東街のねずみたち


     八、演説


 満月祭まで、あと五日。
 バゾクがこのねぐらに帰ってきたという知らせは、昨日のうちにここのねずみ達のほとんどが耳にした。
 そのバゾクが、半年ぶりに集会を開くというので、昼食を終えたばかりのローニャ一家は、それを話題に、にぎやかにしゃべっていた。
「ノリスが言うほど、バゾクさんは悪いひとじゃないわ。二年前に大雨が降った時、みんなにいち早く知らせて、避難させたのはのは彼なんですもの」
「いい奴だとか、そうじゃないとか、そう言う問題じゃないんだよ。おいらが気にいらないのは、あいつが命令ばかりして自分では何にもしようとしない事さ」
「だけど、そういうひとが必要な事もあるのよ」
「そうは言っても・・・」
「とにかく、あのひとが何を言うかによるわね。同じひとがいつまでもいいひとだったり悪いひとだったりはしないですもの」
「だから、今のバゾクは悪い奴だと思うな。絶対」
「好き嫌いだけで、そこまで言ってしまうのは、良くないわ」
 おばさんはそう言って、台所へ食器を持って行ってしまった。
「それを確かめる為にも、奴の集会は、のぞいてみる必要がありそうだな・・・」
 ルンサは帽子に顔を隠しながら、つぶやいた。
 彼とバゾクは同い年で、ずっと仲が悪かったので、あまりバゾクの話題に乗り気ではないようだった。
 チートは、さっきから黙ってみんなの話を聞いている。
 彼はもちろん、バゾクの事は知らなかったので、首をかしげるばかりだった。
「ま、夜になってみれば分かるさ。チートも、これから長い付き合いになるんだから、自分の目で確かめてみるこったな」
 ノリスはそう言って、食べ物を探しに外へ出かける用意を始めた。
「だけど、今のおいらは、バゾクの事より、今夜の食事の方が大切だね」

 夜になった。
 ねぐらのねずみ達は、皆食事を終えて、バゾクの集会場へと出かけた。
 街の中心、地下鉄へと通じる階段の、金網のシャッターをくぐってさらに下へ降り、非常灯が緑色に照らす薄暗い駅のコンコースに、バゾクの集会場は作られ、そこを取り囲んでたいまつの灯りがいくつも揺れていた。
 やって来たねずみ達は、たいまつの明かりを反射する大理石の床の好きな所に陣取り、バゾクの登場を待っている。
 ノリス達がそこを訪れた時には、集会場には百をくだらないほど大勢のねずみ達の頭が、たいまつの灯りに照らされてさざめいている光景が見えた。
 彼らの話し声は、壁に反響して、もっと大勢のねずみがいるかのように聞こえる。
 こんなにたくさん集まっているとは、ノリス達一行も考えていなかったので、思わず驚きの声を上げた。
「よう、ノリスじゃねえか」
 会場の端に陣取っていたパイル達が、彼らに声をかけてきた。
「おまえらも、やっぱり来たのか」
 ノリス達は、パイル達の横に腰を下ろした。
「何だか、とんでもない事になってるなぁ。俺達冷やかし組には居心地が悪いよ」
「まったくだ」
 ノリスは苦笑した。
 集会場は、赤い布をかけられた前方のベンチだけがひときわ明るく、まるで劇場のステージのように神秘的な雰囲気をかもし出している。
「まったく、あいつの考えそうな事だ」
 ルンサが溜め息混じりにうめいた。
 ノリスもステージの様子を眺めて、なぜ集会が夜に行なわれることになったのか、その理由が少し分かるような気がした。
「僕は、一寝入りさせてもらおう・・・」
 ルンサはそういって、帽子を胸の上に乗せて、あおむけに寝転んでしまった。

「みなさん、本日はお集まりいただき、感謝致します。皆さんお待ちかねの、バゾク氏の講演がただいまより始まります。眠っている方は目を開けて!間食中の方は前歯をしばし休めて!ご清聴お願い致します!!」
 誰かが拡声器を使って怒鳴っている。あれは、バゾクの子分、グリソムの声だ。
 場内が静かになると、山高帽をかぶった気取った身なりの鼠が、ステージの端から明るい中央へと歩いて来た。
 どうも、あれがバゾクのようだ。
「あれあれ、しばらく見ない間に、随分とかぶれちゃって」
 パイルが驚いたのは、彼の身なりが、かつてこの街にいた時とは随分変わっていたせいだった。
 当のバゾクは、中央に立つと山高帽を取り、咳払いを一回して、場内が静かになるのを待っている。
 やがて会場が静けさに包まれると、彼はゆっくりと、押さえた調子で演説を始めた。

