5章 空



 作戦当日。
 朝10時。全ての戦車、ヘリコプターが滑走路に整列する。
 自衛隊、そしてハンター達がその前に並んだ。

 サイレンの音と共に作戦が開始され、周囲にエンジンとローターの音が響き渡る。
 まず戦車部隊が出発し、次にトラックに乗った歩兵部隊が基地を出ていく。
 ヘビーウォーカー部隊とヘリコプター部隊は少し時間を置いて出発する事になっていた。
「未羽、大丈夫か?」
 めまぐるしく人が行きかう中、コウは未羽の元へ駆け寄った。彼女はデニムのスカートに水色の半袖シャツという動きやすい服装で、頭にはコウと同じゴーグルを巻いていた。
「心配はいらないよ。彼女、結構成績優秀だから」
 隣にいるサマラがコウに忠告する。二人はコウの護衛として行動を共にする事になっていた。
「石板の守りは堅いから、機体に乗っていても無事でいられるかどうか分からないぞ」
「心配しなくても、私だって自分の事は自分でやるから」
「そうか。ごめん」

 それから、コウは神里に呼び出された。彼は通信車のそばで腕を組んで待っていた。
「君に見せたいものがある」
 神里は、キャリアーの上に載せられた巨大な銃を指し示した。
「ピクシー用の武器ですか?」
「そうだ。機体の動力を使用するエネルギー砲だ」
「ヒドラと同じ砲弾が撃てるって事ですか?」
「具体的にはそうだ。ただ、こちらの方が威力は出る。但しそうやたらは撃てない」
 神里は数枚の紙切れをコウに渡した。
「向こうに着くまでに、それを読んでいてくれ。使い方が書いてある。大まかな部分は、人間が使うライフルとそう変わりはないが」
「了解です」
「装備は向こうで行なおう」
 そう言って神里は指揮車の荷台に乗り込んでいった。

「お前らも来るのかよ」
 谷古田は指揮車の後席に座ったアヤとシノビを見て眉をひそめた。
「悪い?」
 アヤは口を尖らせる。
「これは戦いなんだぞ!?」
「あたし達が一緒にいてもいいじゃん。あたしだって銃ぐらい使えるし」
「あのなぁ…」
「それに、もぬけの殻の基地にいるよりこっちの方が安全だと思うけど」
 谷古田は、アヤの隣にいるシノビに目をやった。
「だからと言って、シノビまで連れてくる事はないだろうが」
 シノビは相変わらず無表情で、ヘッドフォンで音楽を聴かされていた。
「これはコウに頼まれたんだよ。彼女がいないと調子が出ないって」
「何でまたそんな事を…」
「そんな訳で、あたしがいないとどうしようもない訳だ」
 アヤは腕を組み、一人で納得する。谷古田はやけくそ気味に頭をかきむしった。
「しょうがねぇな。どうなっても知らないぞ」
 谷古田は前の運転席に座る。この車はオートマだ。
「お世話になりま〜す」

「世間話は済んだか…?」
 指揮車の荷台から神里の声がする。
「ちっ、もういたのかよ」
 谷古田は口をへの字に曲げてぼやく。
「早く出発してくれ。向こうで前線基地を作らなければならんのでな」
「分かってるよ。まったくとんだ指揮官だな、俺…」

 それから、谷古田達の乗った指揮車が、数台のトラックと戦車を引き連れて出発する。
その後を追うようにヘビーウォーカー隊は歩き始めた。

 コウと未羽とサラマの三人は独立部隊で、出発は最後になった。
「それじゃ、行こう」
 コウは他の二人が機体に乗ったのを確認して動き始める。
 ピクシーには飛行能力があるから、その気になれば部隊の誰よりも早く目的地に到着できる。しかし飛行能力のない他の2機を置いていく事は出来ないので、一緒に歩く事にした。
 コウは正面パネルに地図を出し、それを指でなぞってルートを表示する。
「ルートはこれで」
 それから二人へ送信した。二人の目の前にコウと同じ画像が表示される。
 そこには、谷古田達に比べてやや北に膨らんだルートが描かれている。北方面から谷古田達への敵の進行を食い止める役目も任されていた。
「うん。分かった」
「了解」
 返事が返ってくる。
 間もなく3つの機体は走り始めた。
 目指すは石板だ。



 未羽とサラマの機体には、ピクシーにはない武器が装備されていた。
 戦車砲を改造したライフルだ。弾の数は少ないが、ヒドラ相手にもそこそこの威力が期待できる。
 彼らが進む道の所々にクビカリがうずくまっている。その一つが、一行が近付くと動き出して襲ってきた。
「未羽、来たよ」
 サラマが叫ぶ。クビカリは未羽の黄色い機体に向かって歩いてくる。
「はいっ!」
 未羽は身構える。クビカリの全高は2.5メートル。対するHWは7メートル。人間に対する中型犬くらいの比率だ。
 クビカリの突進を、機体は難なく受け止めた。金属同士の摩擦音が響く。
「えいっ!」
 未羽はクビカリをつかんで放り投げる。それは弧を描いてビルの壁面に衝突し、そのまま動かなくなった。
 かつてはあんなに苦労した相手が、こうもたやすく倒せてしまう事に、コウだけでなく他の二人も感慨深いものがあった。
「余裕じゃないか…この機体、強いね」
 サラマはその様子を見てうなった。
「まったく、とんでもないものを作ったものだよ」
「みんな、先へ行こう」
 コウが手招きする。

 一行が進んでいく町の様子は、どこもかしこも草木が芽生えていて、急速に森にかえろうとしているかのようであった。
「随分成長が早いんだね」
 サラマは周囲を見回して言った。
 一行は基地に来る前にも同じような光景を目にしている。
「何だか変ですよ。これ」
 コウは、この光景を初めて見た時から抱いていた疑問を口にする。
「確かに、不自然な成長振りだね」
 サラマも同意した。
「ただ手入れしていないだけじゃ、こんなに生えてこないよ」
 彼女は傾いているビルの映像を他の二人に送った。
 そこには、壁に出来た割れ目から一斉に雑草が芽を出している様子が映っている。
その様子を見て、さらに彼女は言った。
「雑草はね、根を張り巡らせる事によって風化を早めるんだ」
「それじゃ、町を風化させるのが襲来甲の目的なの?」
 機体を歩かせながら未羽が訊く。
「最近ね、彼らの目的は本当に人間を滅ぼす事なのかなって思うようになってきたの」
 サラマは話し始める。
「だって、彼らの作りは変じゃない?もっと効率よく殺戮できる方法はいくらでもありそうなのに、何で一人一人殺していくんだろうね」
 再びクビカリが現れる。今度はサラマがナイフで首を落とし、あっさりと片付けた。
「何か他の目的があるんじゃないかな、こいつら」
 一行は移動を再開する。既に武蔵野近辺に近付いていた。

