アフリカの悲劇〜綾子編〜



越野綾子はアフリカの生態系を調べるためにとあるアフリカの国へとやってきた。
空港に着いた綾子は助手の雨宮正明と一緒に現地のガイドに連れられて車に乗った。
それから数日間、色々な町を経由していよいよ目的のアフリカの奥地に車は進んでいった。

さすがにここまで開発は進んではいないらしく、道路は全く舗装されていなかったので車は不規則な振動を繰り返した。朝から運転しているが景色は全くと言っていいほど変わることはなかった。
「あ〜あ、なんかもうこの景色見飽きたな。」頬杖をしながら窓の外の景色に目をやっている正明がぼんやりと言った。
「う〜ん、なかなか動物が見当たらないわね。個体数が減ったのかしら・・・?」
「もう暗いんでここら辺で野宿しましょう。」ガイドが車を運転しながら言った。
「もう暗いから今日はここで野宿みたいです。」正明がガイドのいったことを繰り返した。
「言われなくてもわかってるわよ。」綾子は鋭く正明に突っ込んだ。
メンバーたちは車のなかであらかじめ持ってきた食料を食べ、すぐに就寝の準備をした。
「くそっ、こんなところで野宿だなんて。ライオンやハイエナが襲ってきたらどうするんだ。」正明がブツブツ独り言を言っていた。
「うるさいわね、文句言わないの。ガイドさんが安全だって分かってるからここに停めたのよ。さっさと寝なさいよ、明日の朝は早いわよ。」そういうと綾子は毛布を深くかぶるようにして掛けた。

「さて、今日から本格的な調査に入るわ。気合い入れてね。」
「はいはい、わかってますよ。」あくびをしながら正明はいい加減に答えた。綾子に叩き起こされたので少し不機嫌気味だった。
まだ空がうっすらとしている中、ガイドがしばらく車を走らせていあると綾子は停めるように指示した。
「あっ、シマウマがいるわ。何頭かいるみたいね。」そういうといきなり車を降りた。
「綾子さん、一人で大丈夫なんですか?ガイドの人もライオンやハイエナが出るから危ないって言ってますよ。」
「大丈夫よ。わたしはもう大人よ。一人でも平気。もっと近くで観察したいの。」自信満々に正明に言うと小走りで向こうに消えていった。
「おっ、親子だわ。まだ早朝だから安心してエサを食べてるわ。」綾子は親子が戯れている姿にほっとため息をついた。
「あっ、あそこにもシマウマがいるわ。」綾子は調査に没頭していた。そのうちどんどん勝手に歩きはじめた。
しかし、調査に夢中になっているうちに綾子はこの広大なサバンナで迷ってしまったのだ。数時間正明の乗っている車を捜し求め彷徨っていた。しかし、一向に見つからず綾子は途方にくれていた。
さらに追い討ちをかけるように大自然は容赦はしなかった。アフリカの日差しと熱が綾子の体力をどんどん奪っていった。綾子はもはや倒れる一歩手前の状態だった。
するとある綾子はある集落を目にした。“ここなら水を飲ませてくれるかも・・・。”
希望が見えたことを確信した綾子は最後の力を振り絞って集落へと歩いていった。
「す、すみません・・・。」
「む?何の用だ・・・?」
「み、水を・・・くだ・・さ・・い・・。」
「おーい!誰か水を持ってきてくれ!死にそうな女がいる!」集落の若い男が他の人に叫んでいるのを聞きながら綾子はその場に倒れ込んだ。

綾子が気がついたのは枯れ草を屋根にした粗末な建物の中だった。
「気がついたか・・・?」綾子を大きな目でジロジロのぞきながら怪しい年老いた男が不安そうに言った。周りには何人か若い男が綾子を囲んでじっと見ていた。どうやら年老いた男はこの集落の長老らしい。
「う・・ん・・・?」まだ頭が少し痛かったが、体はさっきより軽くなった感じがした。
「おお、大丈夫じゃったか。よかったよかった。」綾子が体を起こすと長老はほっとした表情をした。
「本当にありがとうございます。何とお礼をしたらよいか。」
「いいんじゃよ。もう君はわしらに尽くしてくれたから。」綾子は理解できなかったが、長老は話を続けた。
「最近な、ここいらで乱獲をしている輩がいるんじゃよ。年々動物の数が減ってきていてのぉ。わしらは困っているんじゃよ。」
「へぇ〜、そうなんですか。」“これはとっても重要な情報ね。レポートには必ず書かなきゃ。”
「あんたは動物を獲るために来てるんじゃないだろうな・・・?」
「もちろん違います。動物の生態系を調査するためにここに来ました。実は他のメンバーとはぐれてしまったんですよ。メンバーを探して彷徨っていたらここにたどり着いたって訳です。」
「おぉ、そうかそうか。ではここでしばらく待っていてはどうですか。」
「えぇ、とてもうれしいのですが、残念ながら私は時間が限られていましてここに留まっている時間は残されていないんです。一刻も早くメンバーを見つけないと。」そう言うと綾子はすっと立ち上がった。もともと活発な綾子は待つとか留まるという言葉は性に合わなかった。
「あぁ、待ってくだされ。何も持たずにこの広大なサバンナを生き抜くことはできませぬ。これを持っていってくだされ。」長老がそう言うと食料と水の他にツルツルした綺麗な小石を綾子に手渡した。
「これは猛獣を避けるためにわしらがつけているお守りじゃ。若い者が狩りに出るときには常にこれを身に付けておる。狩りの成功と安全の石じゃ。」
「ありがとうございます。」
「それでは、お気をつけて。」綾子は長老をはじめ集落の人々に手をふり別れた。
「長老、いいんですか、あんなことをして。」
「いいんじゃ、わしらは乱獲や不幸な出来事で命を失った動物たちを補う“神から選ばれた者たち”なのだから。」
綾子に渡された小石が妖しげに光った。

