ」
 明海は感心して言う。
「一応、生臭は入ってないから」
「まだまだ、精進料理も開拓できるという事ですな」

 食事が終わると、後片付けはコウとアヤと未羽がやる事になる。
 それが済むと、三人はさっさと寝具を敷き詰め、蚊帳を張り巡らす。10人分の布団の用意は結構な労働だ。
 他の者は皆昼の作業で疲れているから、彼らがやるのは自然な成り行きだった。
 あらかた終わると、三人は縁側に腰を下ろして、外の景色を眺める。
「静かだね…」
 未羽は呟いた。他の二人も同じように感じていた。
 浄光が瓦解してから、めっきり町が静かになったのを感じる。
「やっぱり、シノビちゃんは置いていった方が……」
 未羽の言葉に、アヤが反論する。
「だけど、ここにいたら、また閉じ込められちゃうよ。あの人達は、あの娘が人間らしくいる事なんて望んでないんだよ」
 アヤは後ろを振り返った。
 シノビはあれからずっとCDプレーヤーを放さず、音楽を聞き続けている。
「誰かを不幸にしないと幸せになれないなんて、そんなのおかしいよ」
 アヤの言葉にはそこはかとなく怒りを感じられた。
「コウはどう思う?」
 未羽は訊く。
「ん…」
 コウは明かりの消えた町を見て、静かに息を吐く。
「連れて行っていいと思うよ。そっちの方が彼女も幸せだろうし」
 コウはスリッパを履いて庭に降り立つ。
「それに、あの人達は自立した方がいいと思うし。きっとあの娘がいなくてもやっていけるさ」
 虫の鳴く音だけが、いやによく聞こえる。町は本当に静かになった。
 それから、一行は寝床に入る。

 夜が明けた。
「そうか、やっぱり、連れて行くか…」
 谷古田はアヤの言葉に答える。
「ちゃんと面倒見てやれよな」
「失礼な。あの娘は犬猫じゃないんだよ」
 アヤは少し怒ったように言う。
「わりい」
 谷古田は頭を掻いた。
「彼女はきっと良くなるよ。あたしが保障する」
「信じるよ。お前の言葉」

 その後、皆を集めてミーティングを開く。
「今後の予定だが、富士吉田で北に進路を取り、大月を通って八王子に進む。そこから横田基地で部隊と合流だ。その後は…」
「いよいよ、東京奪還作戦ですか」
「そうだ。横田には新しい機体による部隊が揃っているはずだ。訓練の方は未知数だが、今までの兵器よりはずっと戦力になる。それもこれも、コウのおかげだ」
 谷古田はコウの肩を叩いた。
「とにかく2日以内にそこに着くようにしなければならん。この車両の移動速度はそんなに速く出来ないから、あまり余裕がないぞ。おそらく途中で戦闘にもなるだろうし」
「そんなに急ぐ理由は何なんですか?」
 コウの質問には神里が答える。
「君はハンターだったから分かると思うが…」
 彼はコウの顔を見る。それから皆に向けて話しを続ける。
「石版は出会った敵に対応した襲来甲を生み出す能力がある。となると、近いうちにこの機体に対応した新種が発生すると考えるのが自然だ。だから…」
「その前に叩く、と言う事ですか」
「そうだ」
「とにかく東京が戻れば、こちらにも勝機が見えてくる」
 谷古田が言った。
 東京奪還。
 コウにはそんな事はあまり関心がなかったが、皆が怯える事もなく暮らせるようになればいいと思った。
 その為に、自分に何かが出来るのなら、それをやってやろうという決意のようなものが生まれてきていた。
 失うものは何もない。だから命を懸けて掴もうと。
「それでは、出発する!」
 谷古田は急に直立し、敬礼のポーズを取る。
 彼はやはり、軍人なのだ。
 整備員達は運転手に早代わりし、一斉に車のエンジンに火を入れた。

 皆がそれぞれ車に乗り込む中、谷古田の元に明海が歩み寄ってきた。
「出発ですな」
「和尚、今までお世話になりました」
 谷古田は深々と頭を下げた。
「なに、あなた方のような人に泊まっていただけるのは、こちらとしても世話のしがいがあるというものです」
 明海は、機体が載せてあるキャリアーを一瞥した。そこには黒いビニールで覆われた機体が足を覗かせていた。
 彼の顔が厳しくなる。荒々しい修行者の魂を削りだしたような顔。
「戦いとは、厳しいものです。決して、決して命を粗末にはせぬように。それはあなただけの命ではない。あなたは命を秤にかけなければならない役目。人を導かねばならぬ役目がある」
 明海は谷古田の前で合掌する。
「あなた方の肩には多くの命がかかっております。無論この私もその中の一つです。辛いでしょうが、信じた道を行きなされ」
「その言葉、胸に刻んでおきます」
 谷古田は再び礼をし、きびすを返して車の方へ戻っていった。

 先頭のジープが動き始める。
 その後を、バス、輸送車、通信車、キャリアー車と続いていく。
 コウ達三人は、バスの窓から身を乗り出して、明海に向けて手を振った。
 明海はそれに答えて会釈をし、それから一行に向かって手を合わせた。



 コウ達三人は、それぞれが思い思いの場所に座る。
 シノビは一番後ろの席で人形のようにちょこんと座り、相変わらず音楽を聴いている。
 道明寺の建物が少しずつ小さくなって、緑の木々の中に飲み込まれていく。
「もう感傷はおしまいだよ」
 一番前の席に座っているサラマが後ろを振り向いて、皆に聞こえるように大きな声で言う。
「先生!」
 アヤはおどけて手を揚げた。
「今夜の献立はなんでありますか?今はそれが一番気がかりです」
「まったく、元気なもんだね…」
 サラマは大いに笑った。

 広いバスの中をはしゃぎ回っていた三人は、廃墟となった富士吉田に入ると急に言葉を無くしてしまう。前に見た時は日が暮れていたから、市街の様子をはっきりと見るのはこれが初めてだった。
 見渡す限り、黒い煤がこびりついた町並みが広がる。当然、人の気配はない。
「相変わらず、ここは陰気臭いね…」
 サラマはボソリと呟いた。
 道の周りには襲来甲の残骸も幾つか転がっている。
「あ……」
 シノビが窓に張り付いて、外を眺め始めた。
「なに、どうしたの?」
 未羽がシノビに語りかけた。
「あ…あ……」
 シノビは言葉にならない声を発し続けるばかりだ。
「…多分、襲来甲に共鳴してるんだ。休眠している奴がまだいるんだろう」
 コウはそう呟き、悲しそうにシノビを見た。
「おとなしくしよう、ね」
 アヤはそう言ってシノビの体を窓から引き戻し、耳にヘッドフォンをねじ込む。
 ボリュームを上げると、シノビは再びそれに聞き入り始めた。
「こんな調子だと、東京に行ったらどうなる事やら…」
 アヤはため息をつく。
「石板があるもんね…」
 未羽に言葉に、アヤはうなずく。
「連れてくるんじゃなかったかなぁ…」
 アヤは頭の後ろで手を組み、座席で脚をぶらぶらさせた。
「でも、あそこに置いてたら、また浄光に取られてたよ。そして、またお人形さんみたいにさせられる」
 未羽が言った。
「あたしだったらそんなの嫌だもんね。彼女にとってはどうか分からないけれど」
 アヤのその言葉にコウが答える。
「彼女はヒドラのお守りだったんだ。ヒドラの目覚めを抑えるために苦しんでいたよ」
「へぇ〜、コウって、そういう事良くわかるんだ」
 アヤが感心したようにうなずきながら言った。
「あの機体に乗ってみれば分かる」
「そんなのあたしには分かんないよぉ」
 アヤはさらにジタバタと足を振り、大げさに頭を掻き毟ってみた。
「そういえば私達、コウみたいに検査されてなかったよね…」
 未羽がそう言うと、アヤはむくれた顔で何度もうなずく。
「ひょっとしたら、私達も乗れるかな………」
 それから、未羽はシノビを見た。
 彼女は、ヘッドフォンを耳につけたまま横になって、うつらうつらとしている。
「神里さんに、お願いしてみようか……」