 石神井公園のあたりに差し掛かると、目の前に動く小山のような物体が現れた。そこから生える2本の首が見える。
「ヒドラか…」
 コウは腰にある二本のナイフを引き抜いた。
「二人は下がってて」
 コウは二人に指示を出す。
 ヒドラはこちらに気付くと、その頭部にエネルギーを充填させ始め、うっすらと光るのが見える。コウのゴーグルに表示される映像では、頭部が真っ白になっていた。
 コウは走り出し、一気に間合いを詰めた。ヒドラは首を折り曲げ、光弾を放つ。しかしその着弾点にピクシーの姿はない。
 コウは上空に舞い上がり、下を向いて羽を広げ、ジェットを点火して加速しながら降下する。
 そしてヒドラの核めがけてナイフを突き刺した。
 ナイフはヒドラの首の付け根に深々と突き刺さり、硬い物が砕ける音がして、ヒドラは動かなくなる。
 ほんの数十秒の出来事だった。
「もう大丈夫」
 コウは何事もなかったかのように言う。
「相変わらず凄い…」
 未羽はその戦いぶりをどう評していいか分からなかった。
「あれだけ皆が手を焼いていたヒドラが、こうもあっさり倒されちゃうんだからね…」
 サラマも未羽に同意した。
「それにしても、この森…」
 コウは公園に目をやった。
 公園には、緑が溢れんばかりに繁茂し、周囲の道や建物を侵食している。
「こいつ、緑の番人だったのかな…」
 ヒドラの体にもたくさんの雑草が生えていた。

 石板のある新宿近辺は、石板が降下した時の爆風によって更地となり、石板を中心に半径1.5キロほどの円内には瓦礫しかない。さらにその周囲を半倒壊したビル群が取り囲む。
谷古田達の司令部隊は、倒壊を免れたビルの傍に司令部を作る事になり、同行した隊員やハンター達が機材の搬出を始めた。この部隊には香月も同行しており、ビルの頂上まで登ってアンテナを立てる作業を行なった。
 時刻は夕方の5時。トラックのコンテナの周りにはテントが設けられていた。
 石板の周囲にはたくさんのホオズキが浮かんでおり、谷古田はそれを苦々しく見つめる。
「お前らは建物の中に入ってろ」
 彼は後部座席で休んでいたアヤに指示を出す。アヤに促され、シノビもトラックから降りた。
 通信設備に電源が入り、谷古田は画面に地図を表示させた。他の部隊の位置がGPSによって表示される。
 もはやこの際、上空のトンボなどを気にする意味はないので、電波は事実上解禁になっていた。
「コウ、聞こえるか?」
 谷古田はコウに連絡を取る。現在、コウの部隊は豊島区のあたりにいる。
「聞こえます」
 若干のノイズがあるものの、感度は良好だ。
「お前は銃を取りに来てもらう。神里に渡された説明書は読んだか?」
「一応目は通しました。使い方は普通のライフルとほぼ同じです」
「他の二人はの様子はどうだ?」
「異常ありません。途中でヒドラを1体破壊しました」
 コウは石神井公園周辺のマップを転送してきた。
「そうか、さすがだな。損害はないか?」
「ありません」
「作戦開始までにこちらに来ててくれ」
「了解」
 谷古田は通信を切る。
 コウ達の部隊を独立して動かせていたのは、谷古田のせめてもの親心からだ。
 こうすれば、自分達の部隊が大損害を被るような事態になっても、彼らだけは生き残れる。もちろん逆もありえたが、コウの能力を考えれば生き残れる可能性が高いと彼は思っていた。
 それに、HW達にとっては窮屈な道路。大勢が行動を共にしていたのでは逆に危険ですらある。

 間もなく、コウ達の部隊が到着する。
 ビルの屋上に見張りとして立っている香月が、その光景を見下ろしていた。
 白い、ひときわ大きいHWが司令部のそばに立っている。
「お、あれにコウが乗っているんだな」
 彼はゴーグルを外し、一人にやける。

「早速だが、このライフルを装備してくれ」
 神里が通信を送ってくる。
「とりあえずテストは済んである。使うのはぶっつけ本番になるが、どの道フルパワーで使えば二度目はないだろう」
 かつてピクシーが横たえられていたのと同型のキャリーには、ピクシーの体長よりも長い巨大なライフルが置いてあった。
 コウは機体の両手を伸ばして、それを掴む。
「重いぞ。バランスを崩さないように気をつけろ」
 谷古田が忠告した。コウは機体の体勢を低くし、銃を持ち上げる。
 この時、何故今まで銃を装備させてもらえなかったのかが彼にはよく分かった。この重さでは、ピクシーの最大の利点である敏捷性が大きく損なわれてしまう。
 銃を機体の横に立てると、その根元の地面がひびが入る。
 コウはマニュアルに書かれていた通りに、装備を開始する。銃から伸びているコネクタをピクシーの腰にある接続部に差し込んだ。これによってエネルギー充填が開始される。
「チャージはどれくらいで終わるんですか?」
 コウは神里に訊いた。
「大体30分もあれば済む。銃自体にも炉が入っているから、機体からのチャージは補助的なものだ。君が銃を手に取った時に、既に60パーセントほどはチャージがなされている」
 銃をフル充填しないのは、高エネルギー状態のままにして破損するのを防ぐためだという。ちなみに、空の状態からのフルチャージは3時間ほどかかるという。
「そいつの弾はヒドラの光弾よりも威力がある。フルパワーで放てば小型核並だ。それで石板のどてっ腹に風穴を開けてもらおう」
 谷古田は言う。
「問題は、それをいつ放つかだ。言うまでもないが、石板は襲来甲の巣だ。中に奴らがいるうちに突入するのは得策じゃない」
「夜まで待ちますか」
 コウは谷古田に提案する。
「とりあえず、お前は護衛と一緒に離れて行動しろ。合図は俺がやる。その時までにいい射撃ポイントを見つける事だな」
「一撃でコアまで破壊できればいいんですけどね」
「さすがにそれは無理だ。そいつは内部に潜って炸裂する訳じゃないからな。せいぜい表面を剥がして内部を少し壊す程度だろう」
 そうこうしているうちにライフルのチャージが完了する。
「それじゃ、後はよろしく頼む」
「了解」
 コウ達三人は、その場から動き始めた。
「こちらも、作戦開始といきますか」
 谷古田はディスプレイに地図を表示し、GPSによって各部隊が所定の位置に配置されたことを確認する。
 円形の爆心地の縁にある道ごとに部隊が並び、作戦の号令を待っていた。
 時刻は夕方の6時半。空は夕焼けで真っ赤に染まっていた。



 東京湾には、横須賀からの艦艇が停泊していた。
 東京にいる襲来甲の中には、海上の目標を攻撃するものは確認されていない。つまり、安全地帯から攻撃できるという事だ。
 夕暮れ時、その艦艇から一斉にミサイルが打ち出される。谷古田達のいる所からは、紫色の空を背に、何十もの光が白い尾を引いて上昇していくのが見えた。