「まずは今夜、ここに集った鼠達に感謝します。ここイーストタウンにおいて、このような場所に足を運ぶ皆さんの勇気は、称賛に値するものです。
 私ことバゾク=ウィンスラムは、約半年ぶりにこの街へと帰って来た訳でありますが、その間、一時たりともこの街の皆さんの事を忘れた事はありませんでした。遠く離れたノースキャピタルやウエストビレッジにいる間も、この街の置かれている状況や、皆さんの苦しみを少しでも改善できはしないかと思っていたのです。
 ここイーストタウンにおけるフィッグの噂は、それらの都市や村々においても耳にすることが出来ました。私達を長い間苦しめてきたあの大猫ほど、残忍で狡猾な存在はいないという事を。
 しかるに、なぜ私達だけがこのように不当な苦しみを受けなければならないのか。そして、生まれて来た者が誰でも享受してしかるべき権利、例えば、太陽の光を浴びてのどかな散策を楽しむ権利や、けっして飢えることのない、豊かな生活を送るといった権利を放棄せざるを得ず、穴倉の中で恐怖に身を寄せ合って暮らしていかなければいけないのか。
 我々はただ、生まれの不幸を呪い、何もかも甘受したまま諦めの境地で生きていかねばならないのでしょうか?
 それはまったくの間違いです。もし、そのようなみじめな感情を持ってここにいる者は、今ここで、そのような心は捨ててしまうといいでしょう。我々は自分達の運命を、自分達の手で変える権利があるのです。我々は団結し、戦うことができます。我々は望み、それを手に入れる力があります。何者にも脅かされない、平和で豊かな世界を!」

 原稿を片手に演説していたバゾクは、そう言ったあと、右手を高くつき出した。
 その瞬間、彼の背後に巨大な炎が燃え上がり、静まり返っていた会場は歓声に包まれた。
 ノリスは、バゾクの演説に、少なからず興奮している自分に気付き、内心穏やかではなかった。
「結構・・・、いいこと言うじゃん」
 隣にいるパイルからは、そんな言葉が漏れていた。
 ルンサはと言うと、相変わらず寝転んだままで、帽子を顔にかぶせたまま、寝ているのか起きているのか分からないような状態。
「ねえ、ルンサはどう思う?あいつの演説・・・・」
 ノリスの問いに、ルンサは帽子を額の位置にずらし、帽子の隙間から片方の目をノリスに向けた。
「ノリス、君はどう思ったんだ?」
 ノリスは、ルンサが返して来た言葉を、彼の得意なおとぼけかと思ったが、彼の目は笑ってはいなかった。
「ええと・・・、お・・おいら、認めたくないけど・・・・、少し興奮しちまった・・・。あいつの言っている事はもっともだって、思ったよ」
 ルンサの前で、バゾクの事を褒めるのは、彼にとって初めての事だ。
 ルンサは、それを聞くと、微かに笑った。
「そうだな。あいつの言う事は、そんなに間違ってはいないよ」
 彼は溜め息をつき、続ける。
「だけど、それでどんな事をやるのかが、本当に大切なところだよ」
 彼はまた、帽子で顔を覆ってしまった。
「僕は、はぐらかされるのは、こりごりだ」
 拍手と歓声は次第におさまって、場内は再び静かになり、バゾクは演説の続きを語り始めた。

「しかし、フィッグの寿命がつきるのをただ待っていたのでは、我々の短い命の長さでは、あと何世代かかるのか分かりません。いくら辛抱強い我々でも、それはとても耐えられない時間でしょう。かといってフィッグ打倒というのは皆さんもお分かりかと思いますが、夢物語に過ぎません。かのランド=スタークですら、フィッグを倒す事は叶わなかった。
 そこで、私にはある考えが浮かびました。
 それは、どこか他の場所。食べ物の豊富な、フィッグに命を脅かされる事のない土地へ、全員で移住をするという計画です。
 フィッグを退治する事は容易ではありません。しかし、他の土地へ移住する事によって、その土地に住む鼠達と起こるであろう小競り合いくらいなら、我々は勝利を手に出来るだろうと、私は確信しています。
 安心と、豊かさと、輝くような未来を手にしたいのなら、我々は行動しなければなりません。
 このまま、フィッグに怯えて、抑圧された歳月を過ごすのか、未来を手に入れる戦いに、私と共に参加するのか、それを決めるのは皆さん自身です。
 しかし、私は、必ずや皆が私のもとに集い、勇気を振り絞って戦いに参加してくれるであろう、という事を信じてやみません。
 まだ時間はあります。勇気ある方は決断していただきたい。迷っている方はよく考えていただきたい。我々にとって、何が最善の行動なのかを・・・・」