 車列が進む道沿いに、高速道路が見える。
 その所々が崩れ落ち、その破片が道や林に落ちていた。襲来甲にやられたものだ。
「こんな所まで…」
 その様子を眺めながら、コウはうめくように言う。
「この調子じゃ、大月もやられてるね」
 サラマはそう言って唇を噛んだ。
 さらに進むと、大きな破片で道がふさがれていた。
 車列がその場に止まると、谷古田がジープを降りてバスの中に上がり込んでくる。
「すまん、コウ。あれをどかしてくれないか」
「分かってます」
 コウはすぐにバスから飛び出し、機体に乗り込む。

「ちょうどいいから、ここら辺で食事を取ろう」
 コウの乗り込んだ機体がコンクリートの破片にしがみつき、道の外へ押し出す作業を始めた。その間に、他の者達は外に出て、昼食の用意を始める。
 そんな中、谷古田は一人でコウの作業を見守っていた。そこへ神里がやってくる。
「こういう使い方もあるんだな。なかなか便利だ」
 谷古田は神里に言う。
 神里は全身黒ずくめで、顔にも黒い布を巻いていた。
「確かに、あの機体を作る過程で得られた技術は、人類を変えるだろう」
 神里は険しい表情でコウの作業を見守る。
「それが不服か?」
 谷古田は神里の方を向いた。
「過剰な技術は、人を破滅させる。今の人類に、あれを使いこなせるとは思えん…どうせ、戦争の具にでもされるのが関の山だ」
「でも、もう開発は始まっているからな」
「あれがないと我々は勝てない。不可抗力だ。しかしその後はどうする?」
「まだ東京が奪還できると決まった訳でもないのに、そんな先の事まで考えても仕方ないだろ」
「石板にはあれを一から作る技術が眠っている。今度の作戦も、それが目当てなのだろう」
 その言葉を聞いて、谷古田は笑う。
「お前は何でもお見通しだな…」
 彼は頭を掻いた。
「確かに、それが目的の一つだと聞いている」
 谷古田はやれやれといった様子で苦笑する。
 それから神里は、谷古田の肩に手をやって、顔を近づけて言った。
「お前も、今後の身の振り方を慎重に考えた方がいいな。このままでは連中の駒にしか過ぎんぞ」
「俺だって、それくらい考えてる。ただ、今は少し様子見という所だ」
 谷古田の目が鋭く光る。
「それなら、私が言う事はない」
 神里は引き返して、サラマから昼食を受け取り、通信車の中へ入っていってしまった。
 目の前では、コウが作業を終え、こちらに歩いてきていた。

 機体は再びキャリアーに固定され、コウは昼食のサンドイッチとぬるいコーラを受け取った。
 それから一行は持ち場に戻り、車は再び動き始める。
 コウはバスの中でサンドイッチをほおばりながら、窓の外から景色を眺めていた。
 彼の座っている席の隣に、未羽が座る。
「ここ、座っていい?」
「そんなの、聞かなくたっていいじゃないか」
「ごめん」
「別に謝らなくたっていいよ」
 未羽は、コウの隣でサンドイッチの包み紙を開き、食べ始める。
「ねぇ、コウは、私が戦うのはどう思うの?」
「どう思うって、それを決めるのは谷古田さんだし」
「でも、教えてよ」
「………」
 コウは黙ってサンドイッチを飲み込んで、コーラを喉に流し込む。
「傷つくのは、好き好んでやるもんじゃないよ。あれは結構しんどいし」
「シノビちゃんだってテストを受けたぐらいだから、体力的には問題ないと思うけどなぁ」
「そうかもね」
「私、戦うためなら訓練を受けてもいいって思ってる」
 コウは未羽の顔を見る。彼女の目は真剣だった。
「コウだってみんなを守りたいからやっているんでしょう?私だってみんなを守りたい」
 コウは再び、窓の外を向く。窓枠に腕を乗せ、顔を乗せた。
「今は…、戦える奴は戦わなきゃいけないってだけの事さ」
「それなら、私がもし戦えるなら……」
 コウは、腕に顔を乗せたまま、顔を未羽に向けた。そして彼女をじっと見る。
「…その時は、教えてやるから」
 コウは笑ってそう告げる。未羽も笑った。
「ありがとう、コウ」

 サラマの予想通り、大月の町は壊滅していた。
 富士吉田で見たのと同じような光景が再び眼前に展開する。
 今回はシノビがおとなしい。その事からも、付近に襲来甲はいないと思われた。
 そのことを無線で谷古田に伝えると、一行は粛々と先へ進んでいく。
「皮肉だけど、彼女が役に立ったね」
 サラマがシノビの頭をなでながら言う。彼女はすやすやと寝息を立てていた。
「治るといいんだけどねぇ…」
 サラマは悲しそうに彼女を眺めて言う。
「神里の話しだと、損傷を受けた神経は、リハビリによって新しい回路を作る事によってカバーできるって話だけど…」
 眠っている彼女は、他の人と何も変わりないように見えた。
 血色も良く、頬はほんのりと赤味がかっている。
「彼女の場合、どうやってリハビリさせればいいのかねぇ…」
「とりあえず、音楽を聞かせてみる」
 アヤは言う。
「そろそろ電池を充電しないとまずいんじゃない?」
「大丈夫、これは100時間再生できるから」
「充電ならコンセントがあったはずだから、好きな時にやっていいからね」
 その間、コウと未羽は肩を寄せ合って眠っていた。
 大月の町を抜ける頃には、時刻は4時を過ぎていた。

 車列は、無人になっている道の駅に止まる。
 今は夕方の6時。
 一行は夕食の支度を始めた。
 整備員達が輸送車からガスボンベを出し、即席の厨房を作ってくれた。そこで彼女たちは夕食の下ごしらえをするためにエプロンを羽織り、包丁を握る。
 コウが手伝いの為にそこに行こうとした時、谷古田が彼の手を掴んできた。
「お前はもっと大事な事がある」
 そう言って彼はピクシーを指差す。
「そろそろ奴らが来る時間帯だ。用意をしとけ」
 夕日で赤く染まった空は、次第に紫色に変わり始めていた。