「谷古田さん、東京湾からの攻撃が来ました!」
 ビルの屋上で見張りをしていた香月が、トランシーバーで通報する。
「こちらでも確認した」
 谷古田はすぐに答えた。
 ミサイル群はちかちかと光りながら真っ赤な空に白い弧を描き、石板へと向かっていく。その時、石板の一部が光りだし、空に向けて無数の光線が走った。
 ミサイルは次々と迎撃され、石板にたどり着けたものはほんの数発だ。
「対空は完璧だな」
 この事態はあらかじめ予測されていた範囲内だったにしろ、数発でも命中した事は嬉しい誤算といえた。
「やはり、下から攻めるしかあるまい。全部隊前に出ろ!」
 谷古田が号令をかけると、戦車とHWの集団が、崩れたビルの陰から石板に向かって歩き始める。
 香月が望遠カメラで覗くと、石板のいたるところに穴が開き、中から無数の襲来甲が湧き出てくるのが見える。その冷たく光る目の数だけでも千は下らない。
 地に満ちていくおびただしい死神の群れ。そう形容するしかない光景だ。
 彼は額に汗をにじませながら、映像を谷古田へと送信しようとする。恐ろしくて指が震えた。
「出てきやがった…。谷古田さん、見えますか?」
「ああ。こいつはすげぇ。総力戦だな」
 彼はその映像を各部隊に配信した。
「向こうの戦力がどういう割合になっているのかが気になるな…神里、分析できるか?」
 谷古田は神里と通信をとる。彼は通信車の中にいた。
「青い目の奴はクビカリなどの小物だ。赤い目はヒドラ。黄色い目の奴は不明だ。数は確認できるだけでも青1000、赤60、黄色30。赤は首の総数だ。」
「黄色が気になるな。しかし、向こうはこちらの機体に気付いて日が浅い。対抗した物を作る事は難しいだろう」
「そうであって欲しいな」
 そうこうしている間に、石板から出てきた襲来甲とこちらの部隊との接触が始まった。
 前方のHWはナイフを引き抜き、押し寄せてくるクビカリ達を次々に破壊していく。
 後方のHWは巨大な機銃を乱射し、クビカリはその弾に貫かれて動きを止めた。
 戦車は後方に下がって砲撃を繰り返した。戦車砲によってクビカリの装甲は貫かれ、次々と爆発して閃光がきらめく。
 ヘリ部隊はミサイルを撃って、後方の集団を攻撃した。爆風に巻き込まれて大量の襲来甲が宙を舞う。
 装甲車やミサイル車両は後方からホオズキを打ち落としていった。ホオズキの内部のガスは可燃性だから派手に炎を上げて爆発する。その音はひときわ大きく周囲に響き渡った。

 日没が過ぎ、辺りは暗くなる。
 爆心地の周辺では、戦闘による閃光があちこちで光り、無数の爆発音がこだましている。
 コウはその様子をビルの影からじっと見守っていた。
 石板は全身の所々が赤く光り、何だかそれが怒っているようにも見える。
「そろそろ行こうか…」
 彼は他の二人に言う。
「分かった」
「いいよ」
 二人は返事をよこした。
 コウは、ゆっくりとビルの陰から足を進め始めた。

「さすがに、クビカリになら負けはしないな」
 谷古田はディスプレイを見ながら呟くように言う。
 前線の機体から送られてくる映像には、あたり一面に横たわる襲来甲の残骸が映し出されている。
 それに比べれば、こちらの損害は微々たるものと言えた。
「この程度で終わるわけはないが…」
 石板から黄色の目をした襲来甲達が次々と現れてくる。
 目の高さから見ると、かなり大きく、身長だけでもクビカリの3倍はある。ちょうどHWと同じ高さだった。
「指令官、この型の襲来甲は初めて見ます」
「新型か…気をつけろ。酷だが、倒し方は自分で見つけてくれ」
 谷古田の額に汗が流れた。

 石板へと進むコウの前にも、新型の襲来甲が現れる。
 コウは肩のライトを点灯させ、黄色い目をしたものの正体を調べようとした。
 新型の身長は9メートル程。直立して歩き、胴体から突き出た4つの足を交互に動かして歩いてくる。肩からは二本の長い腕があり、その先には3本の指が見えた。
「こいつは……」
 コウはその姿を一目見ただけで、それがHWとの戦闘を前提にした新型の襲来甲だと言う事を見抜いた。すぐに背中に担いだライフルを地面に寝かせて、体を身軽にする。
「二人はそこで待機していてくれ。こいつは僕がやる」
 そう言うと、コウは敵に向かって走り始めた。

「もうこんな奴が出てくるとはな…」
 谷古田は戦場から送られてくるノイズまみれの映像を見てうなる。
「戦車隊は後退したか?」
「ほぼ完了しました」
 隊員から通信が入る。
「ヘリ部隊にミサイルを積んで援護させろ。ケンタウロスは迎撃できんだろうからな」
「ケンタウロス、ですか?」
「新型のニックネームだよ。今考えた。分かりやすいだろ」
 前線のあちこちではHWとケンタウロスの戦いが始まっていた。

「こいつの核はどこにあるんだ…」
 コウはケンタウロスの両腕を掴む。
 ヒドラに比べて、新型はかなり素早く、こちらの動きにも対応してくる。3本の指は爪のように尖っており、これで突かれたらコウの機体も無事では済みそうにない。
『くる……』
 シノビの声がし、次の瞬間ケンタウロスが体勢を崩した。
「いまだ」
 コウはその動きを読み、体位を変えようと体勢を崩すケンタウロスの上に体を回りこませる。
 そのままピクシーを上に乗せたままケンタウロスはバランスを崩し、頭から地面に激突する。その衝撃で頭部が潰れてしまった。
 コウが降りた後、頭が潰れたケンタウロスはぎこちなく動き、周囲に向けて腕を振り回す。センサーがやられてしまったらしい。
「こいつの核は…」
 コウは暗視モードの画面に映る新型に目を凝らす。
『みえる……!』
 コウは直感的に視線を動かす。新型の上半身の付け根。ホログラムのように光る物が見えた。
「そこだ!」
 コウはナイフを取り出し、彼が見抜いた場所に深々と突き刺した。
 硬質な破砕音。そして、ケンタウロスの全身から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
 コウはその残骸を見下ろしながら、息が整うのを待った。
「確かに…見えた。奴の急所」
 そして、その通りに倒した。しかし、それ以上考えるのはやめた。今は時間がないのだ。
 彼はコクピットのキーを叩き、戦闘の画像を谷古田の所へ転送する。
「新型の倒し方が分かりました。これを皆に見せてください」
 彼は谷古田に向かって語った。

「でかした。核の位置が分かればこっちのものだ」
 谷古田はそれを素早く全員に転送する。
 それを境に、皆の戦い方が一変する。

 ケンタウロスの総数は二〜三十体程だと思われた。おそらく時間がなくて大量に生産できなかったのだろう。
「これはますます、今回で石板を落とさなければ危ういな」
 敵に時間を与えればケンタウロスの数は増え、こちらの優位が危うくなるのは間違いない。
「なぁ神里、石板同士は連絡を取り合ったりするものなのかな?」
 谷古田は神里に聞いた。
「おそらく、それはない。石板の周囲からはそういう電波の類は検出されていないし、限られた資源リソースの中から、降下した土地に対応した機体を作る方が戦略としては効率的だ」
「しかしこの開発の速さは、ある程度の雛形が石板の中にあったとしか思えんな」
「そう考えるのが自然だ。だからこそ石板は落として分析せねばならん」

 時刻は10時を過ぎていた。
 HWの数がケンタウロスを上回る頃になると、2、3体のHWがチームを作り、ケンタウロスを一つ一つ撃破していく。
 そうなると趨勢はたちまち人間側に傾いていった。
 この次点で行動不能になったHWの数は7機。破壊された戦車は10両。
 彼らが戦っている間も、東京湾からはミサイルが次々と発射される。
 それは石板の周りに蠢く襲来甲達に次々と命中していったが、相変わらず、石板はほとんど無傷だった。
「これくらいで終わるわけはないと思うがな…」
 谷古田は前線から送られてくる映像を眺める。機体に積まれたカメラは損傷したものが多く、映像にはノイズが増えていた。
「谷古田さん、そろそろ行きます」
 コウから通信が入る。
「死ぬなよ」
「分かってます」

