東街のねずみたち
十四、地上
地上では、地面にめりこんだ黄色いトレーラーの回りに人だかりが出来ていた。運転手はエアバッグに助けられて無事で、事故の原因は、地盤沈下によって生まれた地下の空洞が崩れ落ちたためという事。
この事件は、その日の夕刊に載せられ、街の人みんなが知ることになり、そして、穴がふさがれる間もなく忘れ去られる事になる。
街の人々は誰一人として気付かなかったが、一匹のねずみが穴からはい出してきた。そのねずみはすぐさま路地裏に駆け込み、そこでもう一匹のねずみと出会った。
「長老!」
路地裏で待っていたねずみはそう叫んで、やって来たねずみに飛びついた。
「長老が無事だったなんて、まさに奇跡だ」
「生きのびたのではない。生かされたのだ。あのフィッグの手によってな・・・」
後になって分かった事だが、トラックが取り除かれた後の穴をルンサ達が調べた所、フィッグのものらしき血の跡は残ってはいたが、フィッグの死体はどこにもなかったという。
ひょっとしたら彼はまだ生きていて、どこかから再びねずみ達を狙っているのかもしれない・・・・。
とりあえずこの街のねずみ達は、地下のねぐらを失った代わりに、地上で暮らせるようになったということだ。
各々が新しい住みかを見つけ、新しい生活を始めた。そしてもう誰も、ランド=スタークの伝説について語る者はいなくなった。ハレキ長老一安心。
「伝説?そんな事、つまりはおいらたちが生きているって事さ」
とは、ノリスの言葉。
ノリスはあれ以来、自分の首に青い襟巻きを巻いている。
祭りの夜に見た、黄色い襟巻きを巻いた長老にあやかっての事だ。
ローニャおばさん一家は、パン屋の軒下に引っ越し、ノリスとチートはそこから五軒家をはさんだ所にあるアパートに、新しい自分達の部屋を見つけた。ゴミ捨て場から空き缶や台所用のスポンジを運び込んで、それをテーブルやベッドにした。
パイルは、古ぼけたパブのそばで、リオと一緒に暮らしはじめている。この二匹は時々喧嘩するが、うまくやっているようだ。
長老はねぐらの崩落以来、めっきり外へ出なくなり、東町の長の座を、薬局の下に住むオムトというねずみに譲っている。
ところでバゾクは、その仲間達十数匹と共に、とんと行方が知れない。港から出る貨物船に乗って、遠い海の向こうへ渡っていったというのが、もっぱらの噂だ。
バゾクと共にいったライバーは元気にしているだろうかと、ノリスやパイル達の間で話が持ち上がると、
「バゾクはああ見えても、仲間内にはけっこう気をかける奴だし、行き先を間違えてなければ、みんな元気にやっているさ」
と、ルンサが言う。
そして、ローニャおばさんはつけ加えた。
「この街が恋しくなった時、彼らがいつでも帰って来られるように、この街をもっともっと住みよい所にしなくちゃね」
フィッグがこの街からいなくなり、ねずみ達が地上へ戻ってからは、東町のねずみ達に大きな危機は訪れていない。もっとも、相変わらず猫達はたくさんいるし、それに鴉という新たなライバルの出現で、ちょっとした小競り合いくらいはしょっちゅう起きてはいるのだが、フィッグに比べれば物の数ではなく、パイルやノリスやチート達のいい喧嘩相手になっている。
十五、旅立ち
「もう行くの?」
夏もそろそろ終わろうとしていた頃、街外れの国道脇のバス停で、ノリスとルンサは話していた。
街の外から吹いてくる風は、すっかり涼しくなっていた。
「うん。また遠くへ行く事にした。この街もすっかり平和になったし、僕も安心して出ていくことが出来るようになったから」
「みんな、寂しがるね」
「春になったら帰って来るから。それまで辛抱してくれよ」
「でも、ルンサがいないと、もし何かあった時、おいら達だけじゃ・・・・」
「・・・・・・」
ルンサはしばらく黙った後、顔を上げてノリスをじっと見つめ、そして笑った。
「大丈夫さ」
そして、くるりと向きを変え、道の先を眺めて、
「大丈夫だよ・・・」
と、ゆっくり噛み締めるようにつぶやいた。
「ノリス達は、しなやかに生きていけるようになったんだもの。弱くたって逃げたり、目を閉じたりしないんだから。そんな勇気があれば、どんな事が起きたって大丈夫さ」
国道の、街の方から、一台のバスがやって来た。
