東街のねずみたち


十一、広場


夜。
人間達がその日の仕事を終え、街を後にして家路に去った後の静けさの中、ねぐらのねずみ達は皆地上に上がり、祭りの会場となるオベリスクの広場へと集まった。
広場には東町のねずみ達の他、西町や北町、南町のねずみ達も集まり、随分な賑わいを見せている。
それぞれが思い思いに、ビルディングの「歩道」や広場の石畳に腰を下ろし、手弁当を広げて、広場の中央で繰り広げられる催し物を見物したり、世間話などをしたりしている。
街灯に照らされた広場の中央にあるステージでは、楽団の演奏に会わせて、リオやミーサ、その他大勢のねずみ達が踊っていた。
楽団のねずみ達は、こおろぎの羽と足で作ったバイオリンや空き缶の太鼓などをひき鳴らし、踊りの輪の中には、周囲を取り囲む見物客の中から新しい踊り手が出たり入ったり、次第にその人数も増えていって、祭りは徐々に熱を帯びていった。

「うまく踊れる奴等はいいよ。おいらなんかへたくそで、物笑いの種だい」
ノリスはそうつぶやきながら、踊るねずみ達を眺めていた。
「ねえノリス、一緒に踊らない?」
今まで他のねずみと踊っていたミーサがステージから下りてきて、見物客の中にいたノリスに声をかけた。なるほど。白いドレスが、今夜はほの青く光っている。
「ほら、行ってやれよ。へたくそでもいいんだよ。楽しまなきゃ」
後ろにいたルンサがぽんと、ノリスの背中を押した。
「ほら、ノリス」
ミーサが差し出した手に、ノリスは触れた。
「どうぞ、お手柔らかに」
そして、ノリスはミーサと共に踊りの輪の中へと入って行った。
そして、見よう見まねでへたくそな踊りを、ミーサと一緒に踊りはじめた。

リオは、パイルと一緒になって踊っている。そのそばにはサリィもいる。
今夜は、リオも嫌な顔はしていない。
おばさんとおじさんは、パイルの周りで飛び跳ねているサリィを、笑いながら見物して、
「虎視眈々、か。やれやれ、うちの子もおませなものだな」
と、目を細めていた。

「おじさん達は、踊らないの?」
チートがノルテおじさんに尋ねると、
「なに、ああいうのは若いものの楽しみだよ」
と言って、弁当に手を伸ばした。
その手をおばさんがそっとつかみ、
「あら、私達だってまだ若いわ。一緒に踊りません?」
というと、おじさんは笑って。
「そうだな。心はいつだって、若くいられるって事かな」
そして、手に手を取って立ち上がった。
手をつなぎあってステージへと歩いていく影を、二人が輪の中へ入っていくまで、チートはうっとりと眺めていた。
「チート、君こそ何で踊らないんだ」
「僕は、一緒に踊る相手がいないし・・・」
「だったら、僕が相手になるよ。一緒に踊ろう」
ルンサはそう言って、チートに手を差し出した。
チートもそれに答えて、その手を握った。

空の満月は、オベリスクの上に突き刺さるほど高く登っていた。
踊りの輪はどんどん大きくなり、やがて、その場にいるねずみ達全員が踊りはじめた。思い思いの相手を見つけ、軽快なステップを踏んだり、手拍子を打ったり、持ち寄った楽器を演奏したり、それぞれが自分なりの仕様で踊ったり歌ったりした。
何をしても許されるような空気があった。どんなにへたくそでも誰も笑わないし、みんな自分の踊りに夢中になっていた。踊りが踊りを呼び、遅れて来たねずみ達もためらいもなく踊りに加わっていく・・・。
街の広場の一角で始まったねずみ達の祭りは、いつしか広場一杯に広がり、こんなにいたのかと思える程たくさんのねずみ達が広場を埋めつくしていた。

バゾクは、供のグリソムと共に、踊り浮かれるねずみ達を遠巻きに眺めながら、ひとり苛立っていた。
というのも、演説の後に彼のもとへと集まったねずみ達の数が、彼が思っていた程かんばしくなかったからだった。
祭りのさなかに再び演説をぶち上げて、支持者の数を増やすという行動も考えなくはなかったが、他の街からのねずみ達もいる中で、彼の言葉が聞き入れられるとは思えなかった。
また、それをする為にはおぜん立てがいるのだ。フィッグというおぜん立てが。奴がいなければ、彼の計画はうまく進んでくれないのだ。フィッグの存在を出来るだけアピールする事で、彼の進めている移住計画への賛同が集まるのだから。
フィッグの登場でねずみ達は逃げ惑い、パニックを起こすだろう。そして、自分達はあの猫の前では無力な存在でしかない事を自覚するはずだ。
そして、彼らは絶望し、何かにすがりつこうとするだろう。可能性のある何かに。
その時こそ、自分の出番ではないか。