夕食も終わり、皆が眠りに入った後も、コウは一人で起きて、機体の中で見張りを続けた。
 東京にいる頃は夜型の生活だったから、夜遅くまで起きているのはそれほど苦にはならない。
 機体に乗っていると、シノビの声が聞こえる。
 最近は頻繁に話してくるようになっていた。
『君は優しいんだね…。みんなを守ろうって思っている』
 彼女の声は、頭に直接響くような感じで聞こえてくる。
「君は本当にシノビなのか?」
 コウは頭の中で呟いた。
『私はシノビで、そしてピクシー。あなた達がそう呼んでいるもの』
「今日聞いた音楽の事、覚えてる?」
 しばしの沈黙。
『うん…ブルガリアの民謡だったね。音楽を聴いていると、私の中の襲来甲の部分がおとなしくなるの』
「僕は君を元に戻したい。みんなもそう思ってる。だから君を連れてきたんだ」
『ここはやさしい人ばかり…』
 彼女の声が途切れた。
 そして、喜びにも似た暖かい感情が、コウの胸の中へと入ってくるのを感じる。
「感じたよ…」
『ありがとう』
 それから、コウは闇に向かって目を凝らした。
 今日は何も現れてこない。
『君がやらなくたっていい。私が感じるから…』
「……多分、君がいなかったら、僕はこいつに乗れなかっただろうな」
『ううん。それは違う。君じゃなきゃ私には触れなかった。君が触って、私は目覚めたの』

 結局その日は何も来なかった。
「コウ、そろそろ交代だ」
 谷古田がマイクで話しかけてくる。
 コウはそれに返事をする。
「今日はおやすみ」
『うん…』
 コウは機体から降り、遅い就寝についた。



 明朝。
「今日までに横田に着いておきたいな」
 谷古田はコーヒーカップを片手に大きなあくびをした。
「谷古田さん、今日は寝ててもいいですよ」
 コウは彼を気遣って言う。
「そうもいかんだろ。これからいよいよ危険な地域に入るってのに」
 谷古田は4時間程の睡眠を取っているが、急に生活サイクルを変えたために体がついて行ってないようだった。
「横田に着くまでの我慢だ」
 谷古田はコーヒーを飲み干す。
「そんなに危険なんですか?」
「うむ。情報によると、最近は昼にも襲来甲が出没してくるようになったらしい…」
「香月は大丈夫かな…」
「香月?あの油屋か。あいつもハンターだったよな。あいつはもう油売りは止めたんだってよ。在庫がなくなったらしい」
「よく知っているんですね」
「まぁな。めぼしい奴に衛星電話持たせたから、情報はメールで入ってくる」
 そう言って、谷古田は携帯電話の画面を見せた。
「そういえば、東京のハンター達に召集をかけてある。その気なら横田に向かっているだろう」
「総力戦ですね」
「神里から聞いたろ?ハンターは機体に乗る為の適性検査でもあるんだ」

 移動が始まり、昼過ぎには八王子に到着する。
 建物の数がだんだん増えていき、道が太くなっていった。
「やっと都会に入ってきたわ。ちょっと現地調達したいなー」
 アヤはバスの窓から身を乗り出してはしゃいだ。
「まったく、意地汚い事考えるんじゃないよ」
 サラマは腕を組んであきれたようにぼやく。

 街の中は荒廃しきっていた。
 路肩には雑草が生い茂り、道路にまで街路樹の落ち葉が散乱している。
「ここは、随分早く人がいなくなったんだね…」
 街路樹は排気ガスのほとんどない空気の中、やたらにすくすくと枝葉を伸ばしていた。
 耳を澄ますと、都会ではお目にかかれないはずのホトトギスの鳴き声まで聞こえてくる。
「なんだかここ、森に帰りそうだね」
 サラマはぼそりとつぶやいた。
 沿道の空き地に、かなり昔に動かなくなったクビカリが足を投げ出してうずくまっていた。その体は周囲の雑草に殆ど隠れている。
 しかし、どうにも変だ。
 その雑草は、クビカリの体からも生えてきていた。
 襲来甲がやって来てから一年程しか経っていないのに、この朽ち方は異常に思えた。
「どういうことだろう……」
 コウはその様子に首をかしげた。
「さぁ。土に帰る素材で作られているんじゃない?エコロジーって奴?」
 アヤはあまり興味が無さそうだった。
 その時、シノビがまた騒ぎ始めた。
「まも…り……」

 すかさず、谷古田から無線が入ってくる。
「コウ、出ろ。奴らを探知した」
 コウの目つきは鋭くなり、バスが止まるのを待たずに手動でドアを開けて、キャリアーの方へ走っていった。
 機体は横になったまま胸の部分が開き、コウはそこへ仰向けに体をねじ込む。機体を立てる時間も惜しかった。
「急げ!」
 谷古田の声は殆ど叫びに近かった。
 もし相手がヒドラだった場合、ピクシーで一気に間合いを詰めないと狙い撃ちされる可能性が高かった。そうなると一巻の終わりだ。
 そして、昼間に襲来甲に出合った時、それがヒドラである可能性はかなり高い。谷古田の焦りも無理のないことであった。
 コウは機体をその場で起き上がらせる。
 その時、ビルの谷間から緑色の巨塊が姿を現した。胴体の背丈だけでビルの3階ぐらいもあるヒドラだ。首は3つ。
「俺達は退避する。上手く引きつけておけ」
「わかりました」
 車群はその場から後退を始める。
 しかしその時、もう一体のヒドラが、Uターンした車列の正面から姿を現した。
「えっ!?」
 コウは後ろを振り向く。
「しまった。挟み撃ちか…」
 谷古田の額に、汗が流れた。

「コウ、そいつをどけろ!」
 谷古田は、正面のヒドラと接触したコウの機体に呼びかける。
「隙間を突破する」
「分かりました」
 コウは機体を走らせ、正面のヒドラに取り付いた。そのヒドラは、近くで見ると体表が苔で覆われている。コウは思いっきりナイフを首の付け根にねじ込む。
 ヒドラは首から黒い煙を吐き、数歩、道の脇によろけた。
「いいぞ!」
 谷古田の乗ったジープは、タイヤを鳴らしながら急加速し、その空いたスペースを通り抜ける。
 もう一匹のヒドラにも3本の首がある。その一つが白く光り始める。
「最後尾、退避だ!」
 谷古田の声と同時に、キャリアーを牽引するトラックから運転手が飛び降りる。
 それから間もなく、ヒドラの放った光弾がキャリアーの後輪に命中する。爆発音と共にキャリアーが中に浮き、道路が深くえぐられた。
 その間に、コウは前方のヒドラの首を一つ落としていた。
「輸送車も退避だ」
 輸送車から隊員が飛び降り、素早く建物の影に隠れた。
 二体が戦っている横を、バスと通信車が通り抜ける。
 後ろのヒドラは、既に2弾目、3弾目の用意に入っていた。
 首の向きが先程と違う事を、谷古田は見抜いていた。彼はコウに呼びかける。
「狙われているぞ、回避しろ」
「言われなくても」
 コウは背中の羽を広げ、その場から高く跳躍した。
 ヒドラの光弾が直線の残像を描きながら飛来し、前方のヒドラの正面に直撃した。
 大きな爆発の閃光と共に、周囲に爆風が吹き荒れる。無人の輸送車が巻き添えを食らい、横倒しになった。
 苔のついたヒドラは体の前半分が吹き飛んでしまった。
 後方のヒドラは、見失った目標の行方を捜している。
 コウはその様子を、機体を上昇させながら見下ろしていた。

『大丈夫、見つかってない』
 シノビの声。
 彼女の意思がコウの中に流れ込んでくる。
 彼は次に何をすればいいのかすぐに分かった。
「いけるか」
 背中のエンジンを止めると、ピクシーは空中で踊るように手足を動かし、体を反転させる。頭から地上に落下していった。そして重力に身を任せ、ナイフを下に突き出す。
真下にはもう一体のヒドラ。

 ズン!