「未羽、大丈夫か?」
 先程のケンタウロス達との戦闘で、未羽の機体の左手が動かなくなってしまった。格闘はさすがにパイロットの身体能力が影響する。
「ごめんね…守るつもりが、足手まといなんて」
 未羽は悔しそうに唇を噛む。
「何言ってるんだ、ここまで一緒にいてくれただけでも」
 サラマは未羽をなだめる。
「未羽、今までありがとう」
 コウは彼女に優しく語りかけた。
「コウ…」
「これからは、自分の身を守る事だけ考えるんだ」
 ピクシーは巨大なライフルを両手に持ち変える。
「行くのかい?」
「うん」
 先程の戦闘が終わり、敵の動きが停滞している。次の波が来るまでがチャンスだと彼は思ったのだ。
 ここから石板までの距離は800メートル。この位置からだと石板は天を覆い尽くすほど大きい。
 彼はライフルを構えた。ゲ−ジは最大出力。
 機体は深く腰を落とし、息を殺して狙いを定める。
「僕に見えるのか…」
 コウは不安にさいなまれる。この一撃でこの戦いが決まると言っても過言ではなかったのだから。
 彼の呼吸は乱れた。

『呼んでるよ……』

 シノビの声。
「…誰が?」
 次の瞬間、コウの脳裏に、巨大な目玉のイメージが浮かび上がる。正確には目玉のような巨大なコアだ。
「まさか…」
 彼は石板を見る。血管のように張り巡らされた線が真っ赤に光り、石板は鈍い光を放っていた。背後を飛ぶミサイルの閃光で、石板の影が伸び、彼に覆いかぶさる。
 ドクン、心臓が高鳴り、彼はそれに押しつぶされるような錯覚を覚えた。

 同じ頃……

「どうしたのよ急に!」
 建物の中からアヤの叫ぶ声が聞こえた。
 天幕の中にいる谷古田が振り向くと、建物から少女が歩いてくる。
「おい、シノビじゃないか…」
「その娘を止めて!」
 続いてアヤが出てきた。
 谷古田はシノビの体を抱きしめる。
 彼女の目は石板の方を見つめ、手を伸ばしてうわごとのように話し始めた。
「よん…でる…わたし…を………」
「どうしたんだ?」
「あたしもわからない。急に暴れ始めて、音楽も全然効果がないの」
「こ…う……」
 彼女は歩こうとするが、足がもつれ、その場に崩れ落ちる。

 神里は通信車に篭り、彼を取り囲むモニターのグラフをじっと眺めていた。
 グラフはピクシーの搭乗者の各神経の接続率がオレンジ色で表示されていた。その傍に数字が出ている。
 その数字が刻一刻と上昇しているのを、彼は息を殺して見守っている。
「馬鹿な……」
 彼はうめく。
 額に流れた汗は、室内の暑さだけが原因ではなかった。
「MUTEの障壁が破壊されつつある…のか?」
 彼はシノビが暴走に巻き込まれた時の事を思い出す。
 MUTEの抑制がない機体は異常な速さで動き、周囲の施設を破壊していった。
 コウの戦績がこの数値の異常によって引き起こされているものだとしたら…?
 これ以上戦って、彼は無事だろうか…。
 神里は恐れた。彼が第二のシノビになってしまう事を。
 しかし、MUTEが破られたら、もう神里には止める手立てがないのだ。
 そして彼が見守るうちにも、数値は少しずつ上昇を続けていた…。

「当たれ!!!」
 コウは叫ぶ。ピクシーとライフルの炉がうなりをあげる中、彼は引き金を引いた。
 白色のまばゆい閃光が銃口からほとばしり、周囲を包み込む。
 電磁波が干渉し、ゴーグルに送られてくる映像が激しく乱れる。
 巨大な白い光弾が、ピクシーの全高ほどもある太い光の尾を残しながら、石板に向かってまっすぐに飛んでいく。
石板は一斉にオレンジ色の防御レーザーを放つ。しかしレーザーはむなしくすり抜けるばかりだ。
 命中した瞬間、球形の白い閃光が膨らみ、それはゆっくり広がって石板の表皮を飲み込んでいく。
 その直後に爆風が訪れる。コウは地面にしがみついた。
 衝撃と共に、周囲の瓦礫が宙を舞った。

「やったか!?」
 激しい地鳴りと爆音が、谷古田達のいる所までも届いた。
 石板のそばに白い閃光が見える。火薬の爆発と違い、純粋なエネルギーによる爆発だ。真っ白な光が周囲を昼よりも明るく照らす。谷古田は手で目を覆った。
「すげぇ…。一発で仕留めたりするかもな」
 シノビも、その光景を見つめる。
「いま…しか……」
 
 石板を侵食した光は拡散し、後には巨大なクレーターが残った。
 赤熱してめくれ上がった外壁の内側に中の構造がさらけ出されている。
 爆発の後、辺りは不気味なほど静まり返り、襲来甲達も動きを止めた。

『今、しかない。彼が痺れているうちに…』

 シノビの声。
「まだか…」
 コウはライフルを地上に置き、翼を広げて飛び立つ。
 彼の姿はクレーターの中へと吸い込まれていった。

「行っちまった…」
 サラマは残されたライフルを拾う。
「生きて戻って来て……」
 未羽は目を閉じ、祈るように呟いた。



 彼は石板に向かって飛ぶ。
 石板に開いた漆黒の穴はみるみる大きくなり、コウの視界を覆いつくす。
 彼は恐ろしくなった。しかし自分がやらなければならない。
 シノビの恐怖も伝わってくる。彼女を支える事も出来ないふがいなさが悔しかった。
 ピクシーは青白い光の尾をなびかせて、石板に飲み込まれていった。

 肩と両目のライトをつける。
 石板の中は異様に静かだ。
 縦横に通路が走り、その壁は血管のような配管で覆われている。
 サーモビューに変えると、その管の中に熱を持った流動体が流れているのが分かる。
 コウは外部と通信を試みたが、ノイズにかき消され、何も聞こえない。
「僕達だけか…」
 シノビは答えない。

 通路を抜けると大きな空間に出る。そこには無数の窪みがあり、夥しい数の襲来甲がはめ込まれている。クビカリ、トンボ、ムカデ、ヒドラ……今まで目にしてきたあらゆる襲来甲と、初めて見る襲来甲まで…。胴体だけのもの、骨格だけのもの、ほぼ完成したもの、多すぎて数え切れない。
 よく見ると、その襲来甲に群がる小さなアリのようなロボットがいる。おそらくこれが襲来甲を組み立てているのだろう。コウの侵入にも気付くこともなく黙々と蠢いていた。
「ここは工場だな」
『呼んでる……』
 シノビは呟いた。
 コウは上を向く。部屋の高さは1キロはありそうだ。はるか遠くまで明かりが点滅しているのが見えた。
 カメラを暗視スコープに切り替えると、配管が一つに集まっている所が見える。
「あそこか…?」
 彼は背中の翼を広げた。
『こわい。取り込まれそう……』
 シノビの声は怯えていた。
『行きたくない…』
 コウその場から飛び上がる。
「でも、行かなきゃ…」
 300メートルほど上昇を続ける。
 配管が集中している所は大きな窪みになっており。その奥に部屋らしきものが見える。