そのバスは、バス停に近付くと、だんだんスピードを落としていく。
「僕は、行くよ」
ルンサは、バスの様子を眺めて、ノリスに告げた。
バスが止まると、ルンサはひょいと、後ろのバンパーに飛び乗る。前のドアからは、乗客が三人、降りてきた。
ドアが閉まり、エンジンの音が盛大に唸った。
そして、ゆっくりと進みはじめる。
「さようなら、ノリス!春になったら会おう」
ルンサが手を振ると、ノリスも同じ仕草で答えた。
「春になったら!」
バスはどんどんスピードを上げて、ルンサの姿はとうとう見えなくなった。
ノリスはしばらくの間、国道の先を眺めていた。ルンサがやって来て、そして去っていった道を。
「ルンサには、ルンサの生き方がある。おいらには、おいらの生き方があるんだ。出会うってのは最高だな。たとえいつか別れてしまうとしても・・・」
おおきく息を吸って、ノリスはそうつぶやいた。
そして、街の方へ、ゆっくりと引き返していった。
チートは、布団を誰かに剥ぎ取られて目を覚ました。
スポンジのマットレスの上で、目をこすりながら、彼はしばらく小さくなっていた。
「時間だぜ」
ノリスの声がする。
昨日の夜の雨で、道はまだ少し濡れていた。
仕事始めの車たちが転がる音も、大きく聞こえた。
「おはよ、ノリス。早いね・・・」
「お前が遅いだけだよ」
ノリスはすっかり身支度を終えて、チートの部屋までやってきていた。
「ミーサは?」
「九時にポストの所で待ち合わせだよ」
ようやくチートは起き上がり、大きく伸びをしてから、上着を羽織った。
そして、米粒を二つほどかじって喉に押し込む。
「八時の鐘は鳴ったかな?」
「鳴ったよ」
二匹は外へ飛び出した。
郵便局の前に、バスが止まった。
ドアが開き、人が流れ出した。
その足の柱をよけながら、二つのちいさな影が地上に降り立った。
それは歩道を横切り、生垣の中へと飛び込んだ。
生垣の中は薄暗く、落ち葉と黒いほこりだらけだ。
その中で、三つの影が、二つの影を待っていた。
「おまたせ!」
「よ、久し振り」
パイルが答えた。
「で、今日は何の用なの?あたい達を呼び出して」
「隣町まで行くんだろ?何しろここの連中は、ずっと隠れてたものだから、他の街の奴らと疎遠になってしまったからさ。俺たちは街の代表ってわけだ」
「そんなの、他の物好きに任せとけばいいのにね」
リオがぼやくと、
「そんな事言うなよ。他の街の連中も、この街で起きた事を知りたがっているし、それはおいらたちにしか話せない事なんだから」
と、ノリスがたしなめた。
「でも、サリィを連れて来なくてよかったのかな・・・。あの子、すごく行きたがっていたから」
「ここから南通りまでは遠いぜ。あの子はおばさんの所にいたほうがいいんだ」
「それか、パイルの所ね」
「よせよ。そんな冗談」
そんなことを話しているうちに、南通り行きのバスが、そばの交差点に止まる。
信号が青になり、バスが走り出すのを見計らって、五匹のねずみたちは、バス停のゴミ箱の下まで走っていく。
再びバスが止まり、客をおろしているうちに、一行は前のバンパーに飛び乗り、順番に腰掛けていく。
「今日はいい日だ。遠くへ行くには」
ノリスは自分の鼻をなでて、街の空を見上げた。
ビルはのっぺりした紙細工のように、幾重にも重なってそびえている。
バスが走り出し、ビル達が、ゆっくりとスライドしながら互いに離れていく。
そしてその向こう、真っ青な空に、白くなった月が、ぽかんと浮かんでいた。
まるで、一行の行く先を見守るかのように。
街の片隅に、小さな小さな文字で書かれた詩がある。
小さな生き物の小さな物語。
『東街のねずみたち』
どこにいるのかみんな知ってる
なにをしてるかみんな知らない
にぎわうまちのかたすみで
きょうもげんきにはねまわる
東街のねずみたち
けんかをしても大丈夫
雨にぬれた路地裏で
小さな仲間がまたであう
車のしたに家のすきまに
ひとの暮らしのすぐそばで
東街のねずみたち
おなかがへっても大丈夫
時計台の塔のうえ
まあたらしい一日の
陽がまた今日ものぼるのを
小さな瞳で見つめてる
東街のねずみたち
猫がきても大丈夫
(おわり)
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