 地響きがして地面が揺れる。コウは手ごたえを感じた。
 彼はすぐに跳躍し、その場から離脱した。
 ヒドラの動きが止まる。
 そして、金属同士が擦れ合う甲高い摩擦音が聞こえてきた。
 ヒドラは首の接合部からゆっくりとねじれていき、3つの首の束は、根元から削げ落ちる。爆発もなく、ヒドラはその場に崩れ落ちた。

「もう、終わりましたよ」
 ヒドラが停止した事を確認して、コウは谷古田に通信を送る。
 コウの戦うさまに、他の者は言葉を失っていた。。
 谷古田ですら、コウに話しかける事を忘れていた程だ。
「こいつは、驚いた…。この短期間でここまで…」
 彼が驚愕するほど、コウの戦いぶりは凄まじかった。
「2体のヒドラが、ものの5分で落ちるなんて…」
 彼の眼前にある巨人は、爆風で倒された輸送トラックを手で起き上がらせているところだった。
「神里、今の戦いぶりをどう思う?」
 谷古田は、マイクで輸送車の中の神里と通信を取る。
「予想以上だ。…MUTEをかけた状態で、ここまでやるとはな…」
 神里は、あくまで冷静に答える。

 しかし一番驚いていたのはコウ自身だった。
 彼は機械のうなりに包まれた暗いコクピットの中で息を切らし、顔を高潮させていた。
 一瞬、機体が自分の手足そのものになったかのような感覚を感じた。
 とめどなく湧き出る力に包まれ、彼は不思議な高揚感で胸が高鳴ったままだ。
『今のは心地よかったでしょ…』
 シノビの声がする。
「君がやったのか…?」
 彼女はくすくすと笑った。
『すこし、君を助けてあげたかった。一瞬だけ障壁を消したの』
 コウの呼吸が整ってくる。
「少し怖いよ、引きずり込まれそうだった」
『…おせっかい、だったね。ごめん』
 シノビの謝罪に、コウは気まずくなる。少し言い過ぎたと思った。
「でも、おかげで勝てた」
『…君はやさしいね』

 神里はコウが一撃で止めを刺したヒドラを見ながら腕を組んでいた。
「きれいに核だけが破壊されている…。こいつは使えそうだな」
 彼は谷古田に掛け合って、ヒドラを持ち運ぶ事にした。
「キャリアーを使えば何とかなるだろう。幸い、壊れたのは最後輪だけだ」
 キャリアーのタイヤはまだ3対残っていた。
「コウはどうする」
「彼には基地まで歩いてもらえばいい。横田はそう遠くない」

 コウは谷古田に言われるまま、ヒドラの頭部をキャリアーの上に載せた。
「胴体まで乗りませんよ」
「構わん。残った分は基地からの回収班に任せろ」
「分かりました」
 一行はすぐに動き始める。

 彼らが北上を再開して1時間ほど経った時、大型トラックの車群とすれ違う。
 緑灰色のボディカラーで、すぐに軍の車両だと分かった。
「おっ、早速回収に来たようだな」
 どうやらヒドラの残骸を持ち運ぶための部隊のようだ。
「ヒドラって、随分珍重されているんですね」
 コウは通信で谷古田に話しかける。
「そりゃあ、なかなか手に入らないからな。特にあれの心臓は強力な発電機だ。お前の乗っている機体がそんなに動けるのも、それのおかげなんだ」
「他の機体には載っていないんですか?」
「仕方ないだろ。そうそうあれが無傷で手に入る事はない。壊れたら俺達の技術じゃ修復できんし。だから、他の機体は充電方式で行動にも制限がある」
「そうなんですか…」
「それ、大事にしろよ」
 谷古田の言うそれとは、もちろん彼の乗っている機体の事である。
「了解です」
 コウは今までの荒っぽい操縦を少し反省した。
 同時に、彼は少し落胆する。横田に着いたら、何体ものピクシーで編成された部隊があるものと思っていたから。
 そしてその事は、彼が新しい部隊の中でも重要な役目を負わせられるという事でもある。
 彼はこれからの戦いにかすかな恐怖を感じていた。
 しかし、今更逃げるわけにもいかない。
 ため息を吐いて、前を見る。
 背の高い機体からは、町の遠くまでが見渡せた。
 建物の背後に、だだっ広い滑走路が見える。



 横田基地に着いたのは、夕方の4時。
 ゲートをくぐると、すぐにコウは機体から下ろされる。
 そして、ピクシーと運び込まれて来たヒドラの首には基地の整備員が群がり、それらはすぐに整備棟へと運び去られていった。
「私はこれからやる事があるから、これで失礼する」
 そう言って、神里も整備棟へと向かう車に乗り込み、谷古田達と別れる。

 基地は、今では自衛隊と、日本に取り残されたアメリカ空軍とで共同使用されていた。ここも襲来甲の被害は免れず、滑走路には彼らの残骸が転々と転がっている。
 空軍の戦闘機は石板との戦闘で燃料と弾薬が尽き、運び去られて滑走路はがらんと寂しい。
 
「さて、俺はちょっと寝る。お前らは好きにしとけ。ボウリング場もあるし」
「好きにって言ったって、なんか今日は疲れたし…」
 いつもなら遊び好きなアヤも、今はけだるそうにしている。
「まぁ、あんな戦闘を見せられたんじゃ、遊ぶ気も起きないよね…」
 サラマは同情する。
「とりあえず、部屋のカギを渡してもらって、食事の時間に落ち合う事にしようか」
 一行は管理棟で止まる部屋のカギをもらい、そこから思い思いに散らばっていった。

「なに?適正検査を受けたい?」
 未羽とアヤの申し出に、谷古田は眉をひそめた。
「まだ時間があるし、ここにも検査機器はあるんでしょ?」
 アヤが詰め寄る。
「まぁな。ハンター達も調べにゃならんから」
「じゃ、私らも一緒にやってもいいじゃん」
「それは構わんが、なんでまた…」
「私達も戦いたいから…」
 未羽は谷古田の顔を、じっと見つめる。
「もうみんなには言ってあるし」
 彼も未羽の顔をじっと見た。彼女の決意がこもった視線を感じる。
「…分かったよ。手配しとく」
「あ、ありがとうございます」
 未羽は谷古田に向かって深々と頭を下げた。
「いまさら、そんな堅苦しい事は無しだぜ…それに、乗れるかどうかも分からん」
 谷古田は二人を医療棟まで案内する事になった。