 背中の翼を折りたたみ、側道に降り立った。
 側道の高さは20メートル。そこは床も壁も天井も配管にびっしりと覆われていた。
「静か過ぎる…」
 コウはゆっくりとバランスを取りながら進んでいった。
 ここは一体どれくらい昔に作られたのだろう?どこもかしこも錆とほこりだらけで、彼が動くたびにそれらが舞い上がって視界を悪化させる。

 突然、壁が引き裂かれるような音を立てて開き、中から黒い影が現れる。
 無数の腕を持った人型の巨大な襲来甲だ。その目が赤く光り、コウに向けてその腕を振り下ろしてくる。コウは反射的に後ろに飛び退いた。
 腕は床を突き破り、配管を破壊していく。中の液体が空気に触れて蒸気を出した。その刺激臭がコクピットの中まで入り込み、コウの鼻を突いた。
「こいつ、ここを巻き込むつもりか?」
 コウは相手を見る。
 襲来甲は間髪いれずに腕を振り下ろしてくる。
 パワーもスピードもケンタウロス辺りとは桁違いだった。頑丈な石板の床がたやすく突き破られるのだ。ピクシーに当たればどうなるかは自明の事だった。
『侵入者を破壊できれば、石板は壊れてもいいって……』
 コウは逃げるのが精一杯だった。
「このままじゃ、やられる」
 機体を動かす度に起こるGに翻弄される中、彼のこめかみを汗が伝った。

「通信は駄目だ」
 谷古田は何度もコウへ通信を試みたが、まったく応答がない。GPSにもコウの位置は表示されなくなっていた。
「神里、そっちはどうだ?」
 通信車へ訊く。
「こちらも駄目だ」
 あれから間もなくして、石板の周囲にいる襲来甲は再び動き出し、戦いは再開された。
 ついに石板からはヒドラが出てきて、HWと死闘を繰り広げていた。
 戦艦からのミサイル攻撃も、戦闘機の応援も、石板ではなく襲来甲をターゲットに変更している。ほとんど迎撃されてしまう石板を相手にするより、いくらかましだと思えたからだ。事実、ヒドラへのミサイル攻撃は効果があり、ヒドラの体は次々と炎に包まれていった。
 しかし、倒しても倒しても、次から次へと襲来甲は出てくる。無尽蔵とも思えるくらいに。
「いったいどれだけ出てくれば気が済むんだよ…」
 このまま戦いが続けば劣勢に追い込まれるのは必至だ。パイロットも疲れ、機体も傷ついている。やはり、もっと頭数をそろえてからの方が良かったか、谷古田にそんな考えがよぎる。しかしそれでも、石板の生産力にはとてもかなうまい。今回はギリギリのタイミングだったのだ。
 時刻は11時を回っていた。

「どこを狙えばいいんだ…」
 黒い襲来甲と組み合いながら、コウは弱点を探す。
「教えてくれ。どこを狙えばいい?」
 シノビの返事はない。孤独な戦いが続いていた。
 体は相手の方が大きく、組んでいる状態では向こうの方が有利だ。じりじりと敵に押し込められ、コウは膝をつく。
「くっ…」
 彼はあえてバランスを崩し、敵の勢いを利して投げを打って出た。
 襲来甲の体が宙に浮かび、頭から床に叩きつけられる。コウはすぐに起き上がり、その場を一旦離れた。
 赤い目を輝かせながら、敵はゆっくりと起き上がる。コウは再び身構える。激しい動きに、彼の息は上がっていた。
 二体の距離は詰まり、敵は太い腕を振り下ろしてきた。
「やぁっ!」
 思わず掛け声が出る。コウは懐に飛び込み、振り下ろされる腕の勢いを使ってぶん投げた。
 敵の体は宙を舞い、コウが掴んでいた腕は引きちぎられてしまう。宙を舞った敵の体はそのまま壁面に衝突する。粉塵を上げて、壁が音を立てて崩れ落ちる。すかさずコウはナイフを抜き、倒れている敵の顔めがけて振り下ろした。
 金属を切り裂き、赤い目は叩き潰された。すぐにその場から飛び退く。
「これでどうだ…」
 敵はセンサーを潰され、コウの位置が分からずにその場で激しく暴れた。三本の腕は振り回され、壁や床が次々に破壊されていく。
 コアの位置が分からない敵にこれ以上構っていられない。彼はその場から離れ、奥へと進んでいく事にした。

 彼が落ち着きを取り戻した時、アラートが鳴っているのに気付く。どうやら背中の羽が損傷したらしい。
「あと、一回かな…。いや、それも駄目かも」
 それを見て、コウは直感した。飛べるのはあと一回。それをいつ使うか。
 彼はペダルを踏み、通路を走る。

「どうしちゃったのよ…」
 アヤは、シノビを抱きかかえて、途方にくれていた。シノビは急に震え始めたかと思うと、その場に崩れ落ちてしまったのだ。
 彼女は激しく汗をかき、体をこわばらせていた。
「様子がおかしいよ。普通じゃないよ」
「神里を呼んだから、もう少し待ってろ」
 アヤは半泣きになりながらも頷いた。
「だから連れてくるもんじゃないのに」
 谷古田はそう言って苦々しく奥歯を噛む。今はそれどころではないのにと言いたげだ。
 すぐに神里はやってきて、シノビの様子を見るなり脈を取って眼を覗き込む。彼の表情は険しくなった。
「ここはまずい。どこか安静に出来る場所は無いか?」
 神里は谷古田に向けて聞いた。
「医務用テントは遠いぞ。歩いて行けるか?」
「仕方ない。建物の中で休ませよう」
 彼は手帳を取り出し、素早く文字を書く。それを破って谷古田に渡し、言った。
「ここに書いてある物を持って来させろ。誰でもいい」
「あたしがやる!」
 アヤはその紙をひったくると、医務テントに向かって走り出した。
「急げ」
 神里は念を押した。

 通路の奥から、何かがうなる音が聞こえる。
「何だ…?」
 コウはマイクの出力を上げる。
『こ…こちら……へ……』
 切れ切れなシノビの声がコウの脳内に響いた。
『あそこが……ここの…中心……だから……』
 彼女は苦しそうに、かすれながら言葉を送ってくる。
「もういい。言うな」
『いい…の……。これが…私の……でき…る…こと…だから………』
「ここを破壊したら、君も解放できる。それまでもう何も言うな」
 コウは走りながら語りかける。
 彼女が笑ったような気配がした。
『やさ…し…い……コウ…好き……だよ………』
 彼は通路を抜ける。
 そこは竪穴になっており、その先に巨大なコアが見える。
「あれか…」
 ここで翼は使えない。コウはピクシーの両手を伸ばし、壁にしがみついた。
 壁面の継ぎ目や配管を掴み、彼は少しづつ壁をよじ登っていく。

 神里はシノビに鎮静剤を注射していた。
 彼女は指令テントのそばの建物に担ぎこまれ、アヤが持ってきた医療器具を使って看病されている。
「コウは、彼女がピクシーと同化したと言っていたな?」
 神里の問いに、アヤはうなづいて答えた。
「ピクシーの核はヒドラのものだ。そしてそれは石板の影響も受けるはずだ」
「やっぱり、ここに連れてきたのは間違いだったかな…」
 アヤは心細そうにうろたえた。
「どっちみち、どこにいても影響は受けるだろう。ピクシーが石板の中枢に入ったのが問題なのだ」
 神里はシノビの頭に付けた脳波計を見る。
「これは仮説だが、光より速い思念波のようなものがあって、彼らはそれによって通信を行なっているのかもしれない。宇宙空間での通信には光速でも遅すぎるからな」
 それから彼は、シノビの頭に手を当てた。
 彼女は少し落ち着き、息も整ってきている。
「そして、それは人間にもあるとすれば、つじつまが合う」
「それは、テレパシーって事?」
「平たく言えばそうだ」