「ラッキーだったわ。あの村を見つけたのは。それより早く正明たちを探さないと。」
独り言をいいながら広大なサバンナを未だに彷徨っていた。
“何か体のあちこちがムズムズするわ・・・。”
そんなことを思いながら服の上からボリボリと体を掻いていた。
その痒みは最初は背中あたりだけだったのが、段々と全身に広がっていった。
「もしかして何かの虫に刺されたのかしら!?」
痒さに耐えきれなくなった綾子は着ている服のボタンを慌てて取り、自分の体がどうなっているかを見た。
「え!?・・・な、何なの、これは・・・!」自分の体を見て綾子は唖然とした。
なんと、上半身のほとんどが何かの獣の毛で覆われていたのだ。
腹部は白い毛で覆われ、脇腹には脇の下から足の付け根まで黒い毛が綺麗に伸び、それを境に背中は明るい褐色の毛で覆われていた。
「な、何でこんな・・・、ぐ、ぎ、がああぁぁぁ・・・!」綾子の体の変化はやがて全身へと広がっていった。
腕や脚も褐色の獣毛に覆われはじめ、手首や足首より先は白い獣毛が生えた。
指がまとまりだして爪は段々と黒くなり蹄になっていった。
尾てい骨あたりから毛がブワッと一気にのびたかと思うと、それがまとまりやがて尻尾になった。
骨格や筋肉もそれにふさわしい形へと移り変わっていった。
太股の筋肉が爆発的に増加し、脛が段々短くなるにつれて、足が徐々に長さを獲得していった。自分の履いていた靴やズボンが悲鳴をあげていた。
そして顔にも変化が現れてきた。顎と鼻が伸び始め鼻が黒く小さくまとまった。
顔が褐色の獣毛に覆われたかと思うと目元には白い毛が生え、さらに目から鼻先にかけて黒い獣毛がまっすぐに生えた。
さらに頭頂部からは一対の先にいくに従って細い独特な角が生えそろった。
「わ、私、もしかして、これって・・・。トムソンガゼル!?」変化が収まってきたころに、綾子は自分がどうなったかをようやく理解した。
「ど、どうすればいいの・・・?」
綾子が途方にくれているとき、その変化の一部始終を見ていたライオンがじっと綾子を見つめていた。綾子はようやくその鋭い視線を感じとった。
“逃げなきゃ!!”
綾子は本能的にそう判断し、背を向けて走り出した。
するとすぐにライオンも綾子の後を追って走り出した。
「たすけて〜!!」
綾子は助けを求めながら走った。しかし端からみればその光景は、ふざけてガゼルに扮した女性がライオンに追っかけられているとしか見えなかった。



“だめだわ!このままだとおいつかれる!!”
そう思ったその時、綾子は足下の小石に躓いてしまった。
“もうだめ・・・!”そう思い綾子はもうどうなっても良いとあきらめた。
しかしそのまま転ぶのかと思いきや、綾子はまだ走っていた。しかしさっきまでの感覚とは何かが違っていた。
“あ、あれ?私、まだ走ってる・・・。”
一種の安堵感を覚え、恐る恐る目を開けてみると、自分の前足で走っていた。4本足で走っていた。
綾子は勢いにのり、そのままライオンを振り切った。その時はゆうに時速60kmは越えていただろう。
“どうやらもう追ってこないようね・・・。相手がチーターじゃなくてよかったわ。”
綾子はようやく安心したが、それと同時に何か悲しいものが心のそこからこみ上げてきた。
“いつまで生きていられるかわからないわ。ここはサバンナなんですから。”
いま沈みゆこうとしている夕日を涙目に見ながらそう決心した。
綾子のたった独りの戦いは今始まったばかりだ。