 神里は、整備棟の中で、ピクシーの動作履歴のデータを眺めながら腕を組んでいた。
 ピクシーが2体目のヒドラを倒す時、グラフに異常な振幅があるのが気になっていたのだ。
 5秒間だけ、神経にかかる入力がMUTE制御下では出ない異常な値を示している。
「まさかな…」
 目の前には、巨大なライフルのような黒光りする物体が横たえられていた。
 さすがに、ナイフだけでは石板には対抗できない。厚木で開発されたピクシー用の新しい兵器だ。
 奥では、大勢の整備員が、量産型機体のメンテナンスをしている。神里はそれを見て回る。
「こちらは順調なようだな」
 量産期はピクシーよりやや小さい。全高7メートルの機体は緑や黄色に塗装され、無骨な装甲に覆われていた。
 今のところ、全部で24体ある。厚木ではまだ作られているから、30体ぐらいにはなる予定だ。
 動力源はクビカリやムカデなどの充電池を使用しているため、それほど長時間の稼動はできないが、ヒドラに対してならば十分な戦力になるだろう。
 神里がコピーしたピクシーの制御プログラムがインストールされ、ようやく操縦できるようになったのだ。

 7時。
 予定通り、皆は食堂で落ち合う。
「神里は?」
 谷古田の問いに、サラマは横に首を振った。
「整備棟にはいろいろな兵器が来ているからね。忙しくてそれ所じゃないんだろう」
「まぁ、しょうがあるまい。もともとつるむのは嫌いな奴だしな。ところでお二人さん結果はどうだった?」
 谷古田は未羽とアヤの二人に話題を振る。
「あれ、二人とも検査を受けたんですか?」
 何も知らないコウが言う。彼は今まで部屋でシノビの世話をしていたのだ。
 アヤは不機嫌だった。その隣で未羽は申し訳無さそうに苦笑いしている。
「納得いかないなぁ…。あたしより未羽の方が適正が高いんだって」
 アヤは検査結果の書かれた紙を谷古田に渡す。彼はそれに目を通した後、未羽からも受け取って見比べる。
「私の方が絶対、銃の使い方は上手いのに」
 アヤは口を尖らし、彼女の言葉に未羽も納得したようにうなずいている。
「変な事もあるもんだよね…」
 未羽は苦笑いしている。アヤの手前、素直に喜びを表せないようだった。
「驚いたな…。未羽の数値はコウと同じくらいある」
「そんなに?」
 谷古田の言葉に驚いて、コウとサラマは紙を覗き込む。
 適性値は100点中の78。ちなみにコウの値は86で、アヤの値は57。だいたい、60を超えれば合格ラインだった。
「すごい……」
「灯台下暗しだな…。こいつは冗談じゃなく席を一つ空けとく必要がありそうだ」
「これで、一緒に戦えるね」
 未羽はコウの手を握り、はしゃいで言う。
「遊びじゃないんだぞ」
「だけど、自分でも役に立てる事が嬉しくて…」
「そういえば、サラマさんは乗るんですか?」
 コウはサラマに話題を振る。
「うん。私の適性値は63だしね。なんとか大丈夫みたい。昔は80以上でなければ無理だったんだけど。とにかく、乗れればこっちのもんだよ」
「ま、操縦の腕は適性値とは何の関係もないからな。未羽はサラマからみっちり教えてもえらえばいい」
「えへへ、お手柔らかに…」
 未羽はサラマにお辞儀をする。
「あたしだけのけ者みたい…」
 アヤはすっかりご立腹だ。
「まぁそう言うな。お前にはシノビの世話という大事な仕事があるじゃないか」
「うるさいタコ屋。なんか今日はムカついたから、やけ食いしてやる」
 彼女はさっさと席を立つ。
「こら、タコ屋はやめろ」

 ここがもともと米軍の駐屯地だった事が影響し、横田での食事はジャンクフードがメインとなる。
 今はハンバーガーでも誰も文句は言わなかったが、物資の不足が影響していて、野菜類の代わりにビタミンの錠剤が配られていたりする。
 一行は適当にメニューを選んで持ってくる。選ぶといっても、数種類のハンバーガーとジュースぐらいしか選択肢はなかったが。
「そんなに持ってきてどうするんだ?」
 アヤのトレーには優に3人分はあるハンバーガーやポテトが載せてあった。谷古田はびっくりして聞く。
「いいじゃん。食べたくなったんだから」
 アヤの返事は微妙につれない。
「そんなに怒るなって」
 谷古田はアヤをなだめようとする。
「うるへい」
 アヤはさっさとハンバーガーに食らいついていた。
「みんなしてひどいよ。あたしだってみんなの為になんかやりたいのに…」
 ハンバーガーをほおばるアヤの目から次々と涙がこぼれ落ちてくる。彼女は食べながら泣き始めていた。
「そんなにいじけるなよ。お前だってちゃんと役に立ってるだろう」
「これくらいじゃ不満だもん!私だって戦えるし、そっちの方が向いていたと思ってたのに…」
 アヤは相当、テストの結果に不満のようだった。
「私じゃなくて、アヤが乗れたらよかったのにね…」
 未羽がぽつりと言った。
「そういう事じゃないし」
 アヤは鼻をすすった。そして口についたソースを手でぬぐってから言う。
「あたしの人生、何にも思うとおりに行かないんだ。ずっと、ずっと昔からだよ。いくら頑張っても望みの物には手が届かないんだ。それが悔しいんだ」
 顔を涙でぐしゅぐしゅにしながら、彼女はハンバーガーに喰らいついていた。
 彼女の涙の裏には、それまでの彼女の人生が横たわっているのだろう。おそらく幾つもの挫折を繰り返して来たに違いない。それを知らないコウや未羽には、かけるべき言葉が思い浮かばなかった。
 彼女の泣き声があまりに大きいので、周りの隊員達が彼らのテーブルに振り向いたほどだ。
「しょがねぇな。泣けよ。気が済むまで」
 そう言って、谷古田は自分のジャケットを彼女の背中にそっとかける。
「泣ける力があるのなら、まだやれるさ」
 他の者達は気まずい雰囲気の中、静かに食べ始める。

 食事が終わり、一行は居住区のそれぞれの部屋に戻っていく。
 今回は待遇が良く、二人に一部屋が割り当てられている。それぞれキーを受け取る。
 アヤの食べ残しは、袋に詰めて持って帰ることにした。
 コウと未羽とアヤの三人は隣同士の部屋なので、一緒に並んで夜道を歩いていた。
「ごめんね、アヤ」
「なにが?」
 アヤは谷古田のジャケットをまだ着ていた。
「いままで、あなたに面倒な事ばっかり押し付けてた」
「それって、シノビちゃんの事?」
 アヤがそう言うと、未羽はうなずく。
 アヤは少し笑う。
「あの娘の事は、私が言い出した事だし…。面倒だなんて思ってないから」
 彼女は照れくさいのか、手に持ったハンバーガーの袋を大きく振り回しながら大またで歩き始めた。
「僕も手伝うよ」
 コウが言う。
「上手く言えないけれど、あの娘が回復するのは、みんなにとって必要な事なんだ」
「あんがと」
 コウの言葉に、アヤは笑って返す。
「なんか、ちょっと気が済んだかな」
 彼女は照れくさそうに笑いながら、うつむく。
「自分がやりたい事じゃないけれど、自分にもできる事があるんだもんね」
「僕だってそんなもんだよ」
「やるべき事って、自分がやりたい事とは限らないんだって思ったら、少しは気が楽になったかな」
 街灯の下で、彼女は両手を広げてくるりと回って見せた。茶色の髪が水銀灯に照らされて、赤く透き通って見える。コウは綺麗だと思った。
「生きるって、難しいよね。選びたくないものしか選べないって事もいっぱいあるし。あたしは何でも選べるような境遇じゃなかったから」