音楽が鳴り終わり、次の曲が始まるまで少し時間がある。
その間に、踊っていた者達はそのステップを休めて、広場の中は、無秩序に行き交うねずみ達でごった返しはじめた
ノリス達は一か所に集まって。広場の中央で来場者全員に配られる夜食をもらいに行く所だった。
不意に風が涼しくなったので、ノリスは身を縮めた。
何だか、嫌な匂いのする風だ。広場の端から吹いて来る。
サリィが立ち止まって、鼻をひくひくさせた。
「どうしたの?サリィ」
ローニャおばさんが聞くと、
「この風、こわーい・・・」
そう言って、彼女は母親に抱きついた。
やがて、広場がざわめきはじめた。
次第に、そのざわめきの中に叫び声が混ざりはじめる。
広場の端で、何かが大きく飛び跳ねている。
よく見ると、それは、ねずみの体だった。
巨大な何かが、ねずみ達で埋めつくされた広場を横切ってくる。水上を行く船がしぶきを上げるように、ねずみ達をはね飛ばしながら。
ねずみ達は一斉に逃げはじめた。広場を思い思いの方向へ。めくらめっぽう走り回るものだから、互いにぶつかったりして、広場の上は混乱し、演奏をやめない楽器の音ともあいまって、叫び声と歌声と話し声が一緒くたに混ざって渦を巻いた。
その騒ぎの主は、混乱した広場の中央に悠然と立ちつくし、大きな声で咆哮をあげた。
神殿の柱のように太い四本の足と、山脈のように盛り上がった背中。
その姿には、嫌という程見覚えがあった。
「フィッグだ・・・」
ノリスは、うめくようにつぶやいた。
「何で、奴がこの場所を知っているんだ?」
パイルは怒り混じりに聞いた。
「きっと誰かが、あいつに知らせたに違いない。この祭りをよく思わない誰かが」
ルンサがそれに答える。
「さあ、私達も逃げなければ」
ノルテおじさんが家族のみんなに呼びかけた。
ミーサは、母親にしがみついたままのサリィを引き離して、自分の背中におぶった。
「逃げるって、どこに?」
ミーサが聞いた。
「このままねぐらまで逃げたら、フィッグも一緒についてきちゃう」
「それじゃ、とりあえず建物の陰にでも・・・」
おじさんがそう言おうとした時、広場の上の方から声がした。

「皆のもの、わしの言う事を聞いてくれ!」
威厳のある、強い声が、メガホンから出てきた。
その瞬間、広場が急に静かになった。
「このままねぐらには戻らず、広場の外へ散らばれ。
フィッグは狙いが定まらずに混乱するだろう」
広場の彫像の上に誰かいる。
月を背にして、首に巻いた襟巻きが、風にたなびいていた。
誰だろう?
ノリスは目を凝らした。
聞き覚えがあるようでもあるが、こんな強い調子の声は初めてだ。
「フィッグよ。お前の狙いはわしなのだろう。来るがいい。今夜こそ決着をつけてやろう」
フィッグはその場から、声の主を見上げた。
その姿を認めると、じっと立ちすくし、体じゅうの毛を逆立てて、みるみるうちに膨れ上がっていく。
「・・・・・。
とうとうやって来たか・・・・。
会いたかったぞ・・・・」
フィッグが口をきいた。
地鳴りのような、低い声。
次の瞬間、フィッグは飛んだ。
二メートルはあるかという彫像の上めがけて、フィッグの体が舞い上がった。
そうするが早いか、彫像の上にいたねずみは飛び降り、フィッグの鼻を踏み台にして、地上に両手両足をついた。
そして、バランスを崩したフィッグがもんどりうって倒れている隙に、広場の外へ目がけて走りだした。
あっけにとられて眺めている群衆の中を、ものすごい勢いで、そのねずみは走り抜けていった。
起き上がったフィッグも、すぐにその後を追った。
ノリス達には、そのねずみの顔がちらりと見えた。鋭い眼光と、首に掛けた黄色の襟巻き。
それは、伝説のランド=スタークにそっくりないでたちだった。
「誰だろう。あれは・・・」
二匹はすごい勢いで広場を出ていった。
二匹の走り去っていった方向には、ノリス達のねぐらがある。
「おいらたちもついていこう!あのねずみに」
ノリスはルンサ達に呼びかけた。

「何者なんだ!?あのねずみは。これでは計画が台無しではないか」
珍しく、バゾクは取り乱し、頭をくしゃくしゃにかきむしった。
そして、眼をつり上げ、他の誰にも悟られぬように声を殺し、グリソムに向かって言った。
「おい、あれもお前が招待したのか?」
「めっそうもない。あっしらが招いたのはフィッグだけでさぁ」
「じゃあ何なのだ。ランド=スタークの亡霊でも出てきたというのか?」
「さぁ・・・。お頭の考えって、こういう事じゃなかったんですかい?」
「馬鹿言うな。私が考えていたのは・・・・・」
 バゾクは、思わず本心を言おうとしていた口を、とっさにふさいだ。
「統領の考えって言うのは、こういうことだったんですね!?」
祭りの会場で起きた騒動を眺め、ライバーはすっかり興奮し、バゾクに向かって抱きついてきた。
「え・・・。あ、ああ。そ、その通りだ。わ、私だって、この町が好きだからな」
「あんなすごいねずみが、あなたの一声で駆けつけてきてくれるなんて、なんてすごい人望の持ち主なんだ。改めて尊敬しますよ!」
その場に居合わせたねずみたちも、皆一様に感嘆の声を上げ、バゾクを褒めちぎった。
いつもならおだてに弱いバゾクも、今回ばかりはとても居心地悪そうに、襟元に手をやったりしている。



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