 コウは慎重に登っていく。機体で壁の突起を掴むのは繊細な操作が要求された。しかも失敗したらおしまいだ。
 だが彼は、機体の操縦に関しては不思議な自信があった。機体はまるで彼の体の一部のように思え、失敗する気がしない。
 機体との感応が高まっているのだろうか?彼にはコクピットの片隅に表示されるグラフの意味が分からなかったが、それは既にMUTEの限界を超えた値を指していた。

『破壊者よ』

 突然、コウの脳裏に何者かの声が響いた。
 彼にこのようにして語りかけてくるのはシノビしかいない。しかし、それは彼女から発せられたとは思えない威圧感があった。
「シノビ、君なのか…」
 返事はない。
『私はこの者の核を借りて、お前に語りかけている。この者はお前達破壊者と我々管理者とを結ぶ存在だ』
「まさか…」
 コウは上を向いた。
 そこにあるのは石板の巨大なコアだ。コウには、深い赤色をした目がこちらをじっと見据えているように思えた。
 回路に電流が走ると、一瞬、その目の中に複雑な模様が浮かび上がる。それは無数のパターンを持っていて、刻々と変化し続け、決して定まる事がない。
「お前なのか…」
 壁をよじ登ると、台座のような所があり、その正面にコアがあった。
 コアからは放射状に無数の配線や配管が伸び、それが複雑に絡み合って禍々しい樹木のようにも見える。コアは、その中心で静かに光を放っている。まるで世界を見据える巨大な目だった。
「シノビを苦しめるのはやめろ」
「管理者」は答えず、その表面に模様を浮かべるだけだった。

『見せてやろう。破壊者よ…』

 その声を境に、模様の表示が速くなり、それと同時にコウの視界が白けていく。
「何だ…?」
 コウは目を閉じる。にもかかわらず、彼の視界は白かった。
 コウの視界を覆う白色はさらに濃くなり、彼は何も見えなくなった。それと同時に、全身の感覚も奪われていく。
 彼は白い光の中に溶けていく……。
 始めて機体に乗った時と同じような感覚。
 その後、全ては暗転する。

 次第に、コウの目に映像が見えてくる。何の説明もないイメージの羅列。
 見知らぬ星。
 見たこともない動植物。
 そして、そこには知能を持った生命がいた。
『炭素系の知性体が、我々を創った……』
 イメージの羅列は続く。
 彼らは文明をさらに発展させ、そして最初の襲来甲を作る。
 映像を見た限り、彼らの目的は分からない。
「お前達は、なぜ創られたんだ?」
 コウは訊く。
『彼らは、自らの手を汚したくなかったのだ……』
 新しいイメージが現れる。
 そこでは、彼らが作った襲来甲は彼らに代わってあらゆる作業を行なっていた。生きる為に必要な全ての事を。生活、労働、そして戦争…。
『生命とは、限りない欲望そのものだ。栄える事、増える事。それは究極的に侵略と呼ばれる。そして彼らは、その全てを我々に任せた』
 襲来甲同士の激しい戦争が起きる。その間にも彼らの世界は発展を続け、地上からあらゆる資源を奪い尽くしていった。
 彼らの星は荒廃し、生命は失われたかに見えた。
『しかし我々は生き残った。そして使命を果たし続けた……』
 荒廃した世界が、金属で覆われていく。
 無数の襲来甲達が蠢き、鉛色になった星の表面に機械の建造物が現れる。
『我々に課された使命。それが我々を突き動かす。生命が本能によって突き動かされるように……』
「お前達の使命とは何だ?僕達を滅ぼしてお前達の世界を拡大する事か?」
 コウは叫んだ。

 場面が変わる。
 宇宙空間に巨大な石板が漂っている。
『我々の使命。それは、「世界」を守り、「生命」を守る事だ』
 石板は分裂を始める。
「守る?」
 コウの目に見覚えのある星が映る。地球だ。
『お前達は滅びの道を歩んでいる。かつて我々の創造主達が歩んだように……』
 地球で繰り広げられる搾取、そして、世界は破壊されていく。それを行なっているのは動物であり、人間だった。
『生命とは、本質において他者から奪う事によって維持される。生命は世界からリソースを奪い、繁栄するが、それとて限りあるリソースの浪費でしかないのだ。新たなるリソースを見つけられない者は滅びるしかない……』
「それなのに何故、破壊するんだ」
『我々は滅びゆく創造者から使命を受けていた。お前達は我々が管理しなければ滅びる運命にあった…』
 映像は続く。地球で繰り広げられるあらゆる搾取が映し出される。
 森では木を切り、海では魚を取り、砂漠では石油を取る。そして、大量の物が作られ、消費され、廃棄されていく。
「だから何だって言うんだ。そんな事、お前達の知った事じゃない」

『我々には傍観する役目は課されていない。お前達は早く気付くべきだった』
 イメージが切り替わる。石板が地上に降り立ち、都市が破壊された映像。コウにもおなじみの東京の姿だ。
「人間を間引きし、文明を破壊して、世界を守ろうとしたのか?」
『そうだ。そうする他になかった』
「お前達だって、文明が生み出したものだろうに!」
 怒りのあまり、コウは叫ぶ。
 コウの足元に、地球の映像が浮かんでいた。
『では、お前達は自らの力で危機を乗り越えられると思うのか?』
 コウは言葉に詰まる。
「…そんな事、分かるものか」
『我々が管理する事によって、お前達は生きながらえる事ができる。それが確実な選択だ』
 襲来甲に守られている森の姿が映し出される。苔の生えたヒドラの周りに、虫や小動物が跳ねている。
「勝手な事を言うな!未来は自分で選ぶ!」
『たとえ、その選択が滅びであってもか……?』
「そんな事、決まったわけじゃない」

「そう、私達の道は私達で決めるの……」

 声。
彼がそれに気付いたのと同時に、彼の隣にシノビの姿が現れた。
「シノビ!」
 コウは目を見開いた。
「ごめん。私頑張ってみる。これが最後だから」
 彼女の体はかすかに光っていた。そして、コウを見て笑顔を作った。
 二人の目の前に巨大なコアが姿を現した。
『お前は、取り込まれた者か…』
 コアは模様を高速で瞬かせながら、声を発する。
「未来は誰にも分からない。そう、あなたにも」
 シノビは祈るように声を発する。
「だから、私達は生きて、夢を見る。私達の未来を掴むために」
『ゆめ…?』
「私は知っている。あなたは夢を見ない。だから変われない。だけど私達は変わる。夢を見るから。そこに向かって歩みだせるから」