 一行はその明かりの下で立ち止まり、会話を始める。
「アヤは子供の頃、何になりたかったの?」
 未羽は聞いた。
「あたしは、ミュージカルの女優になりたかった。宝塚とかの」
「あたしは…お菓子屋さんかな…パティシエとか……」
「コウは何になりたかったの?」
 アヤはコウに話題を振る。
「僕は…、やめた。恥ずかしいよ」
「言いなよ…」
 未羽が恥ずかしがっているコウを突っつく。
「未羽、知ってんの?」
「まぁ…ね」
「ロ…ロックミュージシャン……」
 そう言って、コウは真っ赤にした顔を伏せる。
「へぇ〜。じゃ、楽器とかも弾けるんだ」
「うん。ギターをね…下手だけど」
「いいじゃん。今度あたしもヴォーカルで参加させてよ。こう見えてもあたしは歌には自信あるし」
 アヤはそう言って胸を張ってみせる。
「もう、ドラムもベースもいないよ。あれが起きてから、みんな散らばってしまったし」
 未羽がそう言う間、コウはまだ少し恥ずかしそうにしている。あれとは無論、石板の襲来の事である。
「何だ、それじゃしょうがないね」
「キーボードなら、私ができるんだけどね」
 未羽はそう付け加えた。
 それから再び歩き始める。
「みんな夢破れてるのか。まぁ当然といえば当然よね…。あたしだけ泣いたりして情けないわ」

 三人が泊まるアパートが見えてくる。
「シノビちゃんは眠っているかな…ハンバーガー食べさせてやろうっと」
 アヤは階段を駆け上っていく。
「それじゃ、またね」
 彼女は階段の途中で振り返り、二人に手を振って部屋の中へ消えた。
 コウと未羽の部屋は、彼女の一階下にある。
 部屋に入ると二人は交互にシャワーを浴びて、眠りについた。



 次の日、未羽とサラマの二人は朝から整備棟に赴く。
「もう手術は要らないんですか?」
 ヘルメットを渡された彼女は神里に質問した。
「あれはピクシーに乗る者だけが必要なものだ。この機体ではそこまで細かい制御は必要ない。大方の事はOSがやってくれる」
 神里は操作説明を書いたファイルを二人に渡しながら言う。
「この機体にもピクシーみたいに愛称とかあればいいな…」
 未羽は機体を見上げながら笑った。
 彼女達が乗る機体は無骨な装甲が施されており、少々寸詰まりに見える。
 顔に当たる部分から左右に垂れ下がるように通信用のアンテナが出ていた。
「コマイヌっていうのはどうかな?」
「…勝手にしろ」
 神里は頭をかきながら、あきれたように呟いた。
「いいじゃないか。コマイヌなんてかわいいよ」
 サラマが同意する。
「私はどうでもいいが…」
「あんた、自分が開発を担当してないものには随分と冷たいんだね」
「当たり前だ。そもそも機械に感情移入するほうがおかしい。私が愛称をつけたのは呼びやすいから。それだけの理由だ」
「そう言う割には、毎日ピクシーを磨きながらニヤニヤしていたくせに」
 サラマは腕を組んでじとりと神里に視線を送った。
「…うるさいな……」
 神里は顔を真っ赤にして視線をそらした。色白だから、顔色の変化は分かりやすい。
「あれは磨いていた訳ではない。関節の手入れをしていただけだ…」
 彼はうつむき加減で、照れ隠しのようにつぶやく。

 しばらくすると、軍服に身を包んだ教官がやってくる。
「教官の葦原大介です。少しの間ですがよろしく」
 太目の体格の、細い目をした気の良さそうな教官は、まず二人と握手する。
「御堂寺サラマ少尉、あなたが乗ってくれるとは心強い」
「まぁね。やっと役に立てるよ」
 サラマは髪を捲し上げて笑った。
「上官に教授するというのはやや心苦しいですな」
 そう言って彼は笑った。
「今は階級なんて関係ないだろ」

「それでは、二人に搭乗してもらいます」
 二体のコマイヌは胸の前半分が上から割れて、前方に向かって開く。
 二人を乗せたリフトは、その開口部の位置へと上がっていった。
 コクピットの蓋になっていたコマイヌの胸板は、そのまま搭乗者の足場になる。
 この搭乗方式は、ピクシーの方式に比べて、機体が寝そべっていても乗り込みやすいのが利点だ。
 二人はコクピットに座る。
 胸板が密閉されて、空気の抜ける音がし、暗闇になったコクピットにはうっすらとスイッチのLEDランプが点っていた。
「電源は、これね」
 未羽は赤く光っている電源パネルを押す。
 電源が入ると、ブーンという微小モーターの駆動音が鳴り始め、振動が彼女の体をなでる。
 ゴーグルを付けると、機体のカメラから見た外の景色が写っていた。
「説明書は渡しましたが、基本動作は体で覚えたほうが早い。とにかく動いて下さい」
 口調とは裏腹に、教官はマイクで怒鳴るように話した。
「はい!」
 未羽は威勢良く返事をする。
 それから、二人は恐る恐る足を前に出し始めた。
 神里が設計した制御プログラムは問題なく機能し、機体は見事にバランスを取って一歩を踏み出す。そばで見ていた神里は少しほっとする。
「問題ないですか?」
「だ、大丈夫でーす」
「…意外と簡単なのね」
 未羽と違い、サラマは余裕の声で言った。
 教官は運転手付きの車に乗り込む。
「それでは、ひとまず滑走路まで歩いてきてもらいます。私の車に着いて来て下さい」
 そう言うと、葦原教官の乗った車は整備棟の扉から出て行った。二人はその後を追い始める。
 訓練の始まりだ。

 コウは谷古田と共に、管理棟の屋上から二人の訓練する様子を眺めていた。
 二体のHWは、車の後ろをドタバタとぎこちない足取りで走っていた。
「順調にやっているな」
 谷古田は二人が悪戦苦闘している様を見て笑いながら言う。
「最初にしては上出来だ。神里の設計したOSが効いているのかな」
「作戦はいつから始まるんですか?」
 コウは谷古田に尋ねる。
「一週間後かな。部隊を整えなければならんし。それと、今日あたりにハンター達が到着するはずだ」
「部隊の戦力は?」
「あいつらが乗っている量産型が30機。軍用ヘリが7機。戦車が13両。歩兵が200人といった所だな。その中で、ヘリと戦車と歩兵ははっきり言って雑魚の掃討用にしか過ぎん」
「僕の機体も入れて31機ですか…」
「そうだ。それで石板を叩く」
「勝算はあるんですか?今まで石板に近付く事も出来なかったのに」
「31機じゃ心細いか?」
「そりゃあ、まぁ…」
「ハハハ、正直な奴め。俺の計算だと、量産型機体一機で戦車5両ぐらいの戦力だと見積もっている。30機で150両の戦車部隊だ。そして、お前の機体はその量産型6機相等の戦力だ」
「それは買いかぶりすぎですよ」
「いや、これでも少なく見積もっているつもりだ。この前の戦闘を思い出してみろ。2体のヒドラを5分で落とすには、戦車なら30両あっても難しい」
「………」
 コウは反論できなかった。谷古田の期待をそぐような事は言いたくなかったというのもある。

