東街のねずみたち



     九、軍団


 バゾクの演説は東町のねずみ達の間に大きな反響を呼び、翌日から、ねぐら中に喧々囂々の議論が巻き起こった。
 彼の意見に賛同し、彼の軍団に入るか、ここに留まるかで、ねずみ達は真っ二つに割れた。
 ノリスは未だに態度を決めかねていた。バゾクの考えはあまりに傲慢な気がするし、かと言ってこの街でフィッグに怯えたまま暮らしていくのもまっぴらだ。
 ねぐらの中では、バゾクに組みする者はそうでない者を臆病者と呼び、バゾクに反発する者はバゾク達の事を野蛮な侵略者とののしった。いがみ合いはだんだん大きくなり、ねぐらの中には不穏な空気が流れ初めていた。
 バゾク派も反バゾク派も、勢力を広げようとやっきになっていて、どちらにも組みしない者は、双方から決断を迫られた。
 一体、どちらの味方なのかと。
 ちょうど、ノリスの家が、そうだった。
 何事にも慎重なノルテおじさんは、今回の騒動においても、簡単に結論を出そうとはしなかった。めったに来ないような友達が家の扉を叩いて、自分達の陣営に加わるように催促をしてきても、あやふやな返事をして適当にあしらっていた。

「わしは今回の事について、何も決めちゃいない訳じゃないんだ。どちらの意見にも賛成できないのさ。どちらも肝心な事に背を向けているような気がしてね」
 と、ノルテおじさんは言い、
「私は、家の中の事が専門ではっきりした事は言えないけれど、街の外に出ていくよりも、もっとねぐらの事に目を向けた方がいいと思うわ。ここはもっと居心地のいい所に出来る筈だもの」
 と、ローニャおばさんは言う。

 一家は、夕御飯の最中。おかずはみみずのハンバーグだ。
「そもそもの原因はフィッグだよ。あいつがいるから、ねずみ達みんなが困ってるんだ」
 チートは、食べ物を口に含んだまま、つぶやいた。
「そう。その通りだよ」
 ノルテおじさんはすかさず相づちをうった。
「あたし、とってもこわかった」
 フィッグの名前に、サリィもすぐに反応した。
 それからしばらく、食事はフィッグの悪口をおかずに進んでいった。
 ねぐらの中で、フィッグを嫌いではないねずみなど一匹もいなかったから、あの大猫に対する恨みつらみを語り合う事が、彼らにとっては最も危なげのない会話と言えた。
 そして、ある程度気が晴れると、またいつもの生活に戻る。
 ノリスは何だか気が重かった。

「おいら達に出来る事って、せいぜいフィッグの悪口を言うだけなのかな・・・」
 夕食が終わって、あとは眠るだけという時、ベッドに寝転んだノリスは、窓から外の景色を見ているチートに向かって尋ねた。
 チートは少し沈黙したあと、つぶやいた。
「それが、一番簡単なんだよ」
 ノリスは悲しくなった。
 ごろりと横になり、壁を見つめながら溜め息をつく。
「ランド=スタークがいたら、こんな時はどうするだろうな・・・。どんな事を言って、おいら達を勇気づけてくれるだろう」
「ランド=スタークは、この街に何をしたの?」
「さあね。フィッグと張り合ったって事ぐらいしか知らない・・・・」
 それからしばらく、二人は何も言わず、ノリスは壁とにらめっこをしたまま、チートは外の景色をぼんやり眺めたまま、時間は過ぎていった。
 ・・・・。
 ・・・・・・・。
「ところでさ、ルンサの帰りは遅いね。」
 チートが沈黙を破った。
「ああ、ルンサね」
「どこに行ったの?」
「知るか。どうせまた長老、長老だ。まったくルンサの長老狂いも重症だぜ」
「長老って、どんなひとなんだろうね。この前の時はいろんな作戦を考えてくれたけど、若い頃は何してたんだろ」
「生まれてもない昔の事は、知りませんよと」
「どうしてルンサは、長老の事を尊敬してるのかな・・・」
 その答は、ノリスも知らなかった。
 言われてみれば、どうしてルンサはああも長老を頼るのだろう。この街に来る事も、長老に会うのが目的だと言ってもいいくらいだ。
「知らないよ。どうせルンサは、おいらたちには話してくれないもん」
 それで、二匹の会話は終わりだった。