 バゾクの演説が終わっても、ねずみ達は立ち去ろうともせず、地下鉄のコンコースはしばしの間、ねずみ達の議論の場となった。
 下のステージではバゾクの手下達がさっさと後片付けを始め、たいまつの炎は一つづつ消されていく。

 ルンサは、バゾクの演説が終わるやいなや、さっさと起き上がって階段を上っていってしまい、ノリス達はそんなルンサに引っ張られるようにその場を立ち去った。

街の人間達は、ほとんど家に帰ってしまって、通りはすっかり静かだ。
時折、車がヘッドライトを滑らせながら通り過ぎていく。
 三人は、誰もいない歩道を、ねぐらへ向かって歩いていった。
「おいら、頭の中が訳が分からなくなっちまった」
 ノリスは、先頭を足早に歩いていくルンサに、投げかけるようにつぶやく。
 しかし、ルンサは何も言わず、ただ歩いていくばかりだ。
「なあ、チートはどう思った?」
 ルンサがつれない態度なので、彼はチートにさっきと同じ事を尋ねた。
 チートの表情は何だか冴えない。うつむいたまま、ルンサ達のペースについていけず、一人後ろをのろのろ歩いていた。
「僕・・・、何だか嫌な予感がする・・・・」
 チートは歩みを止めた。
 歩道の蛍光灯が、彼の背後からノリス達の方へ、長い影を伸ばしていた。
 ルンサは止まった。それにつられて、ノリスも立ち止まって、チートの方を振り返った。
 チートの顔は、暗くうつむいていた。
「僕は、あのひとがやろうとしている事が、何だかよく分かる・・・・。あのひとの話を聞いて、僕、思い出したんだ。この街に来る前の、僕の事・・・」
 長い沈黙の後、うつむいていた顔をゆっくりと持ち上げて、彼は漏れ出すように、そう、つぶやいた。
 それはちょうど、堤防が決壊する時の最初のひとしずくようなものだった・・・。

 それからチートは、ここに来るまでの自分の身の上を、ものすごい勢いで話し始める。
 ルンサとノリスは彼のそばで、その話を聞いた。
 
 彼は、小さな漁港の出身だった。
 その港には猫も多かったが、そこのねずみ達は割とのんびり暮らしていたという。
 港から引き上げられるたくさんの魚のおかげで、猫もねずみも食べ物に困る事は余りなく、両者の間には相手を襲わないという約束があったのだ。
 しかし、彼がこの街に流れ着く半年程前、彼の住んでいた漁村は戦争に巻き込まれてしまった。
 敵は、猫もねずみもお構いなしに攻撃した。
 猫達は、自分達を攻撃してくるものたちを見て怒り狂い、チート達漁村のねずみは、猫からも追われる立場になってしまった。
 彼らに戦いをしかけて来たのは、チート達と同じ姿の、他の街のねずみ達だったのだ。
 どこかで大発生したねずみ達が、食べるものを求めて、チート達の村へとなだれ込んで来たのだった。
「灰色津波っていうんだ」
 チートはうめくようにつぶやいた。
 猫達は、漁村のねずみ達が、自分達との約束を破ったのだと思った。
 そして、村のねずみ達の説得も、逆上した猫達の前ではむなしかった。
 よそ者のねずみ達はものすごい大勢で、津波のように道という道、家という家を覆いつくし、そこにある何もかもをむさぼり食っていった。
 彼らの目は血走り、チート達が聞いたこともない言葉で叫びながら、目につくもの全てをかじり取っていったのだ。
チートの一家は逃げた。
しかしその途中、よそ者ねずみの群衆の波に飲み込まれ、彼以外はその波にさらわれてしまった。
 それ以降の事はまだ思い出せない。飢えたまま夢遊病者のようにさ迷い、あの夜、ノリスの腕に抱かれるまでの事は。