「それで、どうやって石板を落とすんですか?」
「量産型と機甲師団は石板を守る襲来甲を引きつける役だ。そしてピクシーにはその間隙を縫って石板に突撃してもらう」
「僕が、石板の中に?」
「それ用の装備は用意してある。石板のコアを停止させれば、周囲の襲来甲は止まる。極秘事項だが、そういう情報がある」
「それは、信用してもいいんですか?」
「アメリカでは、核を搭載したバンカーバスターで石板を沈めたという戦果が報告されている。その中で、たった一発で石板が機能を停止したという報告があってな……」
「コアを破壊したということですか」
「そうだ」
 コウは自分に課せられた任務の重大さに黙り込んでしまった。
 重大ならまだしも、生き残れる保証もない。谷古田ははっきりとは言わないが、この作戦は彼に石板へ特攻しろと言っているに等しい。
『生き残れるか……』
 想像して、コウは少し怖くなった。できる事なら逃げ出したい気分だった。
 でも、逃げる所なんてどこにもない。
 コウが黙ってからは谷古田も言葉をかけなくなり、二人は滑走路で繰り広げられる訓練の様子を無言のまま眺めた。
 10時を過ぎる頃には、二人の他にも訓練を受ける者が現れ、機体の一団は隊列を組んだり、連携の練習をしたりしていた。
 拡声器を通して号令をかける教官の声が、だだっ広い滑走路で響いていた。
「お前に無理難題ばかり押し付けて、すまないと思っている」
 谷古田がコウに向けて、再び話し始めた。
「お前にはそう思わせるだけの力がある。他の誰が乗っても、ピクシーはああいう風には戦えないだろう」
「いいですよ…別に」
 コウは谷古田に向かって微笑んだ。
「今は戦わなくちゃ生き残れない時代だから、どうせ死ぬのなら戦って死にたい」
 コウは手すりに背中を預けた。背中から風が吹いてくる。
「死ぬのは……怖いですけど…」
 そう言って、コウは自嘲気味に笑う。
 谷古田も微笑み、コウの顔を見る。
「そんなもんだ。誰だって」

 その日の夕方、コウは一人で機体の訓練を始めた。
 滑走路を全速力で走り、そして背中の羽から火を噴いて舞い上がる。
 とにかく動いていないと気が変になりそうだったから、コウは無我夢中で機体を動かした。
 その様子を、訓練を終えた未羽とサラマが眺めている。
「やっぱり、全然違うわね…。彼」
 サラマは感心した様子で呟いた。
「うん…凄い」
 未羽もコウの動きに見とれていた。
 そこへ谷古田が現れる。
「あいつはまるで、あれに乗るために生まれてきたみたいだ」
 谷古田も空中で踊るコウの様子を眺めながら言った。
 未羽が周囲を見回すと、基地の隊員の多くがコウの姿に釘付けになっている。
「まるで、舞台の上の踊り子みたい…」
 ふと、コウの機体が基地の外へと飛び出していく。
「あ、どこに行くんだろう…」
「いいんだ。許可は取ってある。町のパトロールを兼ねているんだろう」
 谷古田が言った。

 コウは背中のエンジンを全開にし、無人の町の上を飛んでいた。
 眼下には夕日に照らされて赤黒く染まった町が延々と広がっている。
『怖いの……?』
 シノビの声がした。
「うん…」
 コウは否定しなかった。彼女がそばにいる時は、心の中を隠す事など出来ない。
 機体はビルの屋上に降り立つ。
 そこから間髪いれずに、垂直に飛び立った。
 モニターの高度計の数字がどんどん増えていく。高度3000メートルの地点でエンジンの出力を落とし、宙に留まった。
 東の方角、弓なりの地平線の上に石板が見える。
 石板の映る画像をズームアップしていく。夕日に染まって、陽炎の中、燃え上がるように赤く見えた。
「これを倒さなければいけないのか……」
 コウは呟く。
「たった一人で…」

『私がいるよ…コウ』
 シノビがやさしく抱きしめるような声で言う。
 コウは微笑んだ。
「そうだね…」
『私があなたを守るから…あなたは私を導いて……』
 コウの目から涙があふれる。彼は目を閉じた。
 センサーが音を立てて、下界に何かがいる事を知らせてきた。
 背中のエンジンを切り、ピクシーは自由落下に入る。
 下から熱源反応があった。ヒドラの光弾だ。
 コウはすかさずエンジンを再点火し、回避する。
 機体は地上に降り立った。
「ありがとう…」
 コウはナイフを二本取り出し、ヒドラに飛びかかる。
「君がいるから、怖くないよ…」
 ヒドラの光弾が次々と発射され、コウはその全てを避けて宙に舞い、身をよじって二本のナイフを切りつける。
 次の瞬間、ヒドラの首は全て地面に落下していた。
『怖がらなくていいよ。私達ならきっとできる…』
「そうだね…」
 シノビの言葉に、コウは呟いた。

 コウが帰還し、回収部隊が出動する。大抵、襲来甲の残骸は一夜過ぎるとなくなってしまうから、彼らは急いでいた。
「どうも、基地に向かっている奴だったみたいです」
 コウはピクシーから降りると、待っていた谷古田に報告する。
「おつかれさん。これで今夜は安心して眠れそうだ」
 谷古田はコウをねぎらった。
「作戦まで時間があるし、練習を兼ねて毎日やってもいいですよ」
「余裕だな」
「だいぶ慣れてきました」
「慣れたとかそういう次元じゃないだろ。ヒドラ倒して」
「機体の性能がいいんですよ。むこうはこちらの動きについていけませんから」
「そう言われると、神里も嬉しかろう」
 谷古田は満足気だった。

 夕食後、コウと谷古田はシノビのお見舞いに、アヤの部屋を訪れた。
 彼女は窓際の椅子に座ったまま目を閉じて、うっすらと笑みを浮かべていた。
「最近、彼女機嫌がいいの」
 アヤは言った。彼女はまだ谷古田のジャケットを羽織っている。
「何があったんだろう…」
 コウには、なんとなくその理由がわかるような気がする。
 とはいえシノビは何も言わず、部屋の壁に向かい合ったままだ。
「ご飯は食べた?」
 コウはアヤに訊いた。
「さっき食べた。わがまま言わないから助かるわ」
「という事は、こちらの言う事は聞いてくれるんだな」
 谷古田がしのびの顔を覗き込みながら言う。
「この娘、自分から何かをするという事がないのよ。あたしが放って置いたら、このまま朝まで椅子に座りっぱなしだし」
「トイレは?」
 谷古田は質問する。
「定期的に。連れて行ったらやってくれるし。連れて行かなかったらその場で…」
「分かった。もう言わなくていい」
 谷古田は顔の前で手をかざし、アヤの言葉を止める。
「それにしても大変だな。ほんとに頭が下がるよ」
 彼はアヤの苦労をねぎらうように、彼女の背中をなでた。
「いいんだよ。言いだしっぺはあたしだからね」
 アヤは少し嬉しそうだった。