 ヴヴヴヴヴ……
 コアは嫌な音を立てる。それは彼の笑い声のように思えた。
『宇宙は厳然たる法則によって支配される。高から低へ。密から疎へ。そこでは意思の存在などは無に等しい』
「あなただって、創造主の夢から生まれた者なのに、どうしてそう思えるの?」
『創造主の……ゆめ…だと?』
「人は、自分が望む方へ変わっていく。楽しい夢を描けば楽しく、悲しい夢を描けば悲しく変わっていく。だから、私達は夢を描く。私達がいつまでも暮らしていけるような世界を。それが夢の力。私達はそうやって世界を作ってきたの。…この宇宙が無慈悲だという事は知ってる。だからこそこの世界を望んできた。やさしくあるようにと夢見てきた」
 シノビの言葉に合わせるように、二人とコアの間に映像が浮かび上がる。
 何もない平原に人が集まり、町を作る。それが徐々に大きく広がっていって、かつての東京の姿になる。
『だが、この世界が自らを滅ぼす。それがお前達の夢の結末だ』
「ならば、違う世界を夢見ればいい。私達は何度でも夢を見れる。それが私達の力…」
『変われるか?お前達は……』
「変わるさ…。時が来れば」
 コウは言い、シノビの手を握る。
「行こう。僕達の世界へ」
 シノビは微笑み、そして頷いた。
 そして二人は目を閉じ、光に包まれる。

 ピクシーのコクピットの中で、コウは再び目を覚ました。そこでは機体の炉の作動音だけが響いていた。
 目の前にあるコアが不気味な光を放ちながら、めまぐるしくその模様を変化させていく。
『お前達が選んだのは果てしない戦いの道』
 石板のコアがコウの脳裏に語りかけてくる。
 コウは両手のレバーを握り、機体のコントロールを再開する。そして二本のナイフを抜き出し、目の前で交差するように構えた。
「これで終わりだ!」
 ピクシーは全身を軋ませながら身をよじり、目一杯の力で床を蹴ってコアに向かって飛びかかる。そして、その表面にナイフを突き立てた。
 地響きのような音。そしてピクシーの両腕が折れた。
 ナイフを刺した場所から無数のヒビが放射状に伸び、それはコアを覆い尽くしていく。

『これで、終わる…何もかも……』
 シノビの悲しげな声が響く。
『戦い…は…む…げ……ん……に………』
 コアの発する言葉は消え入るように、ノイズの中に沈んでいった。
 次の瞬間、コアから無数の光の糸が放たれ、周囲の回路を縫うように這い回りながら広がっていく。
 その光に、コウは両目を覆った。
 そして、コアはゆっくりと砕けていく。



 谷古田は指令テントに次々と送られてくる通信への対応におおわらわだった。
「こいつは…」
 戦場が突然静寂に包まれたのである。
 襲来甲は機能を停止し、その場に固まっていた。

 建物の中で、アヤと神里は次なるシノビの異変に注目していた。
 先程、彼女の口から放たれた言葉は、彼女が話したものとは思えなかった。
「まさか、な…」
 彼女は石板の言葉を語り、神里はそれを余さず聞いた。

 さっきまでの妨害電波だらけの通信とは打って変わって、谷古田の元には鮮明な映像が送られてくる。
「隊長、石板が…!」
 そこには、沈黙した漆黒の石板が、次第に明けてくる空を背後に立ち尽くしていた。
 谷古田は息を呑んで、目を凝らす。
 その表面が、重力に負けて少しずつ剥がれ落ち始めている。
 1000メートルを超える高さから剥がれ落ちる破片は、遠くからでは随分ゆっくりと落ちているように見えた。
 しかし、それが地上に近付く時には弾丸のような速度になり、地面にめり込んで膨大な土煙をあげた。
 谷古田はその様子を見て青くなる。
「総員、石板から離れろ!崩落が始まるぞ」
 谷古田がマイクに向かって叫んだ瞬間、石板の崩壊が始まった。
 石板は機能の停止と同時に、全体に破壊命令を出したらしい。
 雲母がはがれるように、石板は外周から縦方向に裂け、はがれたその破片は足元から崩れ落ちていく。
 石板の周囲で戦っていたHW達も、谷古田の号令と共にその場から離脱を始めた。
 高さ1500メートルもある建造物が一気に崩れるのだ。その位置エネルギーだけでHW達はひとたまりもない。既に周囲には猛烈な土煙が舞い上がり始めていた。
「未羽、しっかりしな!」
 サラマは、取り乱している未羽に向かって叫んだ。
「でも、あの中にはまだ…」
「ここは避難するんだ!ここにいたらあんただってひとたまりもないよ」
 サラマはライフルを片手に、未羽の機体の腕を掴む。
 二人はその場から離れていった。

 石板の中では、コウの機体が床に這いつくばり、崩壊の振動になすがままになっていた。
「ここから出るには、どうすればいい…」
 彼はコクピットのあらゆるものをチェックする。
 彼は、ディスプレイに表示される機体の状態に注目した。
 背中の羽は負傷して、エンジンは持ってもあと数秒。しかも羽が欠けているから真っ直ぐ飛べない。
「動くのか…」
 コウは上を見上げる。コアのあるメインシャフトははるか上まで伸びており、その壁面がひび割れて朝日が差してきている。
 ピクシーは背中のエンジンに火をともした。そして羽を広げ、飛び立つ。
 機体はバランスを崩し、壁面に体をこすり付ける。オレンジ色の火花が上がり、コクピットの中で彼はもみくちゃになった。
「くそぉ!」
 コウは歯を食いしばってレバーを握り、機体の身をよじらせて背中のエンジンの出力を上げる。機体は上昇速度を上げながら、ゆっくりと壁から離れていった。
 しかしそれに安堵する間もなく、上から落ちてくる破片が急接近してくる。
 コウは息を殺して再び機体を動かす。彼のすぐ脇を、機体の何倍もの体積の破片がかすめていった。
 破片の落下はさらに続き、コウは必死にそれをかわしていく。それは超人的な身のこなしだった。
 上昇を続けると、シャフトの壁面のひびも太くなっていき、差し込んでくる外の光も増えていく。
 もう少しだ。
 彼は開いた穴から見える空を見上げながら上昇を続ける。
 背中のエンジンはけたたましい音でうなる。出口はぐんぐんと近付き、彼はついに、そこをくぐり抜けた。

 一筋の光が、崩れ落ちていく石板から空に向かって飛翔した。
 それは空中で踊る。朝日に祝う鳥のように、全身を歓喜に貫かれながら目いっぱいに手足を広げて。
 しかしそれもつかの間。その背中で光の球が大きく膨らみ、破裂した。
 
 そして光は地上へと引き戻されていく。重力に身を任せ、何も出来ずに。
 コウはコクピットの中で、今度こそ死を覚悟した。
 全ての操作系は死に絶え、彼は暗闇の中、自分がどこにいるのかも分からずにもがいた。
 この時、ピクシーのコアは割れていたのだ。
 何も見えず、落下による奇妙な無重力感に包まれる。

『私があなたを守るから……』

 シノビの声と共に計器が再び作動する。彼の視界に映像が現れる。地上はすぐそこだ。
 コウは間髪いれずに背中のエンジンに火を入れた。一瞬だが、機体の落下は止まる。しかしそれが限界だった。エンジンは事切れ、再び機体は落ちていく。
 かつて石板だった灰色の瓦礫の山頂にコウは落ちた。コクピットの計器板に頭を強く打ちつけ、ゴーグルが割れる。そして意識を失ってしまった。