 しばらくして、ルンサが家に帰ってきた。
 おばさん、おじさんの出迎える声が聞こえたかと思うと、急ぎ足で階段を上る足音が、ノリス達のいる部屋まで近付いてきた。
「遅くなったね。まだ起きてたんだな」
 二人の背後でドアが開き、ルンサの声がした。
 彼は部屋に入るとすぐに、眠りにつく用意を始めた。
 なぜかその時も顔を隠している。
「ねえ、ルンサ」
 ノリスが、寝転びながら聞いた。
「今日はどこに行ってたのさ?」
 するとルンサは帽子を枕元に置き、横向きにベッドに寝転んで、背中を向けたまま答えた。
「長老と一緒に、バゾクの所へ行ったんだ」
「バゾクはどうしてた?」
 ノリスは起き上がって聞いた。
「支持者を集めて、集会を開いていたよ」
「何人くらい集まったの?」
 チートが聞いた。
「十四、五人てとこかな。昔パイルの仲間だったやつらとかがいたな」
「そうか。あいつら、パイルがチームを解散してから退屈そうだったもんな・・・」
 ノリスは、寂しそうな顔をした。
「それはともかく、僕と長老はバゾクに言ったんだ。ねぐらのねずみ達におかしな事を吹き込むのはやめてくれって。みんな混乱して、ねぐらの中がばらばらになってしまうってさ」
「そしたらバゾクはどうしたの?」
「このねぐらは、ねずみ達を導く新しいリーダーを必要としている。その役を我々がかってでようとしているんだって、バゾクは言ったよ。だから僕は言ってやった。たやすく誰かを頼るなんて間違いだ。新しいリーダーなんかいらないって。そしたらグリソムがやって来て、つまみ出されてしまった」
 それからルンサはベッドで寝返りをうってこちらを向き、大きく溜め息をついた。かれの頬には紫色のあざがあった。
「どうしたの?その顔・・・」
「ちょっと奴らともめてね。グリソムの奴にぶん殴られた」
 頬をさすりながら、ルンサは恥ずかしそうに笑う。
「ま、集団てのはそういうものさ。強い結びつきを得る代わりに、僕みたいなはねっ返りはつまみ出されてしまう。だから自分達がおかしな方向に進んでいる事も分からなくなるんだ」
「だけどそれも仕方がないよ。誰だって独りぼっちは嫌だし、独りだと何をしたらいいのか分からなくなる」
 ノリスは、思わずそうもらした。
「それも、そうだけどさ・・・・」
 ルンサはまた、溜め息をつき、寝返りをうって背中を向けた。
 三匹とも黙りこくったまま、時間は過ぎていき、チートは明かりを消した。
 静かになった部屋の中、ねぐらの上を通る車のタイヤの音が、よく聞こえる。
「確かに、そうだけどさ・・・」
 真っ暗な部屋の中、ルンサは独りごとのようにつぶやく。
「自分の事は、自分で考えていくほうがいいよ。でなきゃ、何のために生まれてきたのか、分からなくなる」
 ノリスは言葉を返さず、ただ目を閉じた。
 会話は止まったまま、三匹は眠りに落ちていった。

 次の日から、ルンサと長老は、ねぐらの家々を回って、バゾクの軍団に加わらないように訴えて回った。
 バゾクのやる事は間違っていると言うのではなく、満月祭が開かれるまで待って欲しいと訴えたのだ。
 長老の言葉は年を取ったねずみ達には歓迎された。彼らには守るものがあり、できる事なら、ずっと今のままでいたいと思っていたからだ。
 ルンサは、何だか煮え切らない気持ちになる。
 一方で、若いねずみ達の反応は芳しくなかった。彼らは守るものもなく気ままに生きてきたし、ねぐらの生活に退屈していて、新しい刺激を欲しがっていた。
 ルンサ達の言葉は当然、バゾクの支持者達の反感を買い、時には彼らは手荒な排斥を受ける羽目になった。そんなことは覚悟していたのだが・・・。
 ルンサの目には、長老がなんだか焦っているように見えた。

 ねぐらの崩落はますますひどくなり、今では車が上を通っただけで小石がぱらぱらと落ちてくる。
 小石の雨の中、天井を見上げて、長老は目を細めた。
「どうやら、わしも覚悟を決めないといかんようだな。もう、時間も逃げ場もなくなった」
 ルンサは耳をぴくりと動かし、長老へ顔を向けた。
「長老は、どうして自分が逃げているなんて思うんです?」
「いやいや。わしはずっと逃げ続けてきたのだよ。・・・・もともと、今起きている事の全ては、わしがまいた種なのだ。フィッグが我々を目の敵にするようになったのも、我々が地上から追われ、この場所で肩身を寄せて暮らしているのも、全ては過去、わしのおかした過ちに原因がある・・・。だから、わしはみそぎをしなければならん」
「だったら僕も・・・・」
「それには及ばぬ」
天井から落ちてきた小石を拾い上げ、長老は、ルンサを見て笑った。
「たった今、わしに考えが浮かんだ。それをやるには、わし一人でなくてはならん・・・」





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