 コウはそっと、シノビの手に触れる。
「志保…」
 コウの手が触れた瞬間、シノビの指先がぴくんと動いた。
 コウは彼女の顔を見る。
 彼女は目を開き、コウの顔に焦点を合わせる。しかしすぐに瞳孔が開いて、目から意思の光が消える。
「動いた…」
 コウは呟いた。
「一瞬だけ反応するんだよね。でもすぐに切れちゃうんだ」
「神里には聞いたのか」
 谷古田は尋ねる。
「神経にはあまり異常はないんだってさ。何ていうかな、膝を叩いて足がビクンってなるやつ」
「脊椎反射か」
「そうそう、それは正常なんだけど、脳の中で何が起きているのかは分からないし、それが原因だろうって」
 コウは黙ってシノビの左手を強く握る。
 すると、シノビの右手がコウの手にやさしく乗せられる。
 コウは少し悲しかった。こんなに近くにいるのに、一緒にいられない事が。
 確かにピクシーの中では、彼女をすぐそばに感じる。でもそれは触れ合う事のない出会いだった。
 治ってほしいと、彼は思う。しかしその為には、ピクシーを捨てなければならないのかもしれない。彼女の心があれに囚われている間は、これ以上の回復はないように思えた。
「治してみせるよ」
 谷古田に向けて語るアヤの健気な様子に、コウは何も言えず、申し訳ない気持ちになる。

 日が暮れて、ハンター達が基地へと訪れてきた。
 ハンターは襲来甲と戦う為、夜間に動く者が殆どで、基地にたどり着くのも必然的に夜になる。徒歩で来る者、車で来る者、バイクで来る者、それぞれだ。
 その彼らが一様に身につけているゴーグルは、基地に入るためのパスポートになっていた。谷古田の計らいである。
 彼らの多くは叩き上げの素人だが、襲来甲との戦いに関しては並みの兵士以上の存在だ。
 年齢も、元の職業も様々で、警官だった者、学生だった者、サラリーマン、工員、ヤクザ等等。年齢制限で機体へのスカウトはなかったものの、狩りの腕前ならコウよりずっと上の人がたくさんいた。
 皆一様に日に焼けて、ぼろぼろの衣服に身をまとっている。谷古田は着替えの制服を彼等に支給し、風呂にも入れた。

 コウはハンター達の中に香月がいないか見て回った。
「よう、コウ」
 香月は来ていた。
 彼は髪を銀から金に染めていて、昔とは少し雰囲気が変わっていた。
「久し振りだな」
 コウは香月の手を握った。香月は笑う。
「お前の事、谷古田さんから聞いたぜ。ずいぶん出世したみたいだな」
「成り行きだよ。別に嬉しいもんじゃないさ」
 コウは苦笑いして答えた。
「香月は今どうしてる?」
「今はスナイパー稼業さ。成績は大したこと無いけどな」
「正直、来るとは思わなかったよ。スタンドを畳んでから、東京を離れたとばっかり…」
「馬鹿言え。俺だってハンターの端くれだ。そこまで薄情じゃないさ」

 コウは彼を居住地へと案内した。
「久し振りにまともな風呂に入ったな」
 夜道を歩く間、香月は部屋のカギをちゃらちゃらと振り回しておどけていた。
「未羽達の所に寄っていけよ。あの娘もきっと喜ぶ」
「それは明日の楽しみに取っておくわ。今日は疲れた。バイク乗りっぱなしだったから」
「そういえば、稼いだお金はどうしたんだ?」
「みんな両親にやっちまった。俺には必要の無いもんだし」
「でも、郵便とかないだろ」
「ひとっ走りして届けたんだよ」

「香月は、今回の作戦を知ってて来たのか?」
 コウは香月に改めて訊く。
「当たり前だろ」
 香月は少しムッとする。自分が信用されていないと思ったらしい。
「石板にタイマン張るんだろ?」
「うん。だけど今回は本当に厳しいよ…。香月まで巻き添えにしたくなかったな…」
「それは余計なお世話だぜ。お前がやるっていうのに、俺が黙って見ていられるか」
 コウにはその言葉が嬉しかった。

 コウは自分の部屋がある棟を通り過ぎ、香月の部屋の棟まで付き合うことにした。
 基地も端まで来ると、電力供給が追いつかず、明かりも少ない。もっとも、今東京にいる者にとっては、安全を確保された快適な寝床というだけで十分に嬉しいものであった。
「これが終わったら、またバンド出来るかな…」
「ベース、探さないとな。そんなにやりたいのか?」
「ああ」
 香月の方を向いて、コウは笑う。
「聴かせたい人がいる。…彼女は難病なんだ。音楽しか聴けない」
「泣かせるね、そういうの」
 彼は照れ隠しに口を手でぬぐった。
「本当は香月がバンマスやればよかったのにな」
「俺は、自分のポジションに不満はないぜ。もともとバンマスには向いてないと思ってたしな」
「しかし、こんな下手なバンマスじゃ、笑いものだな」
 コウは苦笑する。

 それから香月と別れ、コウは自分の部屋に帰る。
「電気、つけないで」
 部屋が暗いので明かりをつけようとすると、未羽の声がそれを制止する。
「今日は星が綺麗だから…」
 未羽はベランダに出て夜空を眺めていた。
 コウも彼女の隣に歩み寄り、空を見る。
 たしかに、吸い込まれそうなほど黒々と澄んだ夜空。そこに、光る砂の様な星が無数にきらめいている。
「綺麗だね…」
 町はしんと静まり返っている。
 二人は何も言葉を交わすことなく、星空を眺めていた。

 コウは先にベランダを立ち去り、ベッドに入る。
 彼が布団に包まってしばらくすると、網戸が閉まる音がし、未羽が上に乗ってきた。
「ベッドはあっちだろ…」
 彼女は何も言わず、手をコウの首筋に延ばしてきた。彼女の爪先がコウの顎にやさしく触れ、そのひんやりとした感覚にぞくりと鳥肌が立った。
「なんだよ…」
「コウは私の事、嫌いになったの?」
 未羽はコウの耳元でささやく。息遣いまで聞こえる。
「そんなんじゃないけど……」
 彼は体を横にしてそっぽを向いた。
 彼女はコウの頬に口を寄せる。みずみずしい彼女の唇が彼の頬に触れた。
 キスの跡がひんやりとした。
「何だか、コウは最近変わった…」
 未羽が体をコウの背中に押し付けてくる。未羽の柔らかい胸が衣服を通して、コウの背中に触れる。
「やめろよ…」
「お願い…今夜だけ……」
 彼女はコウに抱きついた。
「もう最後かもしれないから…」
「怖いのか?」
「うん…」
「戦いたいって言ったじゃないか」
「分かってる…」
 コウは未羽の方を向き、彼女の髪をたくし上げた。洗ったばかりの髪の毛は、ほのかな石鹸の香りを運んでくる。
「コウはどんどん遠い所に行ってしまうから…」
「そんな事ないよ」
 コウは彼女の口に接吻をした。長い長い口付け。彼女の口は甘い香りがした。
 コウは襲来甲がやってきた日の事を思い出す。
「あの時、二人で会わなかったら、こんな事にはならなかったのに」
「でも、今は感謝してる。助けてくれて…」
 二人は互いの絆を確かめ合うかのように、お互いの体を求めた。不確かな未来を前に、互いの体の感触だけが確かなもののように思えたから。
 そして、夜が更けていく……。