東街のねずみたち
三、群れを抜ける
その若者の名前は、チートといった。
若いねずみの回復力は早かった。彼は、三日程ローニャ一家とともに生活しているうちに、みるみる元気を取り戻していった。
ノリスは、元気になった彼があまりにあっけらかんとした奴なので、少し調子が狂ってしまう。
「ねえ、ノリス達はどうして、こんな暗い穴の中で生活しているの?」
ここの事情を何も知らないチートは、遠慮会釈のない調子で、ノリスに質問した。
ノリスは、その言葉を聞くと溜め息をついて、その目はひび割れた穴の天井を見つめて、黙り込んでしまった。
「どうしたの?何かいけない事、聞いたかな・・・」
ノリスがなかなか返事を返してこないので、チートもノリスと同じ方向に目を向ける。
「おいらたち・・・」
ノリスはぽつりと呟き始め、チートは耳をぴくりと動かした。
「おいらたち、東街のねずみはさあ、いつもこそこそ隠れていなきゃ、生きていけないんだ・・・。いつも何かに怯えて、逃げ回ってさ・・・・・」
ノリスはもう一回、溜め息をついた。
「こんなにいい天気の日でも、こんな穴蔵の中で暮らさなきゃいけないんだよ。上の世界にはフィッグっていう恐ろしい猫がいて、上にのぼっていった鼠達は片っ端から殺されていった・・・」
しばらく二人とも、一言も話さなかった。
ドロドロドロ・・・・と、天井を大きな車が通過する振動が毛にさわる。
「おばさんは、僕を抱いてくれた時、ここは天国よりましな所だって言っていたのに・・・」
チートは、寂しそうにつぶやいた。
「そりゃ、天国ほど退屈しないとは、思うがね」
ノリスはそう言って背伸びをし、にやりと笑う。
「ところでさ、お前が初めて目を覚ました時、えらく怯えてて、家中駆けずり回ってたんだけど、ありゃ何だったんだよ?」
「駆け回ってた・・・?僕が?」
「何だか、お前がこの街にやって来たのと関係がありそうだったぜ・・・」
「うーーーん・・・・」
チートは、何かを思い出そうと、両手で両目を覆って首をかしげる。
「何も、出てこない?」
ノリスは、チートの頭を軽くノックした。
「だめだ!何も思い出せないや・・・」
夏も近い、ある日の午後。二匹はこんな会話を交わしていた。
この頃になると、強い日差しの地上より、この空洞の中にいる方が快適である。
他の若い連中はみんな、食料を捜しに外へ出かけている。チートの看病を任されていたノリスだけが、特別に残っていられた。
看病と言うよりは、学校の先生にでもなっている気分である。
ここ最近、ずっと憂鬱な日々を過ごしていたノリスには、ちょうどいい気分転換になっている様。彼の表情も明るくなっていった。
「おいノリス。まだその馬鹿と付き合っているのか?いい加減もうやめたらどうだよ。また俺達と一緒にやろうぜ」
地上から帰ってきたパイル達は、二匹を見るやすぐに、ねちねちとなれなれしく誘いの言葉を投げかけて来た。
パイルの後ろから、ひそひそ話が聞こえる。
どうせ、おいらたちをあざける会話なんだろう。ノリスはむっとして、表情を固くした。
「ねえノリス。あんた、パイルたちの所から抜けたいって本当?」
言い寄ってきたのはリオだった。彼女はノリスの目の前にしゃがみこんで彼に顔を近づけて、猫撫で声で話しかけてくる。
ノリスは昨日、チームから抜けるという旨の手紙を、パイルの家に放り投げたばかりだった。
「・・・・本当だよ」
「もう、戻る気はないの?」
「ないね」
ノリスはきっぱりと言ってのける。
「絶対?」
彼はさらに念を押した。
「絶対さ」
「どうして?何か気にいらないことでもあったの?」
彼女はにやにやと笑いながら、聞いて欲しくない所を聞いてくる。
「リオ、そんな奴は放っておけよ。そいつはフィッグが怖くなって、もう俺達と一緒にいたくないんだとさ!」
と、パイルの声。
「違う!そんなんじゃない」
リオのおちょくったような質問攻めを前に、ノリスは出来るだけ平静でいようとする。
「それじゃ何よ。抜けるからにはそれなりの理由が必要よ。それがあたい達のルールなんだから」
「・・・おいらは嫌になったんだよ」
ノリスは彼女から視線を背けた。
「えっ?」
「おいらはもううんざりしちまったのさ。パイル達のそんな所がね。何かえらく偉そうでさ、勝手にルールなんか作って、それを破った奴には罰を与えるなんてさ。おいら、パイル達のそんな所に、もうついていけなくなっちまったんだ。ランド=スタークを気取るのもいいけど、もう少し冷静に自分を見てみろってんだ」
彼はパイルをにらめつけ、まくしたてた。
「・・・っ!何だと!!」
少し離れて聞いていたパイルは、たちまち顔を真っ赤にして、今にもノリスに飛びかからんばかりの激昂ぶり。
「どうやら、一番気にさわること言っちまったようだ。・・・・チート、家に帰ろう。ここにいたら何されるか分かりゃしねえ」
パイルの様子を見ながら、チートにささやく。
「う、うん・・・」
チートもパイルを気にしているようだった。
ノリスは足早にその場を立ち去った。チートも少し後ろを振り返り振り返りしながらついていく。
パイルは、ライバーに羽交い絞めされて手足をじたばたさせている。
放たれれば、稲妻より速くノリスに飛びかかっていくに違いない。
「畜生!この臆病者!そんなのはただの言い訳だ!!おい、ノリス!貴様逃げるのか!?俺から逃げるのかよ!お前はただの臆病者だ!口先だけの腰抜け野郎だっ!また戻ってきたいなんてほざいても、もう許さねえぞ。お前がひざまずいて許しを乞うまではなっ!覚えてろっ!二度と俺の前に顔を出すんじゃねえ・・・・」
パイルのわめく声も次第に遠ざかっていく。
「いいの?あのままで」
チートはまだ気にしている。ノリスはもう忘れようと努めていた。
「放って置けよ。いつもの事さ」
パイルに一矢報いることが出来たので、ノリスはいたって上機嫌。足取りも軽くなるなる。
二匹は意気揚々と家の門をくぐった。
「お帰り」
いつもと違うお出迎えの声。
「あっ!!」
ノリスは驚いた。
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