「きっと、あの村には何もなくなってる・・・。僕の家族も、幼なじみも、猫も、懐かしい景色も・・・・」
 チートは顔を上げて、大きく息を吸った。
 暗くてよく分からないが、泣いているようだった。彼の呼吸はかすかに震えていた。
「でも、何よりも怖かったのは、あんな事をしたのが、僕達と同じねずみだったって事だよ・・・・。僕達の中にも、あんなふうに変わってしまう血が流れているんだ・・・」
 ノリスはチートのかたわらで、彼の話に戦慄を覚えた。
「今ならはっきりと言える。あのバゾクってひとが言った事は、きっと良くない事を招くよ。あのひとは、この街のねずみ達を灰色津波に駆り立てるつもりなんだと思う。この街のみんなを、僕の村を襲った、あのねずみ達のようにしてしまうのかもしれない」
「そんな・・・」
 ノリスは、チートの言った事に異議を唱えたかった。彼には、バゾクの言った事は彼の中の不満を代弁してくれているように感じたし、正直言ってあのバゾクがここまでこの街のねずみの事を思っていてくれたのかという感激さえあったのだ。
「そうかもな・・・」
 ルンサは、ノリスの言葉をさえぎるようにつぶやく。
「あいつの言葉は、それを聞いているねずみ達の、心の弱みに付け込んでくるんだ・・・。
 僕達ねずみなんて弱いものさ。だから怯えて、みんなでひしめき合って生きてかなきゃならない。
 彼らを励ますために好戦的に振舞う奴が現れるし、怯えているみんなもそういう奴を望むようになる。
 バゾクはそれを利用してこの街のねずみ達を自分のいい方へ駆り立てようとしている。僕は、奴の演説にはそういう狙いがあったんだと思うな」
「でも、おいらは、あいつを少し見直したって思ったんだぜ」
 ノリスは、少しむきになって反論した。
「あいつをたやすく信用するものじゃないぜ。あいつの言う事にはいつも、そういう裏が必ずあったからな。それに、奴は軍団をつくって他の街を征服した後、その力を使って何をするのか、一言も言わなかった。まさか、自分が王様となってその上に腰掛ける気じゃないのかな」
「昔からあいつと仲の悪いルンサにそんな事言われたって、おいら納得出来ないよ・・・」
 バゾクが嫌いなルンサはともかく、チートまでが彼の事を否定的に見ているので、ノリスは何だか居心地が悪かった。
「とにかく、早く帰ろうよ。安全な所でゆっくり考えようよ。地上は、たとえ夜でも、フィッグに襲われないとも限らない。この前の事もあるしね・・・」
 ノリスは、一人でじっくりと考えたかった。誰にも邪魔されずに、自分自身の答えを出したかった。たとえ親しいルンサやチートが助言をしてくれたとしても、彼は自分で考える事の方を望んだ。
『ノリスは、どう思う?』
 バゾクの演説のさなか、ルンサの助言を求めたノリスに彼が言った言葉を、今彼は思い出していた。
 そんなノリスの気持ちに無言で答えるように、ルンサは再び、ねぐらへと向かう歩道を歩き始めた。

 家に戻ると、ノリスは、自分のベッドに潜り込んで、ひとり考えていた。
 さっきチートが言った事が、どうしても頭の中から離れなかった。
増えすぎたねずみ達が、住みかや食べ物を求めて大移動をする事は、ノリスも知っていた。
それは、ねずみ達の歴史をひもとけばいくどとなく登場する事だ。
この街のねずみ達だって、その始まりは、よその街からやって来たねずみなのだ。
 しかし、チートが語ったねずみ達の大移動は、歴史として聞いた大移動とはまるっきり違っていた。余りにも生々しく、残酷で、遠慮がなかった。まがりなりにも自分達を生かしているフィッグの方が、まだ優しいと思えるくらいだ。
 そしてバゾクは本当に、ノリス達を戦争に駆り立てようとしているのだろうか。ねずみ達を鼓舞し、どこか遠い街を襲うのだろうか。そして自分の国を作り上げて、他のねずみ達を支配するつもりなのだろうか?
 いつしかノリスは、チートの村を襲ったねずみ達と、この街のねずみ達を重ね合わせていた。目を血走らせて、見境もなくありとあらゆるものに襲いかかるねずみ達の奔流。その中にいるノリスや、パイルや、ルンサの姿を思い浮かべた。
 頭がおかしくなりそうだ。
 勇ましく、猛々しく、そして弱々しい群衆の、何かに駆り立てられた、凶暴なようで、怯えている目をしたねずみ達の群れ。流れに飲み込まれ、意志のない軽石のような、かなしい姿・・・。
 ルンサが帰り道でノリスをたしなめた言葉の意味が、彼にも少し分かったように思えた。
(おいら達、これからどうなるんだろう・・・・)
 寝床で丸くうずまりながら、ノリスは目を閉じる。
 やがて、眠気が潮のように満ち、彼の思考はかき消されていった・・・。



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