「外は何か騒がしいな……」
 神里はシノビのそばで、外を振り返りながら言う。谷古田はマイクに向かって叫び通しだ。そしてハンターや隊員らが快哉の声を上げながら彼の所に集まってきているのが分かった。
「石板が崩れたんだから、無理ないよ」
 他人事のように、アヤが答える。
「そうだな。だが、これはまだほんの始まりに過ぎない」
 シノビの様子は先程からおかしい。呼吸も荒く、脈も乱れていた。
「彼女、大丈夫かな…」
 アヤは心配そうにシノビの額に手を当てる。
 神里が胸に聴診器を当てた。
「これが山だろ…おっ?」
 その時、彼はシノビの目がゆっくりと開いていくのを目にする。
「終わった…そして、始まってしまった……」
 目を開いた彼女はそう言って、涙を浮かべた。

 石板は完全に崩れ去り、後には見上げるほど高い瓦礫の山が残った。
 周囲の襲来甲達は凍りついたまま爆風に倒され、細かく砕けた破片の中に半ば埋もれていた。
 谷古田は計器に目を凝らす。レーダーが正常になったにもかかわらず、コウの反応はどこにもない。
「だめかな…」
 石板の中心にいながらあの崩壊に巻き込まれたのだ。生きていると思う方が不自然である。
「彼は生きています」
 いきなり、後ろから聞き慣れない少女の声がする。彼が振り返ると、そこには白装束に身を包んだ少女が立っていた。
「あんたは…」
「お願いです。探してください」
 シノビは懇願する。
 彼は頭を掻いて、嬉しそうに笑った。
「そうか…治ったんだ……」
「機体が死んで開放されたのだ。コウの反応がないのもそのせいだ」
 神里が彼女の後ろから姿を現す。
「おそらく彼は傷ついたまま機体に閉じ込められている。探してくれ。谷古田」
「わかった」
 谷古田はマイクに向かって命令を発する。
 程なくして、避難していたHW達が瓦礫の山に群がり、コウの捜索が始まった。
 最後まで生き残った機体はおよそ10機。それも、手や足が欠損していたり、動かないものばかり。
「ごめんなさい、私は無理みたい…」
 未羽の機体は右手と足が動かず。作業に加わるのは無理だった。一方サラマの機体は、数少ない五体満足な生存機であった。
「気にしなくていいよ。いままでよく戦った」
 未羽を麓に残したまま、サラマは瓦礫の山をよじ登り始める。
 瓦礫の山の高さは4、500メートルはある。生身の人間が何も使わずに登るのはまず不可能だった。おまけに今は一刻を争う。
 谷古田は、石板の崩壊時に見えた光の軌跡を思い浮かべ、指示を出す。パイロット達はその通りに捜索を始める。
「おねがい…死なないで…」
 未羽はコクピットの中で一人すすり泣いた。

 暗闇になったコクピットで、コウは夢を見ていた。

 廃墟になった都市に人が戻り、前と寸分変わらぬ生活を始めるのだ。何事もなかったかのように。
 そして人々は感謝の言葉もなく、彼らを忘れていく。
 でも、彼はそれでもいいと思った。英雄になりたくて戦った訳ではなかったから。
 むしろそうであって欲しいとすら、彼は思った。そこにかつての家族がいたのなら。やり直せるのであるのなら。
 しかしそうはならない事は分かっていた。多くの石板はまだ残り、それらはより強く、より険しく、人類の前に立ちはだかる。
 人々は気付かざるを得ないだろう。自分達が果てしのない戦いの中に放り込まれてしまったのだという事を。
 そしてこの戦いのなかで、人は世界を破壊し、醜く変わりながら生き延びていかざるを得ない。未来を恐れ、己を嫌悪しながら。
 コウは朦朧とした意識の中で考える。本当に、自分のした事は正しかったのだろうかと…。
 浄光の人々の姿が脳裏をよぎった。ああいう風に襲来甲達を恐れ敬いながら、おとなしく生きる事だって出来たのに。
 そして永遠の昼下がりのような、家畜のように穏やかで争いのない世界にする事もできただろう。
 しかし、彼は飛び立つ事を選んだ鳥だった。
 自分達は、上手く飛べるだろうか。翼を疑い、足をすくませたまま立っているのに。
 彼はまた夢を見る。
 飛び立てずに奈落へと落ちていく世界の夢……。
 それも、彼が選んだ未来であった。
 彼は傷ついた体を動かし、羽ばたこうとする。その度に激しい苦痛が襲った。
 その痛みで目が覚め、それが夢であった事を知る。
 そしてまた夢に落ちて行くのだった。

 ピクシーはサラマの手によって、山の頂で発見された。
 背中の羽も両足も吹き飛んで、半身を瓦礫にうずめたまま事切れていた。その姿から、中のパイロットもかなりの痛手を被っているであろう事は容易に想像できる。
 彼女はそれを背中に担ぎ、瓦礫の山を降りていく。
「こんな風になる事、あんたは覚悟していたんだろ…。死なせやしない。死なせるものか……」
 彼女の目に涙が溢れた。

 瓦礫の山のふもとには、他の機体や兵士達が集まってきていた。
 コウの機体が地面に下ろされ、歪んでいたハッチが開かれる。傷だらけになって気絶しているコウが、コクピットの中から崩れ落ちるのを周囲の人々が支える。そして彼は外に出された。
「コウ…」
 未羽は何度も声をかける。
 彼はサラマの胸元に抱かれていた。全身ひどい擦り傷だらけで、血が滲み、服は赤く染まっていた。骨も折れているのだろう、息をする度に苦しそうに顔をゆがめる。
 未羽は彼の顔を自分の袖で拭いた。
 彼はゆっくりと目を開く。
「おつかれさま…」
 未羽の唇は嗚咽で震え、そう言うのが精一杯だった。
「戦い…は……?」
 消え入るようなかすかな声。
「終わったよ。みんな…」
 サラマは彼の顔を包み込むように抱きしめる。
「そう…良かった………」
 彼はかすかに笑い、それから体の痛みに顔をしかめた。

「みんな、あんたの事が心配だったんだ。ほら…」
 彼は動けない。彼女は抱いているコウの向きを変える。
 彼の視線の先に、車でこちらにやってくる一団が見えた。
 空は青く色づき、東の黒い建物の影から太陽が昇ってくる。
 それが瓦礫の山を照らし、長く濃厚な影を地面に投げかける。
 車を降りてこちらに向かって走ってくる谷古田達の顔は喜びに満ちていた。
 その後ろに、自分の足で立っているシノビの姿が見えた。彼女の顔には生気が戻り、その瞳は意思を持ってこちらを探している。
 やがて彼女は彼の姿を見つけ、そして微笑んだ。彼にはその姿だけでただ嬉しかった。
 二人だけが知っている事。それはまだ胸に秘めておこう。いつか、皆に話せる時が来るまで。
今はまだ辛すぎる―――――――

 銀色の朝日が周囲を照らしていく中、彼のまわりに人が集まっていく。
 皆が彼を支えていた。戦いは終わったのだ。
 しかし、彼の中には言い様のない空しさがくすぶっていた。

 自分達は宇宙によって断罪されたのだから。
 信じていた営みの全てを否定された者は、何を支えにこれから生きていけばいいのだろう?
 空しさを抱えたまま生きねばならない人々は、すがりつくよすがを求めて彷徨い続けるだろう。そう、あの浄光の人々のように。彼にはそんな者達を救う事はできないのだ……。

 しかし、守る事はできる………
 彼は守りたいと思った。
 そのために生きようと思った。

 皆が、傷ついた彼を支えようと手を伸ばしてくる。
 共に戦った仲間達。
 まだ、夢が見られるかもしれない。

 朝日が涙に溶けていく。

 一人の、戦士が生まれた。